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2009年01月20日 イイね!

結局、派遣に偏った救済なんて必要ないんじゃない?






え~~、寒いですね。不況ですね。

で、以下のニュースを読んでみて思うこと・・・。

きつい言い方かもしれませんが、派遣やってる人の大多数は自ら望んで甘んじてるわけで、雇用の創出といって手助けしようとしても、本人にやる気がないんだったらどうしようもないんじゃないの?と思うのは私だけ?

本気で仕事を探してる人は選り好みする余裕もないだろうし、失業保険給付にありつく前に仕事探してますよ。

先日、政務次官の発言が問題にもなったようですが、的を得てると思います。

実際、派遣村に集まった人のうち、本当に派遣切りにあった人は半分程度だったとか。じゃあ、あとの人は?タダ飯もらいに来ただけ??

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希望ミスマッチ…派遣切り救済雇用 応募サッパリ
1月20日8時1分配信 産経新聞


 全国の製造業で相次ぐ非正規社員の「派遣切り」。雇用対策として、さいたま市が発表した臨時職員100人の採用計画の応募が8人にとどまったことが明らかになったが、新規雇用を打ち出したほかの企業や自治体でも元派遣社員の応募が少数にすぎない実態が分かってきた。「派遣切り救済」と「人手不足解消」の一石二鳥を狙った企業や自治体は肩すかしを食った格好となっている。

 高齢者介護施設を全国で展開するさいたま市の介護会社「メデカジャパン」。日産や日本IBMなど派遣社員削減を発表した30社に人員募集の文書を送ったが、「応募は1件しかありません」(担当者)。

 「派遣削減が報道されたあらゆる企業に送っているが、職種や場所がなかなか合わないようで」と担当者は戸惑いを隠さない。

 ラーメンチェーンの「幸楽苑」(福島県郡山市)では派遣切りが相次ぐ現状に先月、例年の3倍の150人の中途採用を発表。ところが面接にきたのは20~30人。派遣切りにあったとみられる人はうち2、3割。担当者は「このご時世なので、社会の役に立ちたいと採用数を増やしたが、拍子抜けしました」。

 厚生労働省は企業への聞き取り調査から派遣切りで3月までに8万5000人が失業すると試算。このような中、慢性的な人手不足を解消しようと新規雇用を打ち出す企業も多い。

 タクシー会社「エムケイ」(京都市)は先月、運転手1万人の新規募集を発表。1週間で140人が説明会に訪れたが、「元派遣社員の方はチラホラという程度。もっと応募があると思っていたが…」(担当者)。

 当惑しているのは、自治体なども同じ。新潟県上越市は派遣切りなどにあった市内在住者を対象に小中学校の安全管理を行う臨時職員80人を募集。「定員がいっぱいになった場合、追加募集するか検討しようとした」が、申し込みは22人にとどまっている。

 大分キヤノンなどで合わせて数千人の派遣切りが見込まれる大分県。「JAおおいた」(大分市)では、人手不足にあえぐ農業の現場で働く求人を呼びかけたが、問い合わせがあった約50人のうち元派遣社員は数人だけだった。

 「日本養豚生産者協議会」(東京)も100人の求人を発表し、57人から応募があった。しかし、こちらも「元派遣社員は2割に満たず、逆に『会社に勤めているが転職したい』という問い合わせがあった」という。

 こうした原因は、元派遣社員が希望する職場と、人手が足りず求人している職場があわない「ミスマッチ」によるもの。厚労省職業安定局は「どうやってこうした問題を解消するかは検討していきたい」としている。

ニュースURL↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090120-00000086-san-soci


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「派遣村」にいたのは誰だったのか?
1月18日18時32分配信 産経新聞


派遣切りや解雇にあった人々に夕飯の年越し蕎麦を配る「年越し派遣村」のスタッフ=東京・日比谷公園=12月31日午後(撮影・中鉢久美子)(写真:産経新聞)

 年末年始にかけて東京・日比谷公園に突然姿を現した「年越し派遣村」。集まった約500人は、一部の新聞やテレビで「企業による派遣切りで職と住まいを失った人ばかり」などと紹介されたが、その“実態”は年が明けるに連れて次第に明らかになってきた。“村民”とは誰だったのか。そして、“村”の運営にはどのような人たちがあたったのか。そこには、ある特定のイデオロギーを持った政治色が潜んでいたことがわかる。

 ■まじめに働こうとしていた人は…

 「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」。総務省の坂本哲志政務官からそんな発言が出たのは仕事始めの1月5日だった。

 坂本政務官はその後、謝罪し発言を撤回しているが、「人の心を傷つけた発言は、撤回して済むものではない」(鳩山由起夫・民主党幹事長)などと反発が出る一方で、インターネット上などでは「理解できる」「本質を突いた発言だ」という擁護論も出た。

 実際、村に集まった人たちはどのような人たちだったのか。派遣村実行委員会が、村民354人から聞き取った集計によると、年齢層は30代が25%、40代が30%、50代以上が35%。性別では96%が男性だった。ただ、景況悪化を理由に解雇された派遣従業員は日雇いも含め、全体の40%にあたる130人だけ。33人(9%)は従来からの路上生活者だった。

 また、厚労省の調査によると、滞在村民が約300人だった1月5~7の3日間で、臨時に設けられたハローワークに相談に来た人は約200人(66%)。具体的な就職相談まで話が進んだ人は約120人(40%)だったという。

 極めておおざっぱに解釈すれば、4割程度の村民は景況悪化後、実際に契約を打ち切られ、6~4割程度の村民には就労意志が読み取れるが、逆に言えば、就労意志のない人、村で出される食事だけを目当てに村民登録した人もかなりいたことになる。その点は実行委員会も認めている。

 むろん、路上生活者であっても、寒空の下にほおっておいて良いという理屈にはならないが、それ以前まで派遣先でまじめに働いていた人と、そうではない人が一緒くたに報じられていた感は否めない。

 坂本哲志政務官の発言をめぐっても、反発する側、賛同する側の双方に一定の根拠はあったといえそうだ。

 ■潜むイデオロギーと政治色

 派遣村は12月31日に開設されたが、日にちが経つにつれ、政治、イデオロギー的なものが色濃く出るようになっていった。

 立ち上げ当初から、目立ったのが“野党色”だ。民主党は菅直人代表代行、共産党の志位和夫委員長、社民党の福島瑞穂党首らの姿も村で何回も見られた。国民新党、新党大地の姿もあった。1月4日には、村民たちを前に新党大地の鈴木宗男代表が「非正規労働者の雇用と住居の確保を求める国会決議」を提案。その場で他の野党が賛同するなど、村は野党共闘の舞台ともなった。

 村が5日に、日比谷公園から、都内4カ所に用意された施設に移動した時には、イデオロギー色がより鮮明にでる場面があった。実行委員会が企画した、村民らの日比谷公園から国会までのデモの場面だ。

 デモ隊の先陣は共産党とのパイプが太い「全労連」「自治労連」の街宣車。車の屋根には「憲法を守ろう」のスローガンが大きく書かれている。

 霞が関周辺でよく聞く甲高い声の女性がマイクを握り「消費税値上げ反対」「総選挙で政治を変えよう」「大企業の金儲けは許さないぞ」と、シュプレヒコールの音頭をとっていた。デモ隊の周囲には、交通整理の警察官と、公安刑事らの姿があった。

 1月15日には、派遣村実行委員会らが主催した集会が開かれた。タイトルは「やっぱり必要! 派遣法抜本改正~派遣村からの大逆襲~」。場所は千代田区の日本教育会館。日教組の本部が入る建物だ。約400人が集まった集会の最後は、派遣法改正に向けた「ガンバロー」の大コールで盛り上がった。

 彼らの“支援”があったからこそ、派遣切り問題が大きくクローズアップされたことは間違いないが、弱者を政治的に利用していたという側面はなかったのだろうか。

 ■派遣村の「村長」

 実行委によると、当初派遣村の開設目的は2つあった。「年末年始の生活救済」と「貧困を可視化することで世間に問題提起する」ことだった。そのため、会場には厚労省前の日比谷公園が意図的に選ばれたのだという。

 村の「村長」に就任したのは、NPO法人「自立生活サポートセンターもやい」の湯浅誠・事務局長。

 昭和44年生まれの湯浅さんは東京大学法学部で日本政治思想史を専攻。大学院まで進学した経歴を持ち、「大学院1年生の時、野宿者向けに友人がやっている炊き出しを見に行ったのが貧困問題とかかわるきっかけになった」と話す。

 平成13年に「もやい」を立ち上げ、困窮者の生活支援や生活保護申請の支援をしており、講演料や著書による印税が収入という。昨年、『反貧困-「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)では大佛次郎論壇賞を受賞している。

 派遣村の構想自体は、12月上旬に労働問題を専門にする労働弁護団から提唱されたようだ。労働組合のナショナルセンターである連合、全労連、全労協も足並みをそろえて支援メンバーに加わった。他に、非正規労働者の支援活動で実績のある「派遣ユニオン」「首都圏青年ユニオン」「反貧困ネットワーク」など15団体ほどが実行委員会に加わった。

 駆けつけたボランティアは実数で1674人。トイレ掃除、炊き出し、食料買い出し、清掃などを一部の村民も混じって行ない、村を支えた。

 「自分は発案者ではなかった。でも、組合系は炊き出しなどをやったことがない。現場経験がある自分が村長の役回りになった」と話す湯浅さん。運営関係者によれば、「さまざまな労働団体とつきあいがあるため、村長という御輿に担ぎ上げられたのではないか」という。

 多くの野宿者らと接してきた経験を持つ湯浅さんは「いったん雇用を失うと、すべり台を落ちるように再貧困にまで転落するのが日本の社会」「日本では自己責任論が幅をきかせすぎている。がんばりすぎる前に、支援事業にアクセスすべきだ」と主張している。

 ■厚労省開放

 運動の1つの山が、2日夜に厚生労働省の講堂が宿泊場所として開放された時だ。実行委員会の用意したテントの宿泊能力は150人分。村には300近い人が集まっていた。

 決断したのは厚労省の大村秀章副大臣(自民)。湯浅事務局長とは労働問題をテーマにしたNHKの番組で名刺交換していた。2日昼過ぎ、湯浅事務局長から入った「テントに入りきらず病人も出ている。受け入れ施設を用意してほしい」という電話に、「直感的にヤバイと思った。あの現場をみたら助けないわけにはいかないだろう」と振り返る。

 開放できる施設がないか、千代田区長にも電話を入れるが断られ、厚労省幹部も危機感を抱いていた。村を訪れた野党政治家らも河村建夫官房長官や舛添要一厚労省に電話を入れ支援を求めたため、午後5時過ぎ、「講堂に暖房を入れろ!」と大村副大臣が指示。9時過ぎには260人の村民が講堂に入った。

 ある厚労省幹部は「目の前の日比谷公園で、失業者が凍え死んだとなれば批判を浴びるどころか、内閣が吹っ飛んだかもしれない」と振り返る。

 実行委側が、会場にあえて日比谷公園を選んだ作戦が成功したわけだ。

 ■厳しい世間の反応

 だが、派遣村の村民たちに対する世間の目は、同情や理解ばかりではなかった。政党やイデオロギー色が強くなるにつれて、反発や厳しい意見が目立つようになってきた。

 産経新聞のネットニュースMSN産経ニュースで、10日から派遣村に関する意見を募集したところ、9割方が村民に対して厳しい意見を寄せた。

 「貯金はしていなかったのか」「職の紹介を受けているのに、選り好みしている場合か」「ゴネ得ではないか」…。「最初は同情していたけど、だんだんできなくなった」という声もあった。

 坂本政務官の発言に理解を寄せる声も多く届いた。これについては12日の東京新聞で、同紙の投書欄担当者が「非難が相次ぐ一方で、一定の支持が集まった」と書いている。各新聞社とも、似たような読者反響を得たのだろう。

 その後、村民らは東京都が用意した都内4カ所の施設を出て、その後は実行委員会が用意した都内2カ所の旅館を拠点にしながら、生活の再建準備を進めている。宿泊費などは全国から集まった約4300万円のカンパや、すでに生活保護支給が決まった人はそこから拠出されている。

 都の施設を出た12日の時点で、村民は約170人。日比谷公園を出たときには約300人いたため、130人が巣立っていったことになる。この300人のうち、生活保護の受給が決まった人はこれまでに290人。申請者のほぼ全員に、しかも短期間に生活保護が認められるのは異例なことだ。実行委員会では「やる気になれば、今の法律の枠内で、生活再建の足がかりを得られることが分かったことは大きな成果」と意義を強調。

 民主党の菅代表代行も「後世から見れば、派遣村が日本の雇用、労働問題の転機になったと言われることは間違いない」と話すが、全国にはなかなか生活保護が認められない人や、特に地方で派遣切りにあった人の中には、日比谷公園までやって来れなかった人もたくさんいる。生活保護は、私たちの税金から拠出されているのである。

 実行委では今後、全国各地に派遣村をつくり、放り出された人たちを支援していきたい考えだ。すでに、ノウハウの提供などを求める声が寄せられているという。

 だが、厳しい意見もあることを意識してか、15日の集会では名誉村長の宇都宮健児弁護士が、こんな言葉を漏らしている。「活動が広がるか。それは1人1人の村民のこれからにかかっている」。

ニュースURL↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090118-00000535-san-soci







Posted at 2009/01/20 12:49:45 | コメント(8) | トラックバック(1) | 政治関連ニュースねた | 日記
2009年01月20日 イイね!

昔履いてたオフタイヤ♪

昔履いてたオフタイヤ♪












(たまにはスタバ♪ww)





え~~、昔乗っていた四駆達で履いていたオフタイヤの画像が出てきました♪


初めて乗ったサンマルで履いてたジープサービス。リフトアップしてはいたものの全くのノーマルだったために7.00-16はオーバーサイズでした(^^;


こちらは今乗っているJA11で履いているタイ製のジープサービスのコピー(?)、エクストラトラクション。グリップは良さ気ですが減りが早い!(笑)


こちらは以前乗っていたジープJ53の初期の頃履いていた通称「下駄山タイヤ」。確かダンロップ製だったかな?(^^; 縦方向のグリップはそこそこでしたが、横方向は・・・、よく滑りました(笑)。


ジープでクロカンに夢中になっていた頃履いていたファイヤーストーンSAT(スーパーオールトラクション)。極悪タイヤでしたね~(笑)。大抵のマッドでもスタックせずに走れました♪グリップ走行良し、ブン回して良しのかなり優秀なタイヤでしたが、ロードノイズは凄まじかったです(苦笑)。


こちらは以前乗っていたディフェンダー110で履いていたミシュランXCL。高い次元でバランスの取れた名タイヤでした♪確か今は絶版だったと思います。再生タイヤで同じパターンのオリンピックECLというのもあったと思いましたが、今はどうなんでしょう?(^^;


こちらも110で履いていたジェネラルSAG(スーパーオールグリップ)。前述のSATに負けず劣らずの極悪タイヤでした(笑)。マッドでの踏破力もピカイチ♪テクのない下手ッぴの私は随分このタイヤに助けられました(^^;
ロードノイズもSAT同様極悪で、長時間高速を走ると耳鳴りが凄かったです(笑)。



以下はオフタイヤではありませんが・・・(笑)

こちらは中古で手元に来たレンジが初めから履いていたエイボンレンジマスター(笑)。減りが遅いというだけで、ごく普通のタイヤでした。釘を踏んでパンクしてしまい、次のタイヤにバトンタッチ(^^;


前に履いていたエイボンレンジマスターがパンクしてしまったために、急遽入れ替える形で履いたのがヨコハマのジオランダーATⅡ。オフ走行はしませんでしたが、ある程度の雪道も問題なく走れて、なかなか使えるタイヤのようでした♪


ジオランダーATⅡが寿命となり昨年入れ替えたATⅡの後継、ジオランダーAT/S。


こちらは今現在履いているスタッドレスタイヤ、BSのブリザックDM-Z3。
果たしてシーズン中に雪道を走るのだろうか?(苦笑)



Posted at 2009/01/20 00:25:41 | コメント(7) | トラックバック(0) | オフロード・アウトドア | クルマ

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何シテル?   08/07 11:17
65年式の四駆好きです。最近あちこちガタが来てます。オーバーホール出来たら良いのに(笑)
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