(安岡正篤-「人物を創る」より)
概念と論理の学問だけでは心が渇く
私(安岡氏)は田舎に生まれましたので、子供の時は自然に親しみながら育ちました。そして幼少時代から親たちの好みで、まず「四書五経」の素読から始まって、古典教育を受けました。ところがそういう勉強をしておるときに、ちょうど大正5年でありますが、世界大戦が始まった。これは第一次世界大戦といわれるだけあって、世界の人類に非常なショックを与えた。今度の大戦(第二次世界大戦)にももちろん大きな打撃を受けたけれど、第一次大戦というものを一度経験しておるから、みんなある程度の覚悟はできておった。しかし第一次大戦の時はそういう経験がなかった。もちろんそれまでにも戦争はあったけれども、国家と国家との間の戦争で、いわゆる世界的なものではなかった。それだけに受けたショックも大きかったのであります。
ちょうど日本の国民が、明治37年、8年の日露戦争の時に受けたショックとも似ておるわけであります。あのとき日本の国民は、それこそ小学校の生徒に至るまでみな昂奮して、日々の戦況に胸を躍らせ耳を傾けたものです。子供は子供ながらロシアを怒り、日本を心配した。第一次の大戦は私自身経験したことであるから、今だによく覚えておるが、青年の私にも大きな驚きであった。
ちょうどそういう時に、私は田舎の中学から東京のど真中にある第一高等学校へ飛び込んだのです。「丹波篠山山家の猿が」という歌があるが、全くその通りでありました。その上さすがに高等学校ともなると、学ぶことがまるで中学時代と違う。私はドイツ語の勉強から始めなければならない。論理学・心理学・倫理学・哲学概論・法学通論というような社会科学も勉強せねばならない。西洋の社会思想に関するいろいろな書物なども夢中になって読みました。
その頃は、今と比べると粗野というのか、野蛮というのか、例えばドイツ語にしても、初めてアー・ベー・ツェーとドイツ語のABCを習って半年もすると、先生は難しい本を得意になって講義する。翌年にはもうゲーテの「ファウスト」などというものを読ませる。学生の方も負けん気になって、マルクスの「資本論」などを原書で読んだものです。原書輪読会を作って、有志といっしょに勉強したり、他人に隠れるようにして読んだり、それこそもう夜眠るのも惜しいくらいに、いろいろな書物をむさぼり読みました。
ところが、あまりにも違うのです、今までやってきた「論語」「孟子」「大学」「中庸」あるいは「日本外史」「太平記」などというものと。田舎出の私には面くらうことばかりです。それまで読んだものはとにかく仁義・道徳・忠君愛国のことばかり書いてあった。ところが高等学校に入ると、反対のことばかり書いてある。みな仁義道徳だの、忠君愛国だのというものに疑問を持って、何か人間の悪というものを研究し、それを描写して、従来の人間観、国家観というものをことごとく打破する書物ばかりであった。
まあそういうことで、驚きながらも一所懸命そういう本を読みました。その頃の学生のような純真な情熱を以て、今どき原書で小説だの「資本論」だのを読む、馬鹿正直な勉強をする学生はほとんどおらぬだろうと思う。いや、教授からして少ないに違いない。というのは、今はそういう勉強をしなくても、便利な参考書といったものがいくらでもあるから、ちょこちょこと二、三冊読めば、マルキシズムというのはどういうものであるか、ゲーテの思想はどういうものであるかすぐ分かる。
ことに最近になると、いろいろのダイジェストだの、パンフレットだのというものが出てきて、実に簡単で楽であります。しかし当時はそういうものはない。辞引にしても、その頃はまだあまり良いものがなかったくらいですから、どうしても原典を読むよりほかにはなかった。ちょうど生の食物を食うよりほかにないのと同じこと。菓子を一つ食うにしても、我々の子供の時には、まだまだそれほど発達しておらぬ。書生の羊羹といえば焼きいもであったし、それも今と違って本当の丸焼きで、少し田舎に行けば、生で囓るのが当たり前であった。いわば菓子も自然に近かったわけで、学問もちょうどこれと同じことであった。
そういうことをやっておるうちに、一つの大きな煩悶が起こってきた。やればやる程なんだか淋しくなる、もどかしくなる、じれったくなる、居ても立ってもおれなくなる。今日の言葉でいえばノイローゼ、その頃は神経衰弱という言葉が流行っておりましたが、どうもその神経衰弱になる傾向がある。自分でもはっきり分かる。よく友達の中にも、精神に異常を呈するものがおりました。夜になるとふらふらと出て行って、酒を飲んだり、コーヒーを飲んだりしなければ、勉強ができないというのがおりました。深刻なものになると、寄宿舎を飛び出して、上野の山だとか、巣鴨や大塚だとか、この辺はまだその頃には森や林がたくさんあって、少し先へ行けば本当の武蔵野で、円太郎馬車がぴーっぴーっとラッパを吹いて、馬が糞を落としながら走っておる時代で、いくらでも散歩ができた。そういうところをいっぺん走りまわって、へとへとになってこないと神経が静まらぬ、というのが幾人もおった。
私もその神経衰弱にかかったわけですが、しかし幸いにして私には、子供の時から学んだ古典というものがあった。神経衰弱になったなと思ったときに、ふっと手にとって見たのがこの古典であります。「論語」だとか、「孟子」だとか、「太平記」だとか、吉田松陰のものだとか、もうその頃には王陽明のものや、大塩中斎の「洗心洞箚記」など愛読しておったのですが、ふっとそういう書物を手にとって読んだのです。ところが、なんともいい知れぬ満足感が、落ち着きというものが、腹の底から湧いてくるのです。ちょうど腹が減って、ふらふらになっておったのが、一杯の飯にありついたというか、咽がかわいて、こげつきそうになっておったのが、うまい水を一杯飲んだというか、とにかく飢えを満たし、渇をいやす感じがする。
いったいこれはどういうわけか、と思うことは思うのですが、なんといってもまだ未熟であるから、深くつっこむだけの能力もなく、また毎日の学課の勉強に追われて、そういう研究をする時間もなければ余裕もない。しかし始終それが念頭にひそんでおって、いわゆる近代学をやればやる程そういう疑問が深まるばかりである。そうして大学に入るようになったが、さすがにだいぶ頭も発達し、学問の方法にもよほど慣れてきた。その結果、これはこういうわけではあるまいかとか、これはこの疑問を解決する参考になりはしまいか、といった面にも頭が働くようになってきた。
そこでいろいろと渉猟し、考えてみて、東洋の伝統的な学問・思想・芸術というようなものとを比較したときに、つまり一言で言えば、東洋文化と西洋文化でありますが、どちらも同じ人間の文化であるから、統一的立場に立てば変わりはないけれども、差別の相に即してみれば、その特質に大きな相違がある、ということにだんだん気がつき、それをつきとめるようになった。
いったい、なぜ西洋近代の哲学だとか、社会思想だとかいうものをやっておると、人間がなんだか淋しくなったり、もどかしくなったり、あるいは神経衰弱気味になったりするのか。これにはいろいろ理由があるが、第一に気がついたことは、これは知性の学問であるということです。つまり知識の、抽象的な、概念と論理の学問であるということである。しかしここに気がつくまでにだいぶ時間がかかりました。
高等学校へ入って、初めて論理学であるとか、心理学であるとか、あるいは哲学概論であるとかいうものを学んだときは、ただそれを読んだというだけで、承ったというだけであるが、そういう疑問のお陰で解決の糸口がついて、もう一度逆戻りして、牛の反芻のごとくに高等学校でやったそれらの本を読み返してみた。論理学・心理学・哲学概論等々、当時、学生や知識人に魅力を以て迎えられた西田幾太郎の「善の研究」や、「自覚に於ける直感と反省」も読んだ。特に朝永三十朗の「近世に於ける我の自覚史」にはたいそう教えられました。ところが今度は、同じ本の読み方でも前とは違う。今度は自分から積極的に読む。
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Posted at 2011/01/06 20:29:00 | |
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