映画「この世界の片隅に」を2度観て、作中に登場する軍艦大和の艦上で手旗信号をしていたのには気づきましたが、信号の内容が解読できるように作っていたとは・・・。
そんな細かいディティールにも目を凝らしながら、もう一度観たくなりました♪
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「この世界の片隅に」女子アナ・戦艦大和… 片渕監督が貫いたリアル
11月12日公開のアニメ映画「この世界の片隅に」がヒットしています。30日夜に東京のテアトル新宿であった片渕須直監督と映画評論家の町山智浩さんのトークショーは、30分間で話題が尽きず、バーに移動してマニアックな話に。その場に記者たちも加わり、即席のインタビューとなりました。広島に原爆が落とされた日のラジオ放送が女性アナウンサーだった理由や精密な描写だった戦艦大和へのこだわりなど、片渕監督が熱く語りました。
□原爆が落ちた後も続く日常
――町山さんは自身のラジオ番組で「この世界の片隅に」を「町山大賞」に推されました。映画の魅力とは。
町山さん
ものすごい多面的ですよね。夫婦のラブコメ要素、正確な考証による戦争の真実を描く部分、ファンタジーでもあり、少女の成長物語でもある。いくらでも見るところはあるし、見る立場によっても違ってくる。一言で語れないところが魅力ではないでしょうか。
町山さん
僕がすごいなと思ったのは、原爆が落ちた後にもギャグがあるところ。そこで入れる?と。しかも、お客さんも笑っていましたからね。1カ所気になったのが、(原爆が広島に落とされた)8月6日の朝のラジオ放送が、急に明るい女の人の声になっていた点です。
片渕監督
あれは実話です。防空情報番組というのですが、当時の視聴者から「これまでの男性のアナウンサーだと過度に危機感をあおりすぎて怖い」という声が上がり、女性アナウンサーに切り替わったんです。
片渕監督
広島では昭和20年の8月1日から6日の朝までは女子アナウンサーだった。6日は原爆搭載機が広島上空に侵入したのを放送しようとして、直前に原爆が炸裂するんです。あの放送をしたアナウンサーはその後脱出して生存している。NHKの広島放送局の社史のようなものに載っていました。
□ディテールにこだわり
――ディテールにとてもこだわっています。劇中で戦艦大和が登場しますが、精密な描写でした。
片渕監督
艦上で手旗信号をしている兵隊がいたと思うのですが、信号の内容を解読できるように作っています。「当直士官より当直士官へ」と、相手側の船の当直士官を呼びだしているんですね。
――空襲のシーンでは、米軍機を迎え撃つ高射砲※の煙の色がカラフルでした。あれも史実通りなのでしょうか。
片渕監督
あれは海軍の高角砲の弾丸で、着色弾というのが実際あるんです。軍艦がたくさんいるときに、どの軍艦が撃った弾丸かを識別するために色を変えていて、6色ある。陸上の砲台にはありません。
片渕監督
軍艦がたくさんいる呉のような軍港だと、色つきの弾が出てくるんですよ。同じ高角砲でも陸上に設置されているやつの煙は白と黒だけなんです。軍艦の高角砲は赤とオレンジと黄色と青になるんです。実は呉特有で、日本の他の地域では、ああならない。
※高射砲…地上から飛行機を攻撃する大砲。陸軍では高射砲、海軍では高角砲といった。
――呉の人に取材をしてそういう話が出てきたのでしょうか。
片渕監督
呉市で戦時中の体験談をまとめた本があって、そこにたくさん出てくるんです。アメリカ側の攻撃機の搭乗員の「色とりどりだった」という談話もある。
□後知恵を徹底排除、タイムマシン的体験
町山さん
だから、もう一つの魅力としてタイムマシン的感覚がありますよね。資料館とか博物館では物が置いてあるだけだけど、この映画はものすごく体験的に分かる、当時を体験するシミュレーション的な魅力がある。
片渕監督
「当時こうだった」というものをそのまま切り取って説明なしに投げ出しているので、かえって体験的なものになっているんです。
町山さん
現在からの視点を入れず、後知恵を徹底的に排除していますね。
片渕監督
そうです。できるだけ排除しようとした。戦艦大和に2700人が乗っていると聞いた主人公のすずさんが驚くわけですが、あれが沈む不吉さというのは、後世の我々だから知っていることなんです。友人に、軍艦に乗っていた人の手記を集めているコレクターがいて、彼に軍艦の本を借りようとしたら、「一つだけ条件がある」と言われました。
片渕監督
「この軍艦を劇中に出せ」なんて言うのかなと思っていたら、「呉の6月22日空襲で大勢の勤労動員の女学生が犠牲になった。何とかして映画の中で語ってくれ」と言われたんです。
――映画の中で一瞬だけ、主人公たちと町中ですれ違った女学生の隊列がいました。歌いながら行進するシーンでした。
片渕監督
そうです。でも、すずさんの視点から離れて、「勤労学生がこんな被害に遭った」という、後世の視点からの描写をするのは本意ではなかった。だから、彼女たちが被害に遭う前の姿をできるだけ印象的に描こうと思ったんです。
片渕監督
劇中で歌いながら行進していた女学生たちは海辺にある海軍工廠の造兵部の防空壕に入り、そこに爆弾が落ちて壕が決壊して溺れ死んじゃうんです。呉に取材に行った時、当時中学生だったという男性に話を聞いたら「救援に行って掘り出して人工呼吸をしたけど、みなさんかわいそうじゃった」と話していました。
□「この世界の片隅に」という題名が象徴
――話を聞かなければ分からないけど、実は裏に隠れているこうした情報の量はすごく多いということですね。
片渕監督
たぶん歴史ってそういうもの。聞けば色々分かるんでしょうが、だからといって全部の情報は提供されない。それが、今生きている我々の感覚でもあると思います。
片渕監督
ちょっと驚いたのは、幼少時に呉に住んでいたという方があの場面を見て「あのお姉さんたちを実際に見た。ああいう風に歌いながら行進していた」というんです。できるだけ必然性、蓋然性を高めて映画をつくったけど、本当にそれを見たという方の子どものころの記憶がよみがえったという話は、かえって僕らに突き刺ささりました。
町山さん
水面にはほんの頭の部分しか出ていないけど、水面下にものすごい大きな塊がある氷山みたいな感じの映画ですよね。
片渕監督
「この世界の片隅に」という題名が象徴していると思うんです。世界の片隅に住んでいるすずさんの前には、大戦争をやっている本物の世界がまるごとあるはずなんだけど、彼女の目から見える範囲しか描かない。
□興行の危機、クラウドファンディングが打破
――この映画はクラウドファンディングによって支えられた映画でした。映画を見た後、エンドロールで出資した人の名前が流れますが、鑑賞した私も「何でこんないい映画に出資しなかったんだろう。お金を出せばよかった」と後悔しました。
町山さん
それは僕も思いましたよ(笑)。クラウドファンディングはすごい勢いでお金が集まりましたね。すごいスピードだった(製作にあたってはクラウドファンディングで資金を募り、2カ月余で全国の3374人から目標の倍近い約4千万円が集まった)。
片渕監督
前作(2009年公開の「マイマイ新子と千年の魔法」)の初動実績が悪かったため、今回の企画も興行的に危ぶまれていました。それをクラウドファンディングが打破してくれた。それと同時に、「こういうものだったら当たるだろう」という既存の価値観に対して、観客側から「そんなことない。こういうのも応援したくなるんだよ」と支持して頂けた意味が大きかったと思うんです。「今時戦争のアニメを作ってどうするのか」「誰が見に来るのか」という既存の価値観に対し、「いや、我々が見に行く」とファンの側から言って頂けたわけです。
片渕監督
空襲が出てくる戦時中の話というと、学校の平和学習で使われたり毎年8月にテレビで流れたりするようなイメージになってしまう。そうではない映画を作りたいんだというのを理解してもらえたのが、クラウドファンディングの効果だったのではないでしょうか。アニメーションって、今よりもっとたくさんの切り口が存在しうると思うし、映画全体にとっても実は、色々な方向性が存在している。だけど今は、「こういう方向性だと成功例がある」という経験にしがみつき過ぎていると思うんです。そこから逸脱してもっと面白いものを見つけ出す可能性を示してくれたんだと思います。
町山さん
映画に出資するときに、マーケティング会社は過去のデータしか見ないので、どうしても過去に当たったものにお金が入るシステムになってしまう。新機軸の作品とか、原作が売れていない作品は、リスクが高いからみんなお金を入れない。でも、観客の方は見たいものを見たい。マーケティング主導型の映画づくりに対するアンチテーゼだと僕は思います。
――テレビ広告などマスメディアの露出が比較的少ない中、口コミで観客が増えています。
片渕監督
クラウドファンディングと同じことが起きていて、僕らが宣伝するよりも、お客さんの支持が更にたくさんの人を呼び寄せていると思う。プロデューサーが「市民映画」と言っていましたが、公開前からファンの人たちが企画を後押ししてくれ、公開後もお客さんがどんどん後押ししてくれている。口コミの速度も、予想していたよりずっと速いんです。2週間くらいたたないと客入りが増えないと思っていたけど、初日の半日くらいで口コミの効果が出て、翌日からお客さんが増え始めました。
□想定を超える拡散、世代を超えた会話
――当初はここまで広がると想定していましたか。
片渕監督
思った以上にスピードが速く、拡大する倍率もすごい。もう一つ意外だったのは、60代以上の人が来てくれたこと。70代の方が40代の子どもに連れられて見に来る。「お母さんの子どもの頃が描いてあるよ」と連れてくるんです。平日の日中にそういう方が来てくれたのが予想外でした。戦後生まれの僕らがつくったものが、その当時のことを知っている方の子ども時代の思い出に直結したことは、すごくありがたいです。
町山さん
世代を超えた会話ができると思います。
片渕監督
年齢が高い方と、その方を見守るご家族にアピールできた。思いも寄らないことでした。「自分たちが戦時中の時代をどう理解するか」というつもりでつくっていたけど、実際にその時代をご存じの方にも通じた。僕らのリサーチと想像力が、そういう風に実を結んだとしたなら、一番ありがたいことですよ。
――それはアニメ表現ならではの効果なのでしょうか。
片渕監督
「絵で描く」アニメーションは、偶然が入り込まないと言われているんです。ところが、歴史的な事実が背景にあると自分たちの意図しないものがどんどん画面に入り込むんです。偶然性を映画の中に取り入れると、ある種のドキュメンタリーになる。それが作品にとって力になっている。私が大学で教えている学生に感想を聞くと、「映画を見てきたという気がしない。当時の人の横に立って家族の一員として時間を過ごしてきた気がします」と言うんです。そう思って頂けるのは、この映画が絵空事で済んでいないからだという気がしています。
http://withnews.jp/article/f0161204001qq000000000000000W05l10501qq000014383A