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スズキ「ジムニー」飽きられず売れ続ける理由
発売17年の現行モデルは今でも魅力満載だ
きょう12月9日に日本国内で発売されるトヨタ自動車の新型「プリウス」。1997年登場の初代から数えて4代目に当たるトヨタの看板車種は、これまで6~8年のサイクルでフルモデルチェンジ(全面改良)を重ねてきた。同じブランドを続けて売っていくなら、一定期間でフルモデルチェンジしていくのが自動車メーカーの基本戦略だ。性能向上だけでなく燃費や排出ガス、安全性などの規制を満たしていく側面もある。
一方、初代プリウスが登場した翌1998年に新型へ生まれ変わってから、その後の17年にわたって、フルモデルチェンジなしに作り続けている日本車がある。スズキの軽自動車「ジムニー」だ。1970年からスズキが売っているSUV(スポーツ多目的車)タイプの4輪駆動(4WD)車で、現行モデルは3代目に当たる。もともとサイクルは長めの車種とはいえ、どんどん最新技術が出てきたこの十数年にわたって同じモデルというのは、やはり異例だ。
しかもジムニーは、ただ生き長らえているワケではなく、根強い人気に支えられている。スズキは昨年1月、多少の悪路なら走破可能なクロスオーバータイプの軽自動車「ハスラー」を発売した。
ハスラーは多い月には1万台以上を売るヒット車になった。これがジムニーのお客を奪ったかというとそんなことはなく、ジムニーは月販1000台程度の販売を着々と続けている。目立つ台数ではないものの、発売17年が経った車として考えると十分な実績だ。
10月下旬~11月上旬に開催された第44回東京モーターショーもそうだった。魅力的なコンセプトカーや市販予定車が数多く並んでいたスズキのブースに、現行ジムニーが堂々と展示されていた。そのジムニーの周囲には人が絶えなかった。老若男女、幅広い層から注目されていることが理解できた。
筆者が気にしているだけかもしれないが、最近は東京都内でもカスタム(改造)を施したジムニーの姿をよく見かける。ジムニーは、なぜここまで長く愛されるのか。その理由を探ってみたい。
東京都世田谷区にある「スージースポーツ」。ジムニーのパーツ製作や販売、メンテナンスを行う専門店の秋山拓也氏は言う。「東京は地方に比べればジムニーの台数は少ないですが、昔のディーゼルエンジンを積んだSUVが都の規制で乗れなくなったので、ジムニーに乗り換えたという例はあります。
大雪や洪水など万が一を考えて選ぶ方もいます。街乗りで使う人が増えたのは、現行モデルの3代目になって2代目以前よりも快適性が高まったことが大きいですね」
秋山氏によれば、ジムニーは趣味で乗る人が多いこともあり、カスタム比率は高いとのこと。その流れを後押ししているのが、納車時に複数のカスタムパーツを装着して販売されるコンプリートカーだ。自分でパーツを選び、取り付けるには専門知識が必要だが、コンプリートカーなら専門店に「おまかせ」できるので人気が高まっている。
コンプリートカーは見るからに悪路に強そうだ。でもオフロード走行を楽しむユーザーは一部だという。釣りや登山、狩猟の足として選んでいる人もいるが、多くはアウトドアスタイルを楽しみながら街乗りに使うユーザーだ。それならノーマルでもよさそうな感じもするが、ジムニーには放っておけない魅力があると秋山氏は語る。それは「いじりやすさ」だ。
「自転車みたいな存在なんです。エンジンのスロットル制御がいまだにワイヤーだったり、サスペンションは前後ともリジッドアクスルだったり、作りがシンプルで、電子制御をほとんど使っていないので、自由にパーツを変えることができる。アルミホイールの品揃えなど、昔より増えているぐらいです」
スージースポーツではハスラーのコンプリートカーやカスタムパーツも扱っているが、ジムニーとは対照的にほとんど出ないという。ハスラーのユーザーは内外装のドレスアップがメインで、多くはディーラーでメーカー純正品を選んでいくという。ジムニーとの客層の違いがうかがえる。
地方はどうか。関東近郊でジムニーを見ることが多い都市のひとつ、静岡県御殿場市にある専門店、その名も「ジムニー秘密基地」の山口孝昭氏に伺った。店名で想像できるとおり、こちらもカスタムが盛んだが、最新ジムニー事情を尋ねたところ、返ってきたのは実用車としての性能の話だった。
「御殿場は岩手県と同じぐらい雪が降ります。鉄道は30分に1本ぐらいなので、通勤は車になりますが、乗用車タイプの4WDでは、大雪のときは走れません。その点ジムニーは最低地上高がたっぷりしているし、大径タイヤでローレンジも備わっているので安心です」
ジムニーを選ぶのはやはり男性が中心。奥さんがミニバンで旦那さんがジムニーという家庭もあるそうだ。オフロード走行を楽しむ人も多いが、状況によっては奥さんもジムニーに乗るので、7割はATだという。
「もうひとつ特徴的なのは、1台の車に10年以上乗る方が多いことです。ボディと別体の頑丈なラダーフレームを使っているので、ボディやエンジンを簡単に積み替えることができます。壊れたら買い替えるのではなく、直しながら乗り続ける車なのです」
ジムニーはライフサイクルも長い。1970年に初代が登場してから2回(1981年と1998年)しかモデルチェンジをしていない。しかし2001年に世界累計販売台数200万台を記録したという数字は、2004年から9年9カ月で同400万台を達成したスズキのコンパクトカー、スイフトと比べるとかなり少ない。
スズキといえば、コストダウンを徹底する企業として知られる。そんなスズキが、ジムニーの存在をなぜ許しているのか、不思議に思うかもしれない。しかし、ジムニーの生みの親は、40年近くこの会社の陣頭指揮を取ってきた、あの人、そう鈴木修会長なのである。
現在もスズキの会長を務める鈴木修氏は、1968年から数年間、東京に駐在している。このとき東京の軽自動車メーカー、ホープ自動車の創業者である小野定良氏との交流が生まれた。同社では軽自動車初の4輪駆動車ホープスターON360を1967年に開発したが、価格がスズキの軽自動車の2倍以上しており、販売網も貧弱で売れなかった。
そこで鈴木修氏は小野氏と交渉し、製造権を譲渡してもらうと、自社製エンジンを積み、独自のデザインを与え、車名をジープとミニを掛け合わせたジムニーとして、1970年に発売した。ジムニーはデビュー直後から着実に売れた。狭い日本の山間部での生活や作業にうってつけだったのだ。
ホープ自動車はON360を最後に自動車事業から撤退し、社名をホープに変え、児童向けアミューズメントマシンに専念。現在はこの分野で80%を超える圧倒的なシェアを誇っている。スズキのその後については、ここで改めて記すまでもないだろう。
ジムニーは誕生以来、ラダーフレーム、前後リジッド式サスペンション、ローレンジ付きパートタイム4WDという基本設計を、軽自動車サイズとともに守り抜いてきた。その間SUVの世界は乗用車化が進み、日本で売られる国産SUVで、この設計を守り続けるのはジムニーだけとなった。
一部で噂が出はじめている次期型ジムニーも、この基本設計を踏襲するという。その頑なさが、生活の足として、趣味の相棒として、カスタムの素材として、オンリーワンの存在になっている。しかもそれが、新車でも150万円以下で買える。愛され続けて当然である。
http://toyokeizai.net/articles/-/95803
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ジムニーって、初代から数えてもモデルチェンジを重ねてきたのは2回だけだったっけ?w
なんて、ツッコミどころもある記事ですが(フルモデルチェンジという意味なら初代LJ10からSJ30、JB23ということになるのかな?笑)、なるほどジムニーは根強い人気があるのですね♪
私もまだまだ手放せません♪(笑)
Posted at 2015/12/18 11:13:27 | |
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ジムニー | 日記