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16nightsのブログ一覧

2016年07月04日 イイね!

壮烈!ドイツ機甲軍団

壮烈!ドイツ機甲軍団











先日、ガルパンを一気見した時に思い出したのが、

拙ブログでも随分前に触れたことのある、小林源文氏の「壮烈!ドイツ機甲軍団」♪





重厚な画風は、やっぱりイイですネw



それにしても、平成の世になり女の子が戦車を乗り回すアニメがヒットするとは・・・www









Posted at 2016/07/04 16:12:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史・ミリねた | 日記
2016年07月03日 イイね!

政府専用機、ダッカ襲撃事件の遺族乗せ現地へ






今回のバングラデシュの首都ダッカでの凄惨なテロ事件。

犠牲となった邦人、そのご家族のことを思うと言葉もありません。



そんな中での政府専用機派遣のニュース。

意地悪な見方をするなら、自民政権による参院選前の点数稼ぎに見えなくもないですが、

このニュースを見て、5年前の東日本大震災直前の1月末にあった出来事を思い出しました。

今回の政府の対応は、当時の民主政権に比べれば全然まともな対応だと思います。



当時の民主党政権の菅総理が、スイスでのダボス会議(世界経済フォーラム)に出席したときのこと。

時期を同じくして、エジプトでは激しいデモから政変に発展し国内情勢は大混乱。

カイロでは500人の邦人が国外脱出できずに足止めされ、かなり危険な状態。

そこで外務省が政府専用機を邦人救出に使おうと提案したところ、「勝手に外国に行った奴を政府専用機まで使ってなぜ救うのか」と発言したそうで。

これにはさすがに外務省幹部も「国民を切り捨てるなんて首相として許しがたい。他国では救援機を送っている。一体何のための飛行機で費用はどこから出ていると思っているのか」と呆れたそう。



それからわずか数週間後には、今度はニュージーランドで大地震が発生。

この時には政府専用機を使って救助隊を派遣したのですが、よく考えもせずに現地で被害に遭った邦人の家族も一緒に政府専用機に同乗させるとパフォーマンスをしたはいいけど、結局定員オーバーでお断り。

当時の富山市市長さんが被害者家族をぬか喜びさせたと痛烈に批判されておりました。



そして5年前の3月には、あの東日本大震災が。

当時の民主政権の対応の稚拙さについては、いまさら私ごときが申すこともありません。





今回のダッカ襲撃事件では、民主、じゃなかった民進党の岡田氏が、菅官房長官が首相官邸に詰めずに新潟に遊説に出ていたのはけしからんと宣っておりますが、安倍首相が陣頭指揮を執っているのだからそんなに大きな問題はないように思えます。

実際、今回の事件では刻々と現地で状況が変わる中、日本政府にどれほどの事が出来たのかは甚だ疑問でしたし・・・。

と、そんな批判を遊説先でこれ幸いと大声でまくし立てている岡田氏も、野党第一党として民進党の代表であるという自負があるなら、与野党関係なく、政府とともに邦人救出の為に動いても良かったのではないかと。

批判ではなく、政府とともに邦人救出のために尽くしているんだと、パフォーマンスでもいいから動いていれば、ひょっとして、ほんのちょっとは民進党に対する印象も変わったかも知れませんが、結局批判だけで対案も出さずにいるのでは、国民の多くは5年前の民主政権時代の悪夢を思い起こすだけでしょうね・・・。



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ダッカ襲撃の遺族ら、政府専用機で現地へ 外相が見送り
朝日新聞デジタル 7月3日(日)10時19分配信

岸田文雄外相は3日、バングラデシュで起きた人質事件をめぐり、政府専用機で同日午後に現地に出発する邦人の遺族らを羽田空港で見送る意向を明らかにした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000016-asahi-int







Posted at 2016/07/03 17:15:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 社会全般ニュースねた | 日記
2016年07月03日 イイね!

かき氷ウマー♪(笑)

かき氷ウマー♪(笑)














シロップの減り方がハンパないwww





Posted at 2016/07/03 13:51:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 食べるというシアワセ♪ | 日記
2016年07月02日 イイね!

NHKスペシャル「“介護殺人”当事者たちの告白」






いま仕事の一環として介護の仕事にも関わっていますが、

実際にこんな話を目の前で聞きます。

もっと悲しい話も。

家族にも限界があり、介護従事者にも限界がある。

ご本人の尊厳、家族の尊厳、そして従事者の尊厳、

要介護者を支える者の体力、財力の問題、

本当に難しい。





「母親に、死んでほしい…」介護者の葛藤

「友人に電話で『母に死んでもらいたい』と泣きながら話をした」「死んでくれたら楽になると思い、枕を母の顔に押し付けたことがある」――。アンケート用紙には、家族の介護を担う人たちの切実な声が記されていた。NHKは2010年以降に家族の間で起きた殺人や傷害致死、心中などの事件を調べ、「介護が関係していた」事件が138件あったことがわかった。なぜ「介護殺人」は相次ぐのか。背景を探るため、いま介護を担う人たちの声を聞いた。
(取材・文=NHKスペシャル“介護殺人”取材班/編集=Yahoo!ニュース編集部)

NHKは、NPO法人「介護者サポートネットワークセンター・アラジン」の協力を得て、首都圏に住む家族を介護した経験のある615人を対象にアンケートを実施。388人から回答を得た。介護の期間や状況などのほか、「介護する相手を手にかけてしまいたい」「一緒に死にたい」という感情を抱いたことがあるか、という設問も設けた。回答を寄せたうちの一部の人には直接面会して話を聞いている。


□ 30代で始まった両親の介護

「母親は認知症になってから問題行動が出るようになりました。不潔になる、ものを取ってきてしまう、暴言を吐く、約束を守らない・・・。一般的には、寝たきりとか、歩行が難しい人の身体的な介護をイメージするかもしれませんが、僕の介護は、母親の引き起こしたトラブルの後始末がほとんどです」

埼玉県の39歳男性はため息をつく。77歳の母親は認知症になってから、トイレを流さなくなった。用を足し続け、何回分かをまとめて流そうとして、詰まってしまうのだ。

「トイレを一式全て交換しなくてはならない。20万かかるんです」

男性は埼玉県内の進学校を卒業し、都内の国立大学に進学。卒業後は、大手生命保険会社に就職し、親と同居しながら通勤していた。

8年前、父親が胃がんで手術。その後、物忘れの症状がみられるようになった。母親も腰を痛めて歩行に障害が出るように。市役所の相談窓口で介護認定を受けるよう勧められ、父親はアルツハイマー型認知症と診断されて要介護1の認定を受けた。

さらに2年前には、母親も認知症と診断された。その後、父親は食道がん、母親は糖尿病、高血圧などで入退院を繰り返す。両親は何度も倒れて救急車で運ばれ、男性はその度に会社を休んで付き添った。姉がいるが、結婚後は実家に寄り付かず、介護を手伝ってはくれなかった。男性は30代半ばで、残業も土日出社もできなくなった。


□ 「本当に介護なのか?」会社の無理解

会社の介護への無理解に男性は苦しめられたという。上司には「本当に介護なのか?」と繰り返し言われた。「お前は介護と言えば何でも休めると思っているのか」などと叱責されることもあった。

そんな状況の中で、両親の高額な医療費がのしかかる。4年前、母親が脱水と感染症で入院した時には、病院から個室に入る必要があると言われ、10日間ごとに10万円を請求された。

「病院に行くと、枕元に請求書が置いてあるんです。1カ月で30万です。自分の稼いだお金が、あっという間に消えていく。初めはなんとかやりくりしようとしましたが、あまりにお金がかかるので、そのうち、いくら節約しても無駄なんだと思うようになりました」

あまりのつらさに会社に行けなくなり、その年の夏、退職した。


□ 一線を越えてもおかしくなかった

男性は、両親を手にかけたいと思ったことがあるという。

父親の認知症が重かった4年前。「今日は何日」「今、何時だ」と何度も何度も尋ねられた。何度答えても繰り返す父親にかっとなり、「さっきも答えただろう。いい加減にしてくれよ」と突き放すと、「何だお前は」と頭を殴られ、 一階の居間から二階のベランダまでしつこく追い回された。

理解不能の行動を取る父親の存在は恐怖となっていた。男性は、父親から身を守ろうと、枕元にナイフを置いて寝ていたという。

「父親を殺すか、自殺するか、どちらかしかないと思っていました」

父親は2年前に他界。ぎりぎりのところで踏みとどまったが、今度は母親の行動に悩まされるようになった。自宅に近所のスーパーの名前が書かれたトイレットペーパーが転がっていたとき。店から無断で持ち出したと考えた男性が、母を問いただすと罵声を浴びせられた。そんな言い争いが度々起きた。

「人生台無しにされたんだからさ。殺したいよ、死んでほしい」。口論の中で、男性が怒鳴ると、激昂した母親が睡眠薬を取り出した。

「これを飲んで死ねばいいんだろう!」

男性は冷静になり「死んで欲しいというのはうそだ、飲まないでくれ」と説得したが、母親は「お前はそう言ったじゃないか」と繰り返した。死まで、紙一重だと感じた。

一線を越えなかった理由は何かと尋ねると、男性はこうつぶやいた。

「でも自分は、犯罪者になりたくないですもん。自分が大事だから。それだけです」


□ 介護の後も先が見えない

介護のために仕事ができず、先行きが見えない状況に苦しむ人たちは他にもいる。

「先の見えない状況に絶望し、親子心中を考えるようになった」と 東京都の51歳男性はアンケートに記入した。母親が認知症になり、営業の仕事を辞めて介護に専念。母親は銀行で引き出した生活費を全て失くす。同じ話を延々と繰り返す。真夏に暖房をつけて熱中症で倒れる寸前になるなど、信じられない出来事が続く日々。男性は、いらだちが募り、毎日が地獄のようだったという。

デイサービスを利用してはいるが、費用の面から、通えるのは週に3日だけ。徘徊のおそれがあり、ガスの元栓など火の始末の不安があるため、目が離せない。とても、仕事ができる状況ではないという。母親の介護が終わったとしても、その先をどう生きるのか―。将来を考える時、不安、という言葉では言い尽くせない、鬱々とした感情に支配されてしまう。男性は、「介護殺人」を他人事とは思えないという。

「最悪の状態のとき、さらに悪い条件がもう1つ2つ重なっていたら、自分も母も、今はここにいなかったかもしれません。これから先も、どうなるかわかりませんけどね」


□ 「親が死んだら出来るだけ早く死にたい」

「母が死んだ今、今度は父(の介護)で仕事もろくにつけないし、将来も何もない、たぶん、親が死んだら自殺するしかないと思う」
こう記述したのは都内に住む46歳の女性だ。

中小企業で社長秘書などを勤めていたが、40歳のとき、70歳の母親が膠原病を発症。女性は会社を辞め、実家で介護することにした。母親は入退院を繰り返し、身体がほとんど動かず寝たきりとなった。

介護しながらでも出来るだけ働きたい。派遣会社に登録し、区役所の窓口に勤務した。働き始めてすぐ、母親が体調を崩して救急車で運ばれ、早退したことがあった。職場には、同じように親の介護をしている職員もいたが、彼らには休暇や早退が認められるなか、上司は派遣社員である女性に冷たかった。

「母親が具合が悪いからって、気もそぞろで仕事が出来ていない」「彼女はやる気がない」と派遣会社に苦情が寄せられ、結局、数カ月で契約を切られたという。

「介護のために仕事が出来ず、自分で稼げたお金は1年に100万円未満です。短い時間でも働きたいが、40代になると仕事もめったになく、いつ親が倒れてまた呼ばれるかわからないので、仕事を始める意欲も気力もなくなってしまいました。やりたいこともなく、将来に何の希望も持てていません」

将来への強い不安。ハンカチで涙をぬぐいながら女性は言った。

「介護している父親が死んだら、自分を看取る人もいないし、できるだけ早く死にたいです」


□ 介護者を支える枠組みを

子どもが親を介護する場合、仕事を辞めざるを得なかったり、結婚の機会を逃したりと、人生設計が狂ってしまうことも少なくない。親の介護を担う人たちは、親への愛情と、自分の人生への不安や焦りの間で、気持ちが揺れ動いている。

アンケートの実施に協力したNPO法人、介護者サポートネットワークセンター・アラジンの牧野史子理事長は、「介護されるお年寄りの側を支える仕組みはあっても、介護する側の家族を支援する仕組みは不十分」だと指摘する。

行政の窓口も地域包括支援センターも、介護の手続きなどについての相談はできるが、介護者自身の気持ちや、悩みに寄り添うことはしてくれない。だからハードルが高くて行けないのだと、牧野理事長は話す。アラジンは、介護の初心者の方が気軽に相談に来られるカフェを開いているという。

「介護と両立可能な仕事の探し方を具体的に教えてくれたり、介護のストレスを聞いてくれたりする場所が必要です」

平成24年就業構造基本調査によれば、介護をしている人は全国で557万人にのぼる。不安と絶望を押し殺し、今日も家族の介護を続ける人がいる。彼らを置き去りにしないための、支援の枠組みが求められている。

http://news.yahoo.co.jp/feature/236





介護殺人”当事者たちの告白

いま、日本では2週間に一度、「介護殺人」が起きている。配偶者を手にかけてしまう「老老介護」のケースに加え、介護を担っていた娘や息子が親を殺害する事件もある。こうした「介護殺人」は、しばしばニュースで報じられる一方で、正確な統計はなく、全体を把握することは難しかった。NHKは2010年以降の6年間の事件を調査。半年間で11人の当事者に直接話を聞いた。なぜ一線を越えてしまったのか。悲劇を防ぐことはできないのか。当事者の告白から見えてくるものとは。(取材・文=NHKスペシャル “介護殺人”取材班/編集=Yahoo!ニュース編集部)


□ 「何で首を絞めたのかはわからん」

「我に返った時にはタオル持って、(この人)動けへんなって。警察や検事さんからも、何度も聞かれたけど、何で首を絞めたのかはわからん。でもこんな生活耐えられへん思って、やったと思う。あんな地獄は絶対、嫌。ほんまに経験者でないとわからへんもん」

関西地方の閑静な住宅地にある一軒家。夫の遺影が飾られた居間に正座した70代の女性は、認知症の夫を手にかけた時のことを静かに語った。

自宅で夫を介護し続けて3年。ある日、玄関先から突然、夫の悲鳴が聞こえた。駆けつけると、夫は転んで床に倒れていた。打ち所が悪かったのか、足を押さえて「痛い、痛い」と叫んでいた。このままでは近所に迷惑がかかる。急いで部屋に運び込んだ。そして、普段、夫が寝つくようにと服用させていた睡眠薬を痛み止めの代わりに飲ませると、徐々におとなしくなり、やがて寝息を立て始めた。

「寝てるわ」

ほっとして寝顔を見ていた女性の記憶は、そこで途切れている。次に覚えているのは、横たわっている夫の前でタオルを握りしめていた自分。夫の首を絞めたタオルは、夫が立ち上がろうとする際にテーブルに手をついて踏ん張れるようにと常に用意していた、ぬれタオルだった。

「この人こんなかわいそうなん、生きててもええこともないし。昔、元気な人やったから、こんな弱っている姿、情けのうて。本人もつらかったと思うもん。この人もう、ここまで生きたんやから、もうええやろ思った。私、ほんまに余裕がなかった」


□ 「加害者」を訪ねて

「介護殺人」の取材が始まったのは2015年の秋だった。全国にあるNHKの地方放送局の警察担当記者が取材に加わり、2010年以降の6年間に家族の間で起きた殺人や傷害致死、心中などの事件の情報を収集。当時の取材資料や裁判記録を調べ、弁護士への取材や現場周辺での聞き込みを行った。また、可能な場合は刑務所での面会も試みている。

取材の結果「介護が関係していた」と確認できた事件は138件だった。約2週間に一度、悲劇が繰り返されていることになる。ひとつひとつ住所を訪ねて歩くと、ほとんどは空き家か更地になっていた。近所の人にたずねても、所在はわからない。少ないながらも服役後、事件当時の住所にそのまま住んでいるケースや、連絡先が判明するケースはあった。居場所が判明しても取材を断られることもある。取材は難航したが、最終的に半年間で11人の当事者に話を聞くことができた。

冒頭の女性は服役後、介護生活の末に夫の命を奪った家で暮らし続けていた。今年4月、女性の家を訪ね、匿名を条件に話を聞いた。

夫と結婚したのは40年以上前。男女2人の子宝に恵まれた。自営で、建築関係の仕事をしていた夫は、家事は妻に任せるタイプの「昭和の男」だったが、子煩悩でキャンプや旅行によく家族を連れていった。女性も育児のかたわら夫の仕事を手伝い、職場でも家庭でも夫を支えてきた。

「あの人、気は短かったけど、子どもにはすっごい優しかった。バブルの時代は収入もよかったし、私も仕事を手伝っていたから、生活に余裕があって、一番楽しかったね」

バブルの崩壊後は生活が急激に苦しくなった。それでも、夫は家族を養おうと懸命に働き続け、長男と長女は無事に成人。待望の孫も生まれた。夫は孫を可愛がり、家には笑いが絶えなかったという。部屋の柱には、孫の背丈を測ったペンの跡がいくつも残っていた。


□ 息子や娘に迷惑はかけられない

そんな平穏な生活は、夫が脳梗塞で体が不自由になり自宅での介護が始まってから一変した。多い日は1日に20回近くもトイレに付き添い、排せつも手伝った。1度に眠れるのは2時間ほど。ズボンをはかせようとして手間取ると叱られ、手を上げられることもあった。

事件の半年ほど前には、夫が認知症を発症。会話もほとんど成り立たなくなった。夫は溺愛していた孫にテレビのリモコンを投げつけ、昼夜を問わずわめき出すようになった。

「完全に眠れへん。夜中でも、ものすごいわめくし、訳のわからんこと言うんよ。24時間テレビもつけっぱなしで、じーっと画面を見ているだけ。大好きだった野球を観ていても反応しない。もう目が死んでた。頭の中がもうパニックになってきて。ほんま死ぬことばかり考えていた。でも、自分が死んだら、息子や娘に迷惑がかかるから、それはできん」

家庭や仕事がある子どもたちに頼ることはできなかった。介護施設に入居させられないかと自治体にも相談したが、特別養護老人ホームに空きは見つからなかった。民間の有料老人ホームも探したが、入居費用は月15万円。夫婦の年金を大幅に上回っていた。

唯一、介護から離れられたのは、夫がデイサービスに通っている時間だけだった。週3回、午前10時から午後4時までの6時間。その間に買い物や家事を済ませると、一人で近所の公園に出かけ、ベンチに座り続けていたという。

「家におったら、もう気が狂いそうになるから。いつまで介護をやるのかと、頭の中でぐるぐるぐるぐる回って。これからどないしていこう、どないしたらいいんかなと。携帯電話を持ってずーっと眺めてて…。また、あんなつらい思いせなならん思ったら、あの地獄がやってくる思うたら、もうほんまに家に帰るの嫌や思いました。公園で、仲良く楽しそうに散歩しているお年寄り夫婦なんか見ると、元気でいいなって…。ほんまにうらやましかった」

夫の命を奪うことで先の見えない介護生活は終わった。仏壇の前には夫の遺骨が安置され、女性はこの日も手を合わせていた。

「後悔はしてない。やったことは悪い。でも、ああするよりほかなかった」


□ 弟でなければ、自分が殺していたかもしれない

加害者となった家族を助けられなかった自分を、責め続ける人もいる。

今年2月中旬。土曜日の昼下がり、中部地方の県営住宅に住む60代の男性を訪ねた。弟が認知症の母親の首を電気コードで絞めて殺害した。男性は弟と一緒に母親を介護していた。弟は自首し、実刑判決を受けて服役中だ。

男性は工場で働きながら、父親の死後、20年ほど母親と二人で暮らしていた。事件の2年前、母親が認知症と診断された。症状は日ごとに悪化し、母親は夜通しふすまを激しく叩き、大声で叫ぶようになった。

「騒ぐと寝かしつけて、また起きて寝かしつけての繰り返し。頻尿がひどく、1時間に2,3回起きる。毎晩、ほとんど眠れませんでした」

男性の母親の場合、認知症でも歩行や食事は一人でできたため、要介護2だった。施設への入居も考えたが、民間の有料老人ホームは月に20万円以上かかると言われ、あきらめた。特別養護老人ホームは入居希望者であふれ、4、5年待ちだった。

週に4回、デイサービスに母親を預けてから出勤し、夜は介護に追われる生活。1年ほどたった頃、過労で倒れ、救急車で運ばれた。

体は限界だったが、生活のために仕事はやめられない。男性は、25年前に実家を出た弟を頼った。弟は当時、無職。中学生の時は学校でトップクラスの成績だったが、生真面目すぎるところがあり、人に合わせるということは苦手だったという。会社勤めは長く続かず、40代後半からは生活保護を受けていた。求職中だった弟は、男性の頼みを聞き、同居して母親の介護を分担することになった。


□ 「母ではない化け物」

「全部きっちりやってくれました。掃除も洗濯も。料理は私がやりましたが、それ以外のことは全部任せていました」男性は振り返る。

しかし、認知症が進行した母親の姿は、弟にとって徐々に耐え難いものになっていった。

「被告人が特に辛かったことは、母親が大便を付着させた衣類の手洗い洗濯と、汚物の処理です。被告人は、認知症の症状によるものということが理解できず、意思の疎通もままならない母親が、次第に『母ではない化け物』であると思い込むようになっていきました」(弁護側の弁論より)

意味のわからない言葉を叫び続ける母親に、どう接していいかわからなかった弟。ある日、弟は暴れる母親を思わず叩いた。すると一時的におとなしくなったことから、母親が暴れるたび、殴りつけるようになっていった。

平日、男性が仕事に出た後に、弟は電気コードで首を絞めて母親を殺害した。介護を始めてから2カ月後のことだった。裁判の記録によれば、事件の少し前、弟は、母親が服やタオルに大量の大便を付けたままトイレから出てくるのを見た。その姿に、「一番辛いのは母親なのだ」と、殺害を決意したという。

服役中の弟から届いた手紙には、
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私は絶対に許されないことをしてしまいました。今は毎日毎晩母のことを思いながら手を合わせています」と、几帳面な字で記されていた。

男性は今も、弟の帰りを待ち続けている。

「弟はいきなり最悪の状態の母に直面し、急激に追い込まれてしまった。判決では、2カ月ぐらいでは介護疲れにならないと言われましたが、精神的に追い詰められていけば起こりうることだと思います。私は限界を超えそうになっていました。だから、弟を呼ばなかったら、私が母親を殺していたかもしれません。一番悪いのは、弟を呼んだ私です」


□ いつ誰が介護者になるかわからない

支援も受けられず、孤立した状態で長年介護を続けた結果、事件に至る―。そんなケースが多いのではないかと、取材前は考えていた。だがその推測は取材を進めると覆された。介護を始めてからの期間が判明した77件のうち、半数以上が介護を始めて3年未満で事件に至っていた。また、当時の状況が判明した67件のうち、4分3のケースで何らかの介護サービスを利用していた。

介護を担う人が550万人を超え、今後も介護が必要な人は増え続ける。誰が、いつ、介護者になるかわからない。「加害者」たちの告白は、大介護時代の課題を浮き彫りにしている。

http://news.yahoo.co.jp/feature/234



NHKスペシャル「“介護殺人”当事者たちの告白」は7月3日(日)午後9時~放送予定(NHK総合)

http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/kaigosatsujin/index.html




Posted at 2016/07/02 17:31:48 | コメント(2) | トラックバック(0) | 社会全般ニュースねた | 日記
2016年07月02日 イイね!

いま、ここにある危機

いま、ここにある危機














FB西村幸祐氏の記事より。(原文ママ)


いま、ここにある危機

昨日投稿した、《対中国機の緊急発進増加》という河野統幕長の記者会見の報道は、時事が「異例の言及」と書いた http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160630-00000113-jij-pol ように、ただのスクランブルの頻度の問題ではない。
織田元空将が、東シナ海ですでに戦闘状態にあると指摘し、萩生田官房副長官が一昨日の記者会見でそれを曖昧に否定したことに呼応している。
河野統幕長の6月30日の会見を、読売は1面トップ、産経も1面で伝えた。ところが、朝日は紙面のどこにも小さな記事もない。web版には小さな記事はあるが、紙面では全く報じられていない。東京新聞にも(恐らく中日も)記事はない。
統幕長の会見の小さな記事もないのは異常事態だが、それが逆に、現在の日本の危機を照らし出している。朝日と東京は、重要な情報を可能な限り削除し、中国共産党の意向通りの紙面づくり夫を行なっている。
最後の写真は、織田元空将の6月28日発表の記事を伝える、産経6月29日付一面。それと、夕刊フジ7月1日付。いま、何が起きているか、しっかり考えよう。











一言で言えば当用憲法9条2項が、諸悪の根源ってこと。
2項を削除するか、あるいは「よって前項の目的を果たすため国防軍を保持する」に改訂すればいいだけのこと。そうすれば、占領基本法に過ぎない不完全な当用憲法でも取り敢えず何とかなる。
日本人は米国やシナの奴隷でないのだから、交戦権があれば、この1カ月続いているシナの挑発はなくなる。なぜなら領空侵犯をすれば撃墜できるからだ。
現状では敵が攻撃しなければ、撃てないという苛酷な状況にわが空軍のパイロットが置かれていることを国民は知るべきだ。
安保法案反対で「自衛官の命を守れ」と叫んでいた政治家どもは、真っ先に9条改正に動きべきだね。





Posted at 2016/07/02 09:51:52 | コメント(1) | トラックバック(0) | 政治関連ニュースねた | 日記

プロフィール

「新型ルークス http://cvw.jp/b/304468/48614406/
何シテル?   08/22 23:18
65年式の四駆好きです。最近あちこちガタが来てます。オーバーホール出来たら良いのに(笑)
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