ちょこちょこブログにも書いてるんでご存知の方もいらっしゃると思いますが、自分はクルマのみならずバイク・ミリ
(タリー)・
エロ・そして自転車が好きなんですね。
で・・・自転車というと今ヨーロッパで有名な「ツール・ド・フランス」という自転車レースが開催されています。
簡単にいうとフランス国内を自転車で1周してどの選手が一番速くゴール出来るか?という内容のモノ。
もうちょっと補足すると、レースの合計所要時間が最も少なかった選手が優勝者となります。
最近はフランス国内のみならず、多少他国もコースに入ってたりしますが・・・
約3週間掛けて行なわれる為途中で脱落する選手も多く、結構サバイバルレースに近いモノがあります。
今年は7月3日~25日までの日程で行なわれておりレースも終盤に掛かっているんですが、そんな折
ある選手のとった行動がちょっとした論議を起こしました。
待つべきか、行くべきか コンタドールの行動に対する2つの筋の取った答え
今日、私は自分の考えをまとめるのにとても苦労している。第15ステージにおいて最大の出来事は、アンディ・シュレク(ルクセンブルク、サクソバンク)が超級山岳ポール・ド・バレの登りでマシントラブルに見舞われたことだ。そしてこのアクシデントに反応して前に飛び出したのがアルベルト・コンタドール(スペイン、アスタナ)だった。ここで問題となるのは、コンタドールがシュレクを待つべきだったか、それとも引き続きアタックを続けることが正しかったのかどうかだ。この件についての結論を出すのは難しい。何故なら、どちらの選択にも正当化できる確固たる根拠が存在しているからだ。
コンタドールは待つべきだったという意見
最近のツールにおいて今回と同様の状況になった時、前を走っていた選手は、落車した総合争いのライバルの合流を待った。2001年の下りでヤン・ウルリッヒ(ドイツ)が落車した後、ランス・アームストロング(アメリカ、現レディオシャック)はウルリッヒが追いつけるようにスピードを落とした。そして2003年、今度はアームストロングがミュゼットバッグに引っかかって、リューズ・アルティダンの登りで落車した際、ウルリッヒと先頭グループは、アームストロングが合流するのを待っていた。
最も近い所では、ファビアン・カンチェラーラ(スイス、サクソバンク)が今年のツール第2ステージで、数十人の選手が巻き込まれた大規模なクラッシュが起きたのを受け、メイン集団で競うのを止める判断を下した。この結果、落車していたアンディ・シュレクは、集団に戻ることが出来た。こういったケースからツール・ド・フランスにおいて選手たちはアクシデントではなく、自分たちの力と戦略によって勝敗を決したいと思っているとの論拠が成立する、そしてファンの大半は、この意見に賛成であり、選手たちの誠実さと素晴らしいスポーツマンシップが見られたことに満足する。
このような前例や行動が基準となり、コンタドールは今回の場面でシュレクを待つべきだったという声が上がっている。最も関連性のある前例としては2003年、アームストロングが落車した時、彼はイエロージャージを着ていて、ウルリッヒは総合部門でアームストロングから15秒差の状況だった。そんな中、ステージ最後の山岳と勝負所でクラッシュが発生しながら、それでもウルリッヒはアームストロングを待っていた。今日、コンタドールはイエロージャージのシュレクから31秒遅れだった。そして、シュレクのアクシデントは山頂に達していない所で起こった。彼らはステージ最後の登りと、レースの正念場だった。2003年の場合、ウルリッヒを含めた先頭グループは少なくともしばらくの間、アームストロングが来るのを待っていた。しかし今年の場合、コンタドールにサムエル・サンチェス(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)、デニス・メンショフ(ロシア、ラボバンク)はシュレクを待たなかった。
コンタドールが前に出て行ったのは正しい
自転車レースでは何でも起こりえて、結果に影響を与える。いくつかの事柄は自分に有利に働き、逆の場合もある。コンタドールが前に出たことを支持する論拠としては、誰かに何かトラブルが起こる度にレースを止めることはできないという指摘がある。より大きな問題として、みんなフェアプレイとスポーツマンシップが好きであるが、それをレースの最中に実行するのは難しく、何をフェアプレイやスポーツマンシップと意味づけるかは混乱するものだ。あなたが、マシントラブルやパンクで遅れた他の選手たちを待つ決断をした時、他の選手が前に出て行くのを受け入れられるだろうか。また、パンクやマシントラブルの原因が、選手の選択ミス(ギアを変えるタイミングを誤ったり、道路の陥没した部分を通ってしまったり、カーブで飛び跳ねてしまった場合など)によるものか、アクシデントかの違いは関係ないのだろうか。
今回のコンタドールと同じ行動を取った例が1999年、パッセイジ・ドゥ・ゴイスでの落車で集団が割れた時だ。アレックス・ツェーレは、これで先頭グループにいたランス・アームストロングに6分差をつけられてしまった。また、今年の第3ステージ、アームストロングは当時、総合優勝候補の1人と見られていたが、石畳区間の勝負所でパンクし、誰も彼を待っていなかった。また、彼は第8ステージの環状の交差点で再び落車してしまったが、ここでもみんな待っていなかった。実際、ステージレース、ワンデイレースの両方で最有力候補が、不運なアクシデントに巻き込まれた後、集団が彼を待たずに進んでいった例はもっとある。それは最有力候補にアクシデントが起こった後、集団が彼を合流するまで待っていた例よりも多い。これはレースであり、お茶会や人気投票ではない。落車したり、タイミング悪く自転車が故障してもレースは続いていく。誰かが不運な落車やマシントラブルに陥ったことで、勝利を掴むことは十分に有り得ることだ。
どちらにも言い分あり
どちらが正しいのか結論を出すのが難しいのは、片方の意見の弁護に対し、もう一方が同様の反論を出来ることだ。どちらかが明らかに正しい、または間違っているという答えはない。2003年リューズ・アルディダンにおけるランス/ウルリッヒとは状況が違っているが、もし、今日の場面でコンタドールがシュレクを待っていたら素晴らしいと言える。しかし、コンタドールにシュレクを待つ義務はなかった。ただ、前に行く結論を下したことを大会後半、または将来に渡って彼は非難されるかもしれない。
メイン集団は、彼ら独自の正義感がある。もし、選手たちがコンタドールは間違っていると感じているのなら、彼らはレース中にそれを知らせるかもしれない。それは彼らが、コンタドールに道路の外に押し出すといった悪意のある行動を取ることを意味している訳ではない。しかし、彼らはコンタドールと一緒に前に出ていかなかったり、彼を勝たせないため互いに協力しあって一緒に追走するかもしれない。それは来年のツール、または今年の終盤のステージにおいて起こる可能性がある。コンタドールと一緒に少人数のグループで走ることになった選手が、彼に協力しないかもしれない。
・・・自転車レースというのは結構特殊な一面を持っていると思います。
基本的なスタンスとして、
「チーム」として参加はするが、最終的にチームの「エース」を勝たせるのが目標
という一定の法則が存在します。
これだけ聞くと「ま~普通じゃね?」と感じると思います。
ちょっと違うのは「エース」以外のライダーを「アシスト」と呼ぶんですが、
「エース」を勝たせる為に、「アシスト」は自らを犠牲にしなければならない
・・・コレがあるんですね。
ちなみに、この「自己犠牲」の内容としては・・・
・ 「エース」の風よけになる(体力温存の為)
・ 「エース」の食料・ドリンク類を運ぶ(自転車レースでは走行中に食事を摂ります)
・ 「エース」がパンクしたら、自らのタイヤ(ホイール)を差し出す
と、実に色々ある訳ですね。
ちなみに最後の「タイヤを差し出す」というのは、チームのサポートカーにタイヤのストックが無く、他に方法が無い場合の最終手段ではあります。
その他、各ステージでは何箇所か勝負どころを設定されてるんですが、勝負どころまではチーム関係なく集団で協力し合って走行したり(チームごとに交代で先頭の風よけを務めたりする)、滅多に無い事ですが、あるチームの予備タイヤのストックが無くなった際近くを通り掛かった他チームのサポートカーがタイヤを融通してくれたり・・・という事もあったそうです。
このように、チーム間を超えた「協力性」と究極の「自己犠牲」、これらが渾然一体となっているのが自転車レースの醍醐味だと思います。
そう考えると、今回コンタドールがとった行動・・・果たして正しかったんでしょうか?
非常にデリケートな問題ですが、個人的には「相手(シュレク)を待っていて欲しかった」と思います。
コンタドールという選手はここ数年急激に成長した選手で、このツール・ド・フランスでも優勝経験のある実力者です。
文中のアームストロングという選手もツール・ド・フランスでは7度の優勝経験者。
実力のあるライダーだから・・・とまではいいませんが、頂点を極めた選手の行動というのは良くも悪くも他の選手に少なからず影響を与えるモノです。
ただ・・・文中にあるように、必ずしも「相手を待つ」必要が無かったというのも事実。
というか、少なくとも何らかのトラブルが発生したライバルを原因解決まで「待つ」というスポーツが他にあるのか?
自分は知りません。 (もしあればご存知の方、よければ教えてください。)
モータースポーツでも然り。
トラブル発生=負けですからね。
抜かれて当然、いかにマシントラブルを出さないマシン作りをするか?というのもチーム間の競争力のひとつですから。
マラソンなんかでも、トラブルが発生したライバル選手を他の選手が待っているなんて見た事も聞いた事もありません。
おそらく他のスポーツでは、この暗黙のルールはまず通用しないでしょう。
ただ。 ただね。
特定のスポーツにしか存在しない「ルールでないルール」があってもいいんじゃないか?と思うのもまた事実。
ルールブックに明記されてる訳じゃないんだけど、皆が知っている。 そんな感じ。
文中の言葉の索引ですが、
「ツール・ド・フランスにおいて選手たちはアクシデントではなく、自分たちの力と戦略によって勝敗を決したいと思っているとの論拠が成立する、そしてファンの大半は、この意見に賛成であり、選手たちの誠実さと素晴らしいスポーツマンシップが見られたことに満足する。」
まさにコレなんですよね。
昔の言葉でいうところの「騎士道精神」みたいなモノでしょうか。
自分は2003年の落車シーンを拝見した事がありますが、めっちゃ感動しましたよ。
今回の記事を書いた記者は次のような文章で記事を締めくくっています。
そしてみんなが覚えておかなければならないのは、多くのファンがサムエル・サンチェスやアンディ・シュレクを見るのはツール・ド・フランスの間、1年に1度のみだ。しかし、選手たちは何年にも渡って、毎週のようにレースで会う。ツールに出場している多くの選手たちは、10年間、またはそれ以上の期間、互いにレースで顔を会わせていく。そして多くの選手たちは同じチームで走ったことがあったり、契約やスポンサーの変更によって将来はチームメイトになることもある。各選手はレース中の行動、公平さ、能力、安全性、練習への姿勢、親近感などの要素から集団内においての評判が確立される。今日のようなステージが終わった後の夜、私たちはすぐにシュレクのマシントラブル、コンタドールの反応が示唆した事柄について話すことができる。しかし、良くも悪くも今回のコンタドールの決断は、集団内において長期間に渡って影響を及ぼすだろう。
逃げようと思えば逃げられる。
結果、今回のコンタドールのようにポイントリーダーだったシュレクを抜き去り、自分がリーダーになる事が出来るかもしれない。
ひょっとするとここで逃げるかどうかが自分のレース人生を決定づける要因になるかもしれない。
けど、待つ。
「相手のトラブルのおかげで勝つ事が出来た」
なんて言われたくない。
正々堂々と勝負して、どっちが強いのか皆に見せてやりたい。
見方によっては究極のエゴイズムかもしれませんが、結果観客はその行動に感動し、賛同するものです。
自転車レースはベルギーでは国技に指定。
スペインでは国王までもが夢中になる。
フランスでは大統領も観戦に訪れる。