![やっと終わった。。。 やっと終わった。。。](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/017/227/149/17227149/p1m.jpg?ct=88510aed7bd4)
今春は次男の大学受験でした。昨年は模試の結果を参考に受験する学校を絞り年末には決定したものの、1月のセンター試験の出来が悪くて急遽変更したりと大変でした。(
今年のセンターは荒れ模様だったと聞きました。)
それでも一番大変なのは受験する息子なので、親としては
サポート役に徹していました。
実は私には
苦い経験が有ります。それは長男の受験だったのですが、その頃の私は
「大学は子供が決める物だから行きたければ自分で進む大学を決めて受験すればいい」と考えていました。俗に言う
「放任主義」と言う「無責任」親父でした。
結果的に長男は楽に進学出来る専門学校(3年制)に進学し、3年後にはヤッパリ大学を卒業したいと言い出して、慌てて専門学校から編入可能な大学の4年に編入学しました。
幸運だったのは、通学していた専門学校から推薦による大学編入の道が準備されていた事でした。結果だけ言えば編入後1年で大学を卒業し、更に無事就職して目標とする職業で頑張っており、人生の選択としては"優"判定なのですが、
受験としては若干失敗したと思います。
私的には長男の能力をもっと正しく把握して上手に受験をサポートしてやれば、編入などと言う事態には成って居なかったのではと後悔していました。この経験から次男の受験では、
大学の特徴や、偏差値、受験科目、更に卒業後の就職業種などを調査して情報提供を行いました。
学校を調べている時に感じた事は、私立大学全般に言える事ですが、
「学部の構成」:その学部は何を目的に勉強するのか?
「受験方法」:センター併用や独自科目受験など組み合わせ多すぎ~
「判定方法」:高得点重点方式など意味が判らない物が有る~
それが大学の特色と言えば其れまでですが、あまりにも一貫性が無く高校3年生が正しく選択するのはしなんの業です。その為に高等学校が有るんだよって昔の私なら思っていましたが、多数の教え子の希望全てに公立普通高校の担任教諭が十分にサポートを行うのは困難でしょう。先生が悪いのでは無く受験の仕組みが複雑なのです。
表題にも書いた様に次男の受験は先日無事終わりました。明記する程の大学では無いので固有名は記述しませんが、一応息子の第一志望の大学に進める事に成りました。(急遽変えたけど第一志望?笑)でも
下宿です。私自身18歳で親元を離れ自立して現在に至りますが、やっぱり
送り出す親の気持ちは複雑な物を改めて感じます。 嫁は泣くんじゃないかな~~。
最後に、以前からブログを読んで頂いている浪費家7くん・ちゃんのオナーに向けて、苦言を一言・・・子供の学費も沢山必要ですよ~
これで私の親受験も終りホットしては居ますが、来月からは「仕送り地獄」の開始です、大学4年間の総額を概算すると
Ⅵ型FD×3台は買える勢いです。汗
更に下世話な話ですが、この数ヶ月の受験料×4校+入学金(私+公)の出費額は、リビルドRE楽勝積換え可能です。下宿や生活基盤の準備費まで合算すると
3桁諭吉超です。
あ~~あ 加えて「先月はガタガタ7の車検!」「今月はメイン車の車検!」で
車検台風も我家を上陸縦断中です。 親の傘の下で暮らしたいヨ~
出費続きですが、今月は我が家がそろって行動出来る最後のチャンスなので、なんとか最後の家族旅行にも行きたいな~~
民主党・・・高校より大学の学費を何とかしろよ~~怒
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何度も受験ネタのブログも無いと思うので、続けて別ネタ書きますね。
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「父さん頭が真っ白に成った」
第一希望の大学は地方大学でした、交通も不便だったので車で一緒に受験に行った時の話です。実は嫁も一緒に行って息子が受験してる間は観光してました。(笑)気持ちの問題ですが大学近くの神社にも観光がてら参拝しました。(こんな時だけ神頼みです。汗)
その日受験を終えて車に戻って来た息子が、開口一番に放った言葉が
「父さん頭が真っ白に成った」と言う言葉でした。直感的に不吉な事を想像させる言葉とは思いながら息子の話を聞いてみると、案外不吉な内容では無かったので紹介します。
話はセンター試験が終わった今年1月中旬の夜に戻ります。息子と私はセンター試験の出来について子供部屋で話し、明日からは気持ちを切替えて大学個別試験に向けて頑張ろうと話をしていました。
その時に私が話した内容は
「今から個別試験までの40日間、過去問を解いて確実に解ける問題を日に1問づつ増やして行ったらどうかな?本試験で1問でも習得した問題が出題されたらラッキーじゃん。」、自称(親から見れば殆ど勉強していなかったのですが。)・・1年間必死に勉強して来た息子に対して、なんてお気楽アドバイスしてるんだと思いながら話すバカ親父の発言に、息子は意外なほど反論しないで聞いていました。息子にしてみれば「半分呆れ」「半分腹立たしい」内容だったと容易に想定出来ます。
そんな話をしてから40日後の本試験会場で奇跡は起こりました。
・・
数学(大問4題で200点満点)のテスト問題を開くと、数日前に解いた問題が大問1問丸々ソックリ(答えまで同じ内容)出題されていた。それに気付いた息子はその瞬間に「頭が真っ白に成った」と言う話だった。その後は深呼吸をしてシッカリ配点50点の大問を
【ごっつぁん】したとの事だった。
これは本当に奇跡なのか? それとも運なのか? 運も実力の内と考えれば、この現象は努力の成果なのでしょう。
・・・いやいやドラマは以下に続きます。。。。。
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人生はままなりません・・・
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「最後に着た学生服」
受験ネタの主人公である次男が最後に着た学生服について書きたいと思います。
2月26日が高等学校の卒業式でした。息子にとって最後に学生服を着る日のはずでした。
半年程前に受験勉強に本腰入れる為に、自分から突然携帯電話を解約した息子だったのですが、おかげで大変な連絡を遅れて聞く事に成ってしまいました。
それは中学生時代の恩師の
訃報でした。その恩師は息子が悪いグループと関わり始めた時に親身に成って息子を公正させてくれたり。遅れ始めた勉強を毎日放課後強制的に集めて補習してくれたりと、息子に取って
人生そのものに影響を受けた今の時代には珍しい"男前"の先生でした
。(実際の容姿はお会いした事が無いので私は存じ上げていません。)
話がそれますが、その恩師は中学校に
「環境美化部」と言うクラブを作り、そこの顧問を担当されていました。環境美化部とは、
自分で壊した学校の施設を自身の手で治したり、汚した壁などを掃除して綺麗にするクラブで、部員のユニホームは先生自らが買ってくれた、
ワークマンショップ販売の"つなぎ"でした。そこの部は素行が悪く成った生徒を反強制で入れ
愛情で鍛え治すクラブでした。
どんどん話がそれますが、私が強く覚えている思い出に、息子が中学3年の秋に開催された運動会の昼休憩、毎年恒例に行われる「クラブ行進」
(案外母親には受けが良い行事)に、野球部やテニス部、サッカー部のかっこいいユニフォームに混じって、
黒い"つなぎ"で行進している息子達の姿です。半分情けない気持ちも有りましたが、
照れくさそうにグランドを行進してる息子に、まだまだ見込みは有るなって思わせてくれた内容でした。
その後は案外成績も回復し進学高校を決める3学期に、一応普通科高校(エリア51氏もご存知のTM高校です。)に進める学力が有るのに、工業高校に進学すると言う息子に
"喝"を入れて普通科高校を受験するように軌道修正もして頂きました。その時の言葉が
「明日までに工業高校を受験する理由を考えて俺を納得させて見ろ、そうで無ければ普通科高校に行け!」息子は真剣な恩師の言葉で普通科高校の受験を決めてくれました。工業高校に進学していたら、このブログの書き込みも絶対に有りませんでした。
話を戻して・・・
その恩師が、実は
大学受験の奇跡が起こった日に亡くなられて、高校卒業式翌日にお通夜がとり行われるとの事で、亡くなられる直前まで息子の受験を心配して頂いていた事を考えると奇跡も恩師の執念だったのではと感じています。
そんな経緯で中学校から直接名指しで息子にお通夜に参列する様に連絡が来ました。
息子も受験の結果が出たら直にでも報告に行って
「恩師が喜ぶ顔を見るんだ」と話していた矢先の訃報でした。
と言う事で、息子の学生服姿は
高校卒業式翌日の恩師のお通夜が最後の日に成り、受験の結果も途中報告に成ってしまいました。もちろん発表後に改めて中学校に報告に行きました。
息子にとっての学生服の思い出に一つほろ苦い思い出が追加された出来事でした。
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最後に
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この半年は息子にとって人生を左右する出来事が沢山ありました。来月からは新たな生活も始まる訳ですが、新しい生活が
息子にとって希望にあふれた有意義な4年になる事を祈っています。大学では留年しない程度にだけ勉強して、力いっぱい楽しんでくれれば良いと考えています。もうリッパな大人と認めて、親として
「立派に子離れ」したいと思います。