来年の話をすると鬼が笑う、と申します。
昨年の話をすると、鬼に怒られてしまうのでしょうか。
昨年11月に、名古屋市にありますアウトガレリア ルーチェで開催された、童夢の展示を見て来ました。
この企画展では、林ミノルさんがレースの世界に足を踏み入れてから、童夢-零 発表するまでの足跡が紹介されています。
まず初めは、林さんが最初に手掛けた車です。
カラス(ホンダ S600 レーシング)
1965年、レーシングドライバーで有名な(豪快な生き様でも有名な)浮谷東次郎からの依頼で、製作されました。
ベースは、ホンダ S600。
これをGTカーに改造する、といった依頼でした。
限られた予算と時間の中で、行われたこと。
それは空力ボディの製作と軽量化でした。
改造部分は2つ。
ノーズコーン
既存のボディはそのままで、上から被せています。
ライトカバーから見えるフロント部は、グリルを外しただけのノーマルボディが見えます。
ハードトップ
トランクリッドを外したボディに、こちらも上から被せています。
その為、トランクリッドがあった部分には大きな穴が開き、ハードトップと隙間が出来ていますが、そのままです。
ハードトップ後端には、スポイラーも付いています。
当時、「勝てるマシン」を作る為に、空力に着目するのは非常に稀有なことでしょう。
そんな空力の概念が確立していない時代に、整流の為にスポイラーを付けているとは。
林ミノルさんの非凡な才能を、感じずには入られません。
ハードトップの中を見ても、そのまんまS600のボディが見えています。
車が完成したのは、レースの前日。
しかも、車は他の改造も施す為に作業時は現場になく、形状確認も出来ていませんでした。
当然、形状が合うはずもなく、当日は現物合わせで、無理やりリベットで取り付けしたそうです。
なので、完成後の仕上がりは・・・
そこで、少しでも見栄えを良くしようと、無限(現M-TEC)創業者、本田博敏さんのアイデアで、つや消し黒に塗装されました。
それが元で、この車は後に「カラス」と呼ばれることになりました。
この黒塗装、私は黒板の塗料だと聞いていました。
ですが最近では、ストーブの耐熱塗料だという記述が多いのかな?
実際はどちらなんでしょうかねぇ?
この車を駆って参戦した鈴鹿クラブマンレースでは、車の効果かドライバーの腕か、見事デビューウィンを飾っています。
童夢-零
1978年に発表されました。
カラス以降もレーシングカー製作をしていましたが、なかなか事業として成功せず。
ならば!と一気に市販ロードスポーツカーへと舵を切ったのが、この童夢-零です。
その年のジュネーブショーに出展したところ、大盛況。
その後も市販化に向けて、開発が進められました。
あっ、このステアリング、覚えています。
これは、車両より先行して、単品で市販されていましたね。
公道走行可能な車として販売するには、型式認定が必要です。
当時の担当は、運輸省。
日本では、型式認定が取れれば販売可ですよ、と表向きにはなっています。
しかし、既存の自動車メーカーでない企業が、ゼロから開発した車の型式認定を取得するのは、非常に困難です。
最近になって、なんとか光岡自動車が可能にしたくらいですから。
これが30年以上前の話ともなれば、その壁がどれほど高かったか、想像に難くないです。
童夢も、この壁にぶち当たりました。
当時の運輸省は、申請を受理する気など全くなかったのでしょうね。
童夢-零といえば、先程のシルバーのイメージが強いのですが、赤もあったのですね。
実はこの赤い車、単なる色違いではありませんでした。
(私は色違いだと思っていました)
童夢 P-2
日本で型式認定が取れないのであれば、アメリカで取得して輸入車にしよう、と計画変更されたのです。
その為には、童夢-零をアメリカ法規に対応させたのが、P-2です。
この車では、バンパーが大型化されています。
また法規対応で、高さも上げられています。
ただ大きく高くすると、ボディデザインも大きく変わってしまいますよね。
そこで全体のイメージを変えない様に、ボディデザインを変えているのです。
実はそっくりなこの2台、共通部品はほとんどありません。
今度は、こちらの車でテストを重ねて、市販化に向けての開発が進められました。
そんな中、童夢に思いもよらない話が舞い込みます。
童夢-零の商標権です。
そのデザインを使用した、モデルカー、文具等の関連商品が販売されたことで、多額のロイヤリティーが支払われたのでした。
私も、色鉛筆だったかな? 購入して貢献しましたよ。
その収入で開発も加速するのか?と思いきや、これになりました。
童夢-RLのルマンチャレンジです。
根っからのレース屋さんである林さんは、それを資金にして元に戻ってしまいました。
童夢 P-2の市販化計画は、そんなことで 立ち消えに・・・
あの頃、大ブームを起こした日本のスーパーカーが、こんな幕切れだったとは。
ショッキングな結末を知った、驚きの1日でした。
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Posted at
2017/01/08 10:21:12