新しいカーライフ拠点の目玉のひとつである「インナーガレージ」。
前回の-車庫編②-では遂にそこに切り込み、一連のプロジェクトの首謀者である私の思いを強く反映した、”CHARGEカラー”のレーシーなゾーンを紹介しました。
そして、マニア度が極めて高いそのゾーンのハイライトとも言うべき一角が、ガレージ後方に設けた
ディスプレイスペース。
今回の-車庫編③-は、この一点に絞って徹底紹介します。
当「新しい隠れ家案内」シリーズの
イントロ編でも触れた通り、私が年男の2016年にカーライフ拠点の刷新(平たくいえば新居の建築)を決断した際に、自分自身の要望としてぜひとも実現したいと考えたのが、とある2つの世界の表現でした。
即ちそれは、「
カーライフの究極形を表現した世界」と、「
青春の情景を再現した世界」。
この2つを、ゼロベースのキャンバスに余すことなく描き切りたいと考えたのです。
前者は、旧カーライフ拠点での10年にわたる経験を元に組み立てた、理想形の追求。
自分自身はもちろん、家族やマイカーたちがもっと輝けるカーライフの舞台環境を整えるために、大小様々なレベルの必須要件を確実に盛り込みながら、新居の全体像とディテールを造り込んでいったのです。
その具体的な成果は、先の外構編や車庫編のブログ記事の中にも多数織り混ぜて紹介してきました。
要は、完成した新居を見渡すと、前者の世界を表現するための要素が至るところに確認できるというわけですが、後者の世界の表現はこれとは逆で、ごく限定的なエリアでピンポイント的に炸裂する傾向があります(^^;)。
さて、それでは私が後者の世界で用いた「
青春の情景」とは具体的に何を指すのか、大いに気になるところですね。
まず時代は20代の前半、ふとレース観戦に赴いた晩秋の富士で孤高の4ローターサウンドにすっかり心奪われた私が、マツダとロータリーエンジンの生き様に共感し、全世界の頂点レースに果敢に挑戦するマツダワークスをアツく追いかけ始めた頃。
そして、私の脳裏に浮かぶものはというと、小雨に煙る肌寒い富士の裾野で私が目にした場景であり、鼓膜を震わせた咆哮であり、周囲に漂った匂いであり、腹の底から響いた鼓動であり・・・。
その何れもが、私を今から四半世紀も前の青春の日々 ---心酔するものと出会えた充実の日々---に、いとも簡単にタイムスリップさせてくれる魔法のアイテムなのです。
ご存知の通り、マツダのル・マンチャレンジは私が4ローターの767Bと衝撃の出会いを果たしたその2年後に、787Bによる総合優勝という願ってもない形で結実。マツダが日本車初の快挙を成し遂げた1991年のル・マンの話は、26年以上が経過した現在も、未だに「日本車唯一の勝利」という枕詞とセットで語られています。
しかし私は栄光の1991年よりもむしろ、それまでの長年の紆余曲折のプロセスに強く共感しているのです。
つまり、夢のエンジンと言われたヴァンケル・ロータリーエンジンの研究から、幾多の苦難を乗り越えて自動車用エンジンとして実用化し、累計200万台を量産するまで技術を育て上げたマツダの強い信念と技術者の矜持。そして、予選落ちの憂き目にも決して諦めることなく、予選通過~完走~クラス優勝と着実にステップアップを果たしていった飽くなきルマンチャレンジと、その最前線で全力疾走し続けた、レースを心から愛する人々の熱き思いと執念。
こうした一つ一つの不可欠な要素が、時には一体となり、時には反駁し合い。それでも大きな目標に向かって軌を一にしていったその過程こそが、マツダが1991年に勝ち得た栄光よりも遥かに大切な成果であり、私は最後の数年間だけではありますが、一人の大ファンとして、マツダが独自の思想で続けた孤高のチャレンジのリアルな目撃者でいられたことを、何よりも誇りに感じているのです。
ピットで動けなくなった#1のメルセデスベンツC11に代わり、#55のマツダ787Bが初めてル・マン24時間のタイミングモニターの先頭に表示された最後の3時間は、全世界のマツダファンにとって至福の時間帯となったわけですが、私が自らのガレージに表現した世界の時間軸はそこにはなく、それに至るまでの数百、数千、いや数万時間の苦闘の歴史の中にあります。
だからこそ、当ガレージの主役はメジャーな787B(#55)にまつわるものではなく、私をこの世界に引き摺り込んでくれた767B(#202)に関するプロパティなのです。
アハハ。
案の定、話が思いっ切り横道に逸れてしまいましたけど、これこそが今回の話を-車庫編③-として独立させた理由でもあります。
私が上下二枠の展示スペースを用意してまで、レーシーなゾーンの構成要素として加えたかったのは、そんな青春の情景シーンの証言者たちでした。
まず、冒頭の画像の通り、上の大きなガラススペースには、1989年以降のマツダスピードチームのサーキットウェアーをズラリ。
ガラスの向こう側、ホビールーム内のハンガーバーには裕に20着を超えるお気に入りウェアが所狭しと飾られていますが、ガレージ側に向けて照明の当たるエリアには、CHARGEブランドのブルゾンやピットシャツを集結させています。
もちろん、当時私が大枚を叩いて購入したものもあれば、後年になって往時のワークスドライバーやチーム関係者の方から譲っていただいたものもあり、様々な思い出が詰まったお宝揃い。
であれば尚更、洋服ダンスの奥に仕舞っておくのではなく、常に表に出しておくべきですよね!
次に、ウェアーの下側には、'80年代から'90年代初めにかけ、マツダが発行していたモータースポーツ冊子「POLE POSITION」のバックナンバーから、1989年のル・マン(767B)、1990年のル・マン(787)、1991年のル・マン(787B)の各特集号と、1992年版のレナウン「CHARGE」ブランドのカタログを(^^)。
さらに、下側の小さなガラススペースには・・・
ハイ。
当然ながらここの主役は、マツダ767Bのミニチュアモデル達ですね。
1/43モデルの傍らには、その当時私が富士スピードウェイのスタンド裏の売店で買い求めたCHARGEブランドのサーキットギアを並べています。(なんて物持ちがいいんだ・・・笑)。
ちなみにその右側には、オートアート製「マツダ787B」の1/18モデルが2台(#55と#18)鎮座していますが、ここではあくまで脇役の扱いです(^^;)。
以上、私がこのディスプレイスペースに賭けた思いを切々と、そして長々と語ってしまいました。
斯くも充実していた青春の情景についての説明も含め、-車庫編③-はこれにて終了ですm(__)m。
ここからは少々余談になってしまうのですが・・・
私はただ懐古主義的に「あの頃は良かった・・・」と、遠い目で思い出に耽るため
だけにこの世界の表現を企てたのではありません。
公私も含めて今の自分を客観視して、「あの成功体験をもう一度」と、自らを奮い立たせる意味も少なからず込めたつもりです。
その結果として、今の私や将来の私に何をもたらしてくれるかは皆目見当が付きませんが、折に触れて自らを見つめ直すためのキッカケづくりとしても役立つならば、こんな少々過ぎた演出も決して無駄にはならないはず・・・と、ちょっぴり真面目モードで一連の蛮行を正当化したりもしています(爆)。