(和歌山県串本町にあるエルトゥールル号遭難慰霊碑)
え~~、世の中「歴史ブーム」だそうで、それはそれで大変良い事だと思います。
ただ、面白おかしく単なるトリビア的な知識だけでなく、以下にご紹介するような今の日本と世界の人々の在り方に繋がる「生きた歴史」というのも、ぜひ広めて欲しいものです♪
以前もご紹介したことのある“シルバー回顧録”の話題に
こんなお話しが・・・。
今から120年ほど前の1890年(明治23年)、当時のオスマン帝国(現トルコ共和国)の軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本沖で遭難し、多くの犠牲者を出した海難事故がありました。
当時、生存者を懸命に救助した地元住民の働きがオスマン本国にも伝えられ、皇帝始め多くのトルコ人が日本人の献身に大いに感謝し日土友好の端緒となりました。
今でもトルコの人々に親日派が大変多いのは、この事故の経緯についてトルコの学校の歴史教科書で必ずと言っていいほど取り上げられ、この物語から日本や日本人に親近感を持つトルコ人が多いからなのだそうです。
しかしながら、日本人でこの物語を知っている人は地元の方のほかにはそう多くないでしょう。
そんな私も偉そうな事は言えず、私はなぜか昔からトルコ、というか「ビザンチン」、「オスマン」、「コンスタンチノープル」と言った言葉の響きにノスタルジィを覚え、機会があれば一度訪れてみたいと思っていて色々彼の国のことを調べていた中でこの事故のことを知ったくらいでした。
それから約100年後、当時のイラン・イラク戦争が激しさを増すなかで、いよいよイランの首都テヘランがイラク軍の空爆に曝される事態となりました。在留外国人の救援のために各国が救援機を飛ばすなか、在留邦人が日本政府、民間航空会社から見捨てられテヘラン脱出が困難になる事態が発生しました。
そんななか、自国民の救援を後回しにしても日本人を救うために救援機を飛ばしてくれた国がありました。それがトルコ共和国です。
120年前の恩義を忘れず危機に陥った日本人を救ってくれたトルコの人々の「情け」と「史実」を日本人は忘れてはならないでしょう。
古代、上代、戦国・江戸時代の知識も教養として有意義なことは間違いないでしょうが、テスト問題のように単に知っていることを競う歴史知識よりも、目まぐるしく変化する国際情勢の中で現代の日本と日本人がどのように思われどのように振舞うべきか、その背骨となるような「歴史」をぜひとも学校でもブームの中でも伝えて欲しいものです。
「情けは人のためならず」・・・、某首相、真の友愛とはこういう事ではないでしょうか?
“シルバー回顧録”「情けは人のためならず」サイトURL↓
ブログ一覧 |
歴史・ミリねた | 日記
Posted at
2010/01/09 10:39:03