今回は、好きなというよりかは、あの国産メーカーが実はこんなのも作ってましたというご紹介になります。
メーカーはなんと、現在の三菱自動車です。
「三菱 シルバーピジョン」です。
第二次大戦後、兵器生産(特に航空機)を止めた三菱は、戦後様々な事業を始めました。その中のひとつが、スクーターの生産販売です。この辺は、あの中島飛行機(現在の富士重工、つまりスバル)と同じような状況だったと言えるかと。
今回は、スペックではなく一連の各モデルをご紹介。
1946年C-10、112 cc、1.5馬力
1948年C-11、
1950年C-25、
1953年C-26、
1955年C-57・192 cc
1955年C-70・125 cc 4ストロークエンジン
1957年C-90・200 cc 4ストローク 6馬力
1958年C-93・210 cc 4ストローク 7馬力
1959年C-110・175 cc 4ストローク 馬力
1960年C-200・125 cc 4ストローク
1960年C-300・125 cc 2ストローク
1960年C-76・192 cc 4ストローク
1960C-111・210 cc 4ストローク11.5馬力
1960年C-300・125 cc 2ストローク
1961年・C-230 210 cc 4ストローク 11.5馬力
1963年・C-140 125 cc 2ストローク 8馬力
1963年C-240・143 cc 2ストローク 9.2馬力
以上が1946年~1964年のスクーター生産終了までの主要なモデルです。
1946年からスクーターの製造開始。社名は中日本重工業→新三菱重工業→三菱重工業と変更、多数の車種展開も行われましたが、1964年にスクーターの生産を中止しました。
一番最初は、こんな形でした。
途中ではこんな形に発展、お尻周りがなんかアメリカンな感じ。
車名のシルバーピジョンは、平和の象徴である鳩からつけられた名前です。軍需産業に従事していた三菱の祈りが込められているそうです。
この時代は、町工場のようなメーカーからこのような大企業まで、スクーター生産が花開いた時代でもあります。ホンダもジュノオを作っていましたね。
しかし、最終的なシェアは東のラビット(つまりスバル)、西のピジョンと言われていて二分する状態でした。
最終的には三菱も「三菱360」という名の軽自動車を生産するようになり、スクーターの売上げも鈍くなったこともあり、完全に四輪へ移行しスクーター生産からは撤退したのです。
中古市場は、ボロボロのレストアベースでも、外観がそれなりに綺麗な実働車でもだいたい40万あたりでした。ラビットもそうですが、部品がほとんど欠品しているのでレストアは困難を極めるでしょうね。
これも、今、街で乗ったらお洒落な一台かと思われます。
Posted at 2016/01/31 23:35:31 | |
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