◇タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)
※画像:carviewさんよりお借りしました。
☆このログに登場する人物名は演出の為、敬称略にて失礼致します。
~Japan Power, JAPAN Money~
80年代から90年代初頭。
空前の好景気に沸いた日本。
いわゆるバブル好景気だ。
バブルに沸いたのはモータースポーツも同じ。
同時に日本の技術、品質を世界的にアピールできる機会でもあった。
空前のモータースポーツブームに沸いた。
その先頭に立っていたのはF-1だった。
ターボエンジン全盛の時代。
王者マクラーレンのエンジンはポルシェエンジンにKKKターボを搭載。
ロータスやリジェ、ティレルのルノーエンジンはギャレットだった。
遂に名門ウィリアムズに搭載することになったホンダエンジン+IHI(石川島播磨)製のターボが名乗りを上げコンストラクターズチャンピオンを手にする。
そのニュースはオイラもアツくなった。
翌年、ウィリアムズに加えロータスにもホンダエンジン搭載。
日本人初フルシーズン参戦ドライバー中嶋悟の登場。
鈴鹿にて日本GPの復活。
マクラーレンにホンダエンジン搭載ともなると無敵ぶりを発揮。
F-1ブーム到来。
オイラも深夜放送にかじりついて見ていた。
ジャパンマネーのスポンサー、レーシングチームも存在したのだった。
F-1人気に引きずられるかのように国内F3000も人気絶頂。
鈴木亜久里、片山右京、高木虎之介らがF-1へ。
エディー・アーバイン、ハインツ・ハラルド・フレンツェン、など外国人ドライバーもココからF-1へ旅立って行った。
そんな彼等に憚る一人の男。
星野一義という男。
「時代が合っていたら…」
国産メーカー各車ワークス活動本格化。
スポーツカーレースはGr.C時代へ突入。
王者ポルシェ956、962C。
WSCP、ルマン24時間に大活躍。
富士スピードウェイで行われたWEC in JAPAN。
そんな最強ワークスと国産ワークスとの差は天と地との差があった。
それでもルマンへトヨタも日産も参戦、完走を果たすのだが…。
夢に描いたのはイチ・ファンのオイラも同じ事。
1989年、日産が快進撃。
1990年には遂に先頭争いを演じるが…
夢中になっていたのだが、今だに夢に描いたまま。
1991年。
トヨタも日産もレギュレーションで追われたルマンにカン高いロータリーサウンドが響き渡った。
日本車初優勝に喜びと嫉妬の複雑な心境のオイラだった。
1992年。
日産がやってくれた。
長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男の日本人トリオがデイトナ24時間を制覇。
そのニュースに喜びも絶頂だった自分。
ツーリングカーGr.A。
欧州の本場Gr.AマシンがインターTECで富士スピードウェイに終結。
こちらも欧州パワーに国産車との差は歴然。
国内Gr.Aシリーズにまずトヨタ・スープラが気合の参戦。
必勝態勢で開幕戦になんとアラン・ジョーンズをドライバーに迎え優勝をかっさらったのだった。
日産はスカイラインGTS-Rをデビューさせる。
インターTECでは星野一義がアンダース・オロフソンと共にドライブするも勝利は遠かった。
カルソニックブルーのGTS-R。
星野一義にブルーのレーシングスカイライン。
それだけでワクワクが止まらない。
スカイラインGT-Rがデビューし必勝態勢。
遂にカルソニックブルーのレーシングGT-Rに星野一義がドライブ。
子供の頃に描いた夢が現実になった。
人は出来過ぎたハナシだというかもしれない。
しかし本当の話なんだからそれ以上は言葉も見つからない。
たまらず富士スピードウェイに行った自分。
目の前で見た勝利にオイラは突き進む事しか思い浮かばなかった。
WRCは4WD全盛。
トヨタはセリカでチャンピオンを獲得。
そこにスバルが名乗りをあげた。
ジャパワーはWRCにも。
モータースポーツブームとバブル景気。
世界へ挑戦へと導いた背景とジャパンパワー。
時代は追い風となっていた。
~ つづく ~
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モータースポーツ | 日記
Posted at
2020/08/14 19:46:09