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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2009年11月24日 イイね!

「探そう!ニッポン人の忘れもの」 Nジャン編 2

 「探そう!ニッポン人の忘れもの」 Nジャン編 2調子に乗って第二段を書いてみよっかな(笑)?
結構記憶に残るエピソードがあるものさ。

日産応援団に参加している時の、あるエピソードを書いてみます。








「不思議な出会い」

05年、SUPER GT 第2戦 富士 GT500km レース。
富士スピードウェイは新装初のビッグレースとなった。
日産応援団も気合が入っていた。

恒例のタトゥシール配布、貼り付けを有志によって行われていた。
今では女性陣が、率先して行っていて既に名人の域と言っても過言ではない。
しかしながら、当時はまだ今と比べたらスムーズとは言いがたい。

シールのデザインと製作は団長だった。
現場での貼り付けはタトゥーシール貼りの経験あるFさんや田上君、Nジャンだった。

決勝日。
晴天に恵まれた絶好のコンディション。
団長がタトゥシールについて呼びかけるとお客さんは数珠繋ぎで順番待ちまで出ていた。
何人のお客さんに貼ったかわからない。
小さなお子さんからご年配の皆さんまでご利用になってくれたのを覚えている。

ある女性の頬にタトゥシールを貼った。
角が丸まってしまった。
唯一の失敗。

「ごめんねぇ。」と言ったら「いえ、ありがとうございます。」と答えてくれた。
何十枚も貼った中で唯一の失敗だった。

何を隠そう、この日のレースが終わっても悔しい思いをしていた。
日産が優勝できなかった事じゃない。
あのタトゥシール貼り付けの失敗だ。
本当に申し訳なく思った。
「あの女性に悪い事しちゃったナァ。。。。。。」

数日後、ネットで日産応援団について検索をかけてみた。
どのような印象をお持ちだったのか知りたかったってのもある。
そこであるブログを発見した。
その女性だった。
画像に角のとれたタトゥシールが・・・・・・・
お詫びも兼ねてメッセージを入れさせてもらった。

「何か、イイ娘さんだな。」と思った。
まさかこういう人だったとは知らずに…



[参考] 当時のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/pinkypinkey/e/fb39ae94d0c58c75c74986a0273017c6#comment-list
Posted at 2009/11/24 22:36:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2009年11月23日 イイね!

「探そう!ニッポン人の忘れもの」 Nジャン編

「探そう!ニッポン人の忘れもの」 Nジャン編先日放送されたフジテレビ系列の番組、「探そう!ニッポン人の忘れもの」。
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2009/090914sagasou.html

元々は「めざましテレビ」で放送されているものだ。
http://wwwz.fujitv.co.jp/meza/wasuremono/index.html

注:現在は応募締め切りとなっております。
くちょーっ。逃したぜっ・・・・。

ちょっと自分なりに書いてみる。

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「小さな洋菓子店のお嬢さん」

二十代の若かりし頃。
ボクはその頃スノーボードに夢中だった。
当時、登場したばかりのステップインのバインディングとブーツが自慢だった。

仲間達と毎週のようにゲレンデに行った。
休日出勤があればナイターを狙って行った程だ。
気合が入ると長野や新潟までクルマで行くことになっていた。



途中、小さな町を通る。
そこに小さな洋菓子店がある。

ある日のこと、ゲレンデの帰り、ハンドルは後輩に任せていた。
信号待ち。
ふと視界に入った洋菓子店を見ると親子が買い物に来ていた。
接客に応じていたお嬢さんがいた。
三角巾にエプロン姿。
年の頃はボクと同じくらい。
その姿が、素朴でなんとも言えない可愛らしい様子で微笑ましく思った。
しかし無情にも信号が変わってしまった。

ちょっと恋心が芽生えてたかな(笑)?

その後、何度か店の前を通るが、お嬢さんの姿は1回あったか無いか・・・・・
もちろん買い物しようかとも考えたけれど、男達だけでケーキを買うのも何だか気が引ける。
結局それ以来、姿を見る事は無かった。

今は高速道路が開通し、あの店の前を通ることが無くなった。

今でもあの洋菓子店は、あるのかな?
あのお嬢さんは、あの時買い物来ていた親子のお客さんのようになっているんだろうなぁ。。。。。
Posted at 2009/11/23 22:56:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2009年07月16日 イイね!

シュノーケリングにハマった時。

シュノーケリングにハマった時。ある日、友人が言った。
「シュノーケリングに行かないか?」
オレは答えた。
「何ソレ?」
帰ってきた言葉は「まぁ、騙されたと思って一日付き合えや。」。

行ったのは伊豆の海。
この辺りの砂浜しか知らないオレは、半信半疑だった。
「本当に面白いのかよ。」

言われるがままにゴーグルとシュノーケルを購入。
フィンはボディボードのモノをそのまま流用。
友人にレクチャーしてもらった。

色とりどりの魚達に遭遇。
感動さえ覚えた。

ルリスズメダイとの遭遇。

キビナゴの群れ。

アオリイカとの出会い。

ミノカサゴウツボハコフグカワハギ

深いところに行けば自分は空を飛んでいるような錯覚…

「こりゃ、楽しいわぁ。」

それからというものの夏になると伊豆の海に行くのが楽しみになった。

本音を言えばスキューバもやってみたいが…
ライセンスもレンタルにしても予算が必要だからなぁ。。。。。

海の魚達と散歩するのは本当に楽しいモノです。







Posted at 2009/07/16 22:05:05 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2009年05月29日 イイね!

【思い出話】アツい冬 ~藤枝サッカー~

【思い出話】アツい冬 ~藤枝サッカー~オレが生まれた昭和42年。
藤枝東高校は、高校サッカー全国大会3連覇を達成。
藤枝の商店街は熱狂していたそうだ。

オレが中学になると高校サッカーは、清水東、清水市立商業、東海第一(現:東海大翔洋)と清水勢に押されていた。
藤枝東サッカー部は無名の学校にまで負けていた。

オレが住んでいた所より歩いて数分。
藤枝東高校の全国はリアルに思えなかった。

藤枝東に進学したワケじゃない。
だが親しんでいる学校でもある。
何人も中学の時の友人が進学していたし。

17歳の冬。
藤枝東高校は、久々に清水勢を下した。
全国行きの切符を手にした。

TV中継に見入るオレ。
「さぁ、ボールが渡邊に行ったぞ!」
幼馴染で1つ年上の渡邊兄さん。家も近所だ。
当然応援するワケ。

その後、TVのアナウンサーはこう言っていた。
「渡邊から、ボールは?中山だ!中山だ!」

準決勝。国立競技場。
相手は長崎代表、島原商。
藤枝東はドロー。PK戦に。
PK戦の末、藤枝東は敗れてしまった。
外したのがこれまた同級生だったことは黙っておこう(笑)。

中山選手(現:ジュビロ磐田「ゴン中山」)は「あの渡邊君のトスがなかったら」と最近TVで言っていた。
オレの中学の時の同級生、ギャグを連発するT君は東高では中山選手のツレだったらしい。

余談だけど、渡邊兄さんの弟の毅君は小・中学校で、これまたオレの同級生の弟、名波浩選手と共に戦ったらしい。
渡邊毅選手はその後「柏レイソル」に。
名波浩選手はその後「ジュビロ磐田」に。

藤色のユニホームは今でも健在(名波選手は清水商)だ。

Posted at 2009/05/29 23:18:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2009年05月29日 イイね!

【思い出話】消えた夏 ~高校野球~

【思い出話】消えた夏 ~高校野球~中学3年の夏。
No.1シード校になった高校があった。
後にオレの母校になった。

当時、強豪の名電工を下し夏の甲子園静岡県大会優勝候補となっていた。
しかし、惜しくも静岡高校に敗れてしまう。
その静岡高校は静岡県大会で優勝。甲子園ではあの水野投手がいた徳島県代表、池田高校に3-2で敗れてしまう。
その池田高校はこの年の甲子園全国優勝を成し遂げた。

オレが高校に入学した。
当時の野球部はまだ行ったことのない甲子園を目指して練習を重ねていた。
吹奏楽部だったオレはパーカッション(打楽器)担当で吹奏楽部ではリズムを刻む。
野球の応援に吹奏楽と応援団は欠かせない。
何度も合同練習を重ねた。

高校1年の夏。
静岡県大会で応援を開始。
この時、初めて応援の楽しさを知った。
だが、古豪、静岡高校に準決勝で負けてしまった。
その静岡高校が甲子園に行くことになった。

高校2年の夏。
今度は浜松商業に準決勝で負けてしまった。
その浜松商業が甲子園行きの切符を手にした。

高校3年の夏…
順当にコマを進め、初の静岡県大会決勝に進出。
念願の甲子園は目の前だった。
対戦は東海大工業(現:東海大翔洋)。

吹奏楽部は部員が減った。OB達が協力してくれたが、パーカッションはオレ一人。
ドラムセットを叩いていた。
いつもは人数の少ない吹奏楽部が大楽団になっていた。

1回裏。先制したわが母校。
優勝に近づいたと沸きに沸いた。

だが…乱れる我が母校野球部。
試合運びが崩れて逆転。
最後には差をつけられて敗れてしまう。

熱い夏は終わった。
甲子園は夢のままだった。

ただ、応援の楽しさやドキドキ感を教えてくれた我が母校。そして野球部。スタンドのエネルギー。

Nジャン、18歳の夏…

応援にハマるキッカケはココにもあったんだろうなぁ。

それから19年後、我が母校は念願の夏の甲子園へ出場。
2回戦、強豪の山口県代表 宇部商に敗北。
だが、初の甲子園大会出場は誇らしかった。
Posted at 2009/05/29 22:45:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記

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