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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2022年06月15日 イイね!

秋葉家と過ごした西伊豆の夏

秋葉家と過ごした西伊豆の夏秋葉和樹(氏名公開許可済)。
トヨタモータースポーツのサポーター、豊田私設応援団副団長(https://profile.ameba.jp/ameba/ouentai/)である。
今現在、豊田私設応援団代表である谷やんが諸事情により活動休止中の為、彼が代理で応援団の先頭に立っている。

プロフィールとしてはココまで。
人間としては我々と大して変わらない、イチ、オヤジである。
いや、今の彼はお孫さんが誕生し、お爺さんになってしまった(苦笑)。
オイラより4つ年下なのに爺さんってかw



我が家の夏休み計画は未だに保留中。
女房殿がナカナカOKの判断を下さない。
我が家の台所事情が厳しい所にある。

秋葉家は今年の夏もGOサイン。
但し、かつての状況とは違い、我が家と同じ行動がとれないのは必然的。

この先はわからないけれど、秋葉家の皆さんと過ごした夏は、思い出話になるのかもしれない。

田子瀬浜海水浴場にて 10

事の発端は、我が家の西伊豆ツアーのブログを見ていたようで「面白そうだ」という印象があったのだという。
コミュニケーションの中で彼は「西伊豆なら土肥の海に行った事ありますよ。」との事。
オイラが「あー、オレんち行くトコ、土肥のちょっと先。すぐだよ。」と答えた。

どうやらその際、お誘いしたようだが、オイラはその記憶が全くない(爆笑)。
そうとは知らない(激爆笑)秋葉くん💛
「ご一緒しようかと思って…」というメッセージが飛んできた。

「ま、いっか。それはそれで面白いかも」
それで同行ツアーが始まったのが2015年の夏の事。

DSC_0702

東京育ちの秋葉家の子供達。
自然に触れる機会が少ない。
長男クンは残念ながら病で他界されてしまったけれど、オイラは彼も連れて行っている気持ちだった。
それは秋葉家の皆さんも同じだろう。

次男のケータを連れ出してシュノーケリングを教えるともう夢中。
その楽しい世界にクギヅケになっていた。
オイラはオイラで我が家に男の子がいないモンだから、楽しんでいた事もある。

DSC_0008

海水浴、シュノーケリングのみならず、観光やグルメの楽しみ方を教えた。
行きつけの温泉宿に泊まっては、サーキットにおける応援団としての現場では話せない話を楽しんだりしたことも記憶している。

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そんな西伊豆の楽しみ方を教えれば、「次回からは秋葉家単独で」というつもりだったけれど、何故かまた翌年も我が家と一緒を指定。
それからオイラが膝を壊した2018年を除けば2019年まで一緒だった。

我が家と一緒が楽しかった事も、全く無かったワケではないのだろうけど、楽しみ方をもっともっと盗みたかったのだろう。

本人は後に言っていた。
「一回行けばくらいに最初は思っていたの。だけど、西伊豆の魅力に自分達がどっぷり浸かっちゃったんだよね。まさかこんなにハマるとは思っていなかったの。」

最近、オイラは言った。
「もう子供達の成長もあって、夏はそろそろと考えているワケ。他の季節も興味あるし。だけどね、夏の西伊豆の魅力がもう何十年も通っているけれど、色褪せなくてサ。」

彼も答えた。
「それ、すごくわかる。Nジャンさんのいう『行けばわかるさ!』っていう意味がよくわかった。」

夏という季節ではないにせよ、オイラもリタイヤする時が来たら、ヤツを誘って西伊豆の海岸でもドライブしようと思う。
その時のガイドはオイラじゃなくて良いだろう。

伊豆には、達人、ガリガリ君 #やましたかつひこ がいるのだから(苦笑)。

~♪

IMG_6570
Posted by (C)Nジャン

Posted at 2022/06/15 21:58:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2022年02月16日 イイね!

70年代のシーンを思い出して

70年代のシーンを思い出して※メイン画像:https://photofunia.com/ 

ふと70年代の頃を思い出していた。
1967年生まれの自分。
3年ほど60年代を過ごしてきたがさすがに記憶にない。

当然ながら70年代は自分の少年時代。
何で思い出したかというと、松坂屋静岡店の地下フロアにある、回るお菓子コーナー(https://maidonanews.jp/article/13811340)が来月引退するという情報が入ってきたのだ。

松坂屋静岡店というと、当時、自分が住んでいた藤枝には目立つ大型商業施設もなく商店街全盛。
品揃えの良い百貨店ともなると静岡市まで行かなければならなかった。

松坂屋静岡店はその代表格。
地上駅だった静岡駅を見渡せる今は無き上階レストランで、お子様ランチとクリームソーダはオイラの必須アイテム(爆)、屋上遊園地で遊びまくり、玩具店でおもちゃでも買ってもらおうモンなら有頂天。
最後のシメはその回るお菓子だった。

そんな事からふと70年代を思い出していた。

ブルートレインや新幹線が大好きな鉄道少年。
スカイラインが大好きになったクルマ好き。
そしてスーパーカーブーム到来。
静岡出身のアイドル、ピンクレディ。

終末はタイムボカンと仮面ライダーと8時だヨ!全員集合!。
ダイヤル式のTVチャンネル。

電話は通称、黒電話。
ヨーヨーにバンバンボール。

そんな時代背景、懐かしいと思いつつも、どこか楽しく過ごしてきた時代。
大人たちがオイルクライシスを背景に気難しい顔をしていた。

そうとは知らず、人生ゲームのルーレットを回す。
プラレールにトミカ。
グローブ&バットかサッカーボール。

大人になったらランボルギーニ・カウンタックとかいう連中ばかり。
そんな中、日産スカイラインと言い張っていた変わり者(爆)。


Posted at 2022/02/16 19:35:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2022年01月27日 イイね!

Nジャンさんにとっての昭和 ~古き良き時代~

Nジャンさんにとっての昭和 ~古き良き時代~昭和42年。
自分が生まれた年である。

平成になったのは二十歳過ぎ。
その前、物心ついた時からの昭和を思い出していた。

工業製品は、今の技術に比べたら、ずっと技術は劣っていた。
スマホも無ければネットも無い時代。
デジタルよりもアナログ全盛。

今やシャッター化された商店街は華々しかったし、大型商店がいくつもあった。

メディアも今みたいに煩くなく、結構きわどい事もやっていた。
心底笑えることに、何故か夢中。

身内も明るかった。
祖父と祖母は健在。
叔父と叔母。
今は閉店してしまった家業の駄菓子屋は次々とお客さんがやってきた。
嫁に行った筈のオフクロは歩いて行けるその実家に普通に行っていたし。
親父の実家は山形で帰省した時は道中も向こうの親戚の人々も愉快な人々ばかりだった。

自転車に乗って行きたいところへ行った。
夢中になって仲間と語り合った日。
他愛ない話で爆笑を誘う。
くだらない事が大好きだった。

時は流れあの頃よりずっと歳を重ねた今の自分。
アタリマエだけどサ。
当時のオヤジさん達の年齢になっていた。

出会った人々、今は何しているのだろうか。
もう会えない人もいるし。

これまでの自分。
この先の自分。

♪思えば遠くへきたモンだ
 この先どこまで行くのやら

Posted at 2022/01/27 21:11:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2021年07月20日 イイね!

Summer of 1987

Summer of 1987※画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)

某SNSの部屋で話題がHCR31型日産スカイラインGTS-R。
忘れやしない、1987年の夏の事。
既に販売店に行った時にはSold Out。
欲しくて欲しくてたまらなかった限定800台。
営業サンは通常販売のGTS-Xを勧める…
何度も繰り返していた初の新車購入、R31スカイラインGTS妄想。

そんな1987の夏。
二十歳直前の自分。
まだまだ青春真っ只中のつもりだった。
夢に描くスカイラインGTS。





夜のヤマへ行けばボーイズレーサー、テンロクが一番人気。
通称 ¨ 走り屋 ¨ と呼ばれる連中が屯していた。
レビン、トレノのAE86は生産終了から間もない夏。
名残惜しむ連中が話に花を咲かせていた。







他にもセリカ、セリカXX、MR-2、フェアレディZ、シルビア、ランサーターボ、RX-7…
駐車場は賑やかだった。

昼のビーチは若者のパラダイス。
海に入って遊泳も楽しかったけれど、自分の場合は雰囲気組。
水着のチャンネー(死語か!?)を眺めているだけでも幸せだったりする(爆)。


※画像:https://publicdomainq.net/

聴いていたのはノンストップのユーロビート。
裏通りにあった「ディスコ」と呼ばれる場所に足を運ぶ事もあったりする。




※画像:https://publicdomainq.net/

「まだ可能性があるンじゃね?」
身の程知らずは相変らずバンドに夢中。


※画像:https://publicdomainq.net/

二十歳の誕生日まであと少し。
アルコールはもうちょっと我慢・・・・・してましたな(ゴホン!ま、時効という事で)。

まだ何かを求めていた1987年の夏。
可能性があると信じていた。

1987年の夏、利益の為とかいって輪番休日ってのをやっていた自動車業界。
その後、労働組合から大バッシングがあった事を未だに記憶している、

だけど凄く楽しかった夏。
確かに若かった。
若さゆえに壁に当たりまくっていた。

そんな1987年の夏。

Posted at 2021/07/20 19:50:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記
2021年03月31日 イイね!

あの頃の華

あの頃の華さて、この病院に入って一ヶ月経つとアレコレと回想したり思いにふけたりする。
窓越しの風景を見ていると若かりし時を思い出す。

この街の一角にガソリンスタンドがあった。
今は閉店して別の商店になっている。

店長はオイラの同級生。
彼の親父さんが営む家業のガソリンスタンドなのだが、大学を卒業し地方へ修行に行って戻ってきての就業。
まぁ、店長と言っても正規の店員はアイツ一人。
あとはアルバイトが数名だった。

ヤツはグリーンのかかったフルノーマル、ブルーのユーノス・プレッソが愛車。
アルバイト君は近くの大学に通う青年。
彼の愛車は手が入ったホワイトの180SX。
2台並んでガソリンスタンドの片隅に駐車されていた。
そこへオイラが行って給油は勿論、洗車もさせてもらうとガンメタのスカイラインGT-Rが並んだ。




※イメージ:carviewさんより画像をお借りしました。



オイラのスカGも店のアピールに一躍買っていたようで、スポーツカーユーザーのお客さんが来店することもしばしば。
時にはクラシックカーも入ってきてこの目を楽しませてくれた。

若い女性ドライバーが来店されるとバイト君とテンション上がったり(爆:当時のオイラも独身でした)。


☆画像:https://publicdomainq.net/

そうやって過ごしている時は、特に何をするワケじゃなく店からの風景を眺めているだけで結構楽しいモンだった。

店長のアイツはノーマル命。
180SXのバイト君はイジりについて色々聞いてきてくれた。

¨ あの時代は華だった ¨ とふり返ってしまいそうになるけれど、いやいや時代は変われど ¨ また新たなる華 ¨ が待っていると言い聞かせる自分。

だけどあの頃は、オッサンではなくお兄さんだったのは紛れもない事実だった。
連中も今はオヤジになったと風の噂で聞いている。

その二十数年後、近くに見えるこの病院のお世話になる事があるとは思いもせずに…


★画像:https://publicdomainq.net/
Posted at 2021/03/31 23:25:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出話 | 日記

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「【日産応援団 Nジャン】2025シーズンの答え合わせは終わった。 http://cvw.jp/b/116827/48744335/
何シテル?   11/02 21:08
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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