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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2006年04月05日 イイね!

忘れられぬ瞬間 1998 ルマン24時間 その2

忘れられぬ瞬間 1998 ルマン24時間 その2~星野一義ルマン ファイナル~

オレはAUTO SUPORTSを片手に本屋で立ち読みをした。
信じられない記事が書かれていた。
星野一義ルマン24時間引退・・・・。

オレはルマンを走る星野さんを生で見ることが二度と出来ないということが寂しかった。

並びに驚きのマシンを目にする。
トヨタGT-One TS020である。
更にメルセデスもCLKを、ポルシェもGT1を・・・・。

1998年6月6日。
その日は土曜日の22時頃だった。
オレは藤枝の実家の居間にある東芝のバズーカにスイッチを入れた。
チャンネルを「静岡朝日テレビ(テレビ朝日系列)」に合わせ天気予報が終わると「ルマン24時間」のTV中継が始まった。

いよいよオレの98年のルマンが始まろうとしていた。

この頃、翌年のルマンに行くことや日産応援団に参加することなど夢にも思っていなかったのだった。

写真は2000年、合同テストの時のもの
Posted at 2006/04/05 20:40:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | シリーズ物 | 日記
2006年04月05日 イイね!

忘れられぬ瞬間 1998 ルマン24時間 その1

忘れられぬ瞬間 1998 ルマン24時間 その1~CLUB LE MANS~

1997年5月。オレはJGTC第2戦富士に足を運んだ。
観客席にはチラ紙をNISMOの販売ブースで貰った。

オレはCLUB LE MANS with NISMO(現在のCLUB NISMOの全身)の存在を知った。
内容を見れば、様様な特典、ルマン24時間の観戦ツアーなど書かれてあった。
しかし、現実はオレにとって厳しいものである。
ルマン観戦ツアーは夢のまた夢であった。

時は6月。
ルマン24時間はテレビ朝日系列で中継されていた。
オレは優勝候補日産を見ていた。
日産がそれまでのGT-Rに代わり、勝ちに来たマシン、R390GT-1をルマンに送り込んだ。
しかし・・・・結果は残念なことであった。

翌1998年5月。オレは再びJGTC第2戦富士に足を運んだ。
だが・・・日産ブースは無かった。
レースも太田哲也さんの大きな事故もあってオレにとっては切ない時間だった。
Posted at 2006/04/05 20:20:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | シリーズ物 | 日記
2006年04月02日 イイね!

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km 最終章

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km 最終章終盤、R391がトップを走っていた。
TS020が勝つにはR391の自滅しかなかった。

日産のE・コマスはコンスタントに周回を重ねる。

日が傾く夕刻時、勝利はニッサンR391に微笑んだ。
大喜びの日産スタッフ。
日産応援団は拍手と握手、笑顔が交わされた。

日産応援団は1000kmの長丁場に疲労の色がこの瞬間出てきたが、気持ちいい疲労であった。

ウイニングラップのあと、日産ドライバーが駆け寄り応援席に向かって笑顔で答える。

しかし・・・オレは片山右京選手を見ていた。
あまりの悔しさにマシンから降りてこなかった。
やっと降りてきたと思ったらマシンから頭を垂れていた。
そのままじっとして俯いていた。
観客の一人が「右京!」と叫んだ。
その声を聞いて片山右京選手はやっと動き出した。

オレは優勝者と準優勝者の光と影を見ていた。
もちろん片山右京選手をはじめトヨタ・チームにも他のチームにも拍手を送った。

表彰台に向かって日産応援旗が揺れに揺れていた。
その後日、日産はルマンチャレンジを事実上断念としてしまった。
更にこのルマン イン 富士1000kmも契約途中ながらこれをもって終了となった。

だが、これが国内レースに登場する日産応援団の幕開けでもあったのである。


※画像提供hirosukeさん
Posted at 2006/04/02 20:41:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | シリーズ物 | 日記
2006年04月02日 イイね!

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km その4

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km その4スタート直後、トヨタのTS020がいきなりスパートをかける。続くニッサンR391はジリジリと引き離されて行った。

あっというまにマシンがメインストレートに戻ってきた。
スタートドライバーは片山右京。

さあ、オープニングラップは優勝候補最有力、トヨタTS020を駆る片山右京選手だ。

一ツ山レーシング、マクラーレンF-1 GT-Rの飯田章選手がE・コマス選手のR391をかわすも2週後にはコマス選手がかわし2位を取り返す。更にチーム郷、BMWは加藤寛規選手が続く。

このとき、ルマンカーはこの先頭4台と言える。後方は日本のGTマシンが続く。
GTクラスも予備予選免除の特典がつくのである。
日産車はエンドレスアドバンGT-Rが走っていた。
GTクラスはそれだけではない。
耐久レースであるため、データ解析にはもってこいだった。

日産応援団はR391,エンドレスアドバンGT-Rにエールを送った。

事実上、このとき私設応援団の色が濃い日産応援団だった。
旗は団長Kさんの自費だったしフラッグポールは物干し竿、手作りTシャツ、個人的に購入したメガホン、ホイッスルを使用していた。

トヨタTS020は既に実力を発揮していた。
その性能はこの場所にいた観客やTV中継を見ていた人には明確に感じていただろう。
Posted at 2006/04/02 19:41:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | シリーズ物 | 日記
2006年04月02日 イイね!

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km その3

忘れられぬ瞬間 1999 ルマン イン 富士1000km その3決勝まで時間はあった。

富士は夏を除いて日差しが無いときは肌寒いのである。
当日は曇りだった。
オレはブルゾンを買ってしまった。

スタンドに戻ると団長の顔が難しい。
理由は用意した旗が振る人間に対して多かったのである。
団長は即席でスタンドの観客に声をかけた。
「旗が、まだあります!是非振ってみたいという方がいればお願いします!!!!」

ここでそれからの日産応援団として無くてはならない人物が名乗りをあげた。

一家で日産を応援にきていたT一家だった。
一家で日産旗を振ってくれた。
今でもこのT兄弟は日産応援団でK団長と一緒に行動を共にしている。
※K団長とT君とNジャンは何度かこの「みんカラ」で写真を掲載している

他にも旗を振ってくださる方が名乗りをあげてくれた。

さあ、レースはまれに見る1000km。
ルマンを思えば距離は約1/7。
日産応援団だって本場のスコール、強風、酔っ払いに絡まれるなど修羅場を潜り抜けてきたんだ。
自信をもって旗を掲げた。

セレモニー、君が代斉唱とプログラムが進む。

さあ、エンジンスタートだ。

なんとここでインディ500マイルの名言がコントロールタワーから発信された。

「START YOUR ENGINE!!!」

爆音がサーキットを包んだ。

いよいよローリングが開始される。

名物、日産コールが旗と一緒にこだまする。
GO! GO! NISSAN!
GO! GO! NISSAN!
GO! GO! NISSAN!


ローリングスタートの合図はなんとフランスルマン市長である。
マシンが戻ってきた。
しかしペースカーのランプが消えない。
もう一周だ。
ルマン市長は残念ながらスタート合図が出来なかった。

結局ローリング4週となり規定周回が4周減算されてしまう。
ホームコースに戻ってきた参加車たち。
ペースカーの回転灯が消えた。

さあ、いよいよだ。
コントロールタワー前をトヨタTS020が通過。
加速がはじまり、遂に初開催、ルマン・イン・富士1000kmの長丁場がスタート!!!!

※写真は1999年フランス・ルマン24時間レースの時のもの
Posted at 2006/04/02 11:03:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | シリーズ物 | 日記

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「【SNE12】どう向き合っていくかが大事だよねぇ。 http://cvw.jp/b/116827/48776093/
何シテル?   11/20 20:24
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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