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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2013年05月25日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #3

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #3※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1997年。
日産はワークスが動き出す。
ルマン挑戦に向けTWRと手を組み、R390 GT-1を開発。
いよいよ名乗りを本格的に挙げた。

前年は新婚旅行として行けた黒澤。
「今年は無理だ」と諦めていた。

電話が鳴った。
相手は大槻添乗員だった。

「行きますよ!! 旗も用意できることになりました!!!」

「参加します!!!!」

即答してしまった黒澤だった。

1997年ルマン24時間耐久レース。
誰もが優勝候補の筆頭にNISSAN R390 GT-1を挙げていた。
ところが…
後にギアボックスが手負いとなる。



この年から、本格的に日産応援団が登場。
予選は勿論の事、24時間耐久応援も開始。

大槻添乗員も黒澤も予選から声を潰し、エキサイトしていた。

そして…



スタート直後、先頭ワークスのポルシェGT-1にニッサンR390が食らいつく。
日産勢、好スタート。

黒澤…
グランドスタンドから離れることも無かった。

だが…手負いとなってしまっているR390 GT-1。
苦戦を強いられる。

夜中の1時間半。
トランスミッションが音をあげた。

1時間半にもわたるピット作業中の日産コール。
辺りの現地人のギャラリーが思わず声をかける。

「オマエ達、死ぬぞ!」

お構いなしに声援が続いていた。

応援団も腹ごしらえとつかの間の休憩、ピットから応援団へのピットサイン『がんばれ!』『眠くないか?』。
ピットとファンのコミュニケーションだった。



1997年ルマン24時間耐久レース。
この年も日産、チャンピオンならず…

黒澤、思った…。
「勝ったときの喜びはどれぐらい嬉しいのか・・・」

~つづく~
Posted at 2013/05/25 23:53:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月25日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #2

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #2

※演出のため、敬称略にて失礼致します。


1996年ルマン24時間耐久レース前日。
ある城で開かれた日産のパーティーが開催された。
翌日決勝はGT-Rが再びルマンを走る。



パーティーにツアー一行も参加。

予選の時に、ただレースを見守っていただけの自分になんか物足りなさを感じていた黒澤。
このパーティーの開催された建物の壁にかかっていたユーロ日産の旗を見つけていた。
ネイビーブルーの下地に日産のマークというシンプルなデザインだった。

パーティーではNISMOのチームマネージャをツアー参加者に紹介。
田中利和(現:ニスモ執行役員)氏だった

☆:かなりのイケメンです♪ 田中さ~ん、そこんとこよろしく!

早速、田中氏に、決勝日、旗を貸してほしいと嘆願した。
OKをもらった。

その旗と、クラブルマンの旗を借りて翌日の決勝、ツアー参加者と共にサルテサーキットのグランドスタンドへ。
刻一刻と決勝レースのスタートが近づく。

そして…





旗を手に持つだけのシンプルな応援。
中には現在でも日産応援団に参加されている方もいる。

ささやかな応援活動。
それでもチームと一緒に走りたいと思っていた。

真夜中のサルテサーキット。
太陽が隠れるとサーキットの気温が一気に下がる。

朝を迎えた。
朝食の為に席を外した黒澤。

その時…NISMO GT-R LMの一台、22号車がブレーキトラブル。
リタイアとなってしまう。

現場を離れていた自分自身を責めた。
悔やんでも悔やみきれない思い…

1996年、ルマン24時間耐久レースはヨースト・ポルシェ(「JOEST RACING」TWR PORSCHE WSC)が優勝。
日産勢、23号車は15位完走。

1996年のルマン24時間は終わりを迎えサーキットを後にした。

~つづく~
Posted at 2013/05/25 20:36:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月24日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #1

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #1《第一章 ルマン24時間と応援と》

※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1996年、フランス、ルマン24時間耐久レース。
前年に引き続き日産はGT-Rで参戦。

だが、時代はモンスターGT。
プロトタイプカテゴリーも幅を利かせていた。

NISMOルマン観戦ツアーがあった。

参加者に2年間、新婚旅行がお預けになっていた夫婦がいた。
黒澤夫婦だった。

異常にテンションの高いツアーコンダクターがいた。
日産ルマンチャレンジに熱狂的な「大槻」添乗員。

黒澤は思った。
「この人、変わってる・・・・。」

大槻がツアー参加者に言った。
「ニスモの大きいシールを持ってきました。これを使って皆さん応援しましょう。」

だが…黒澤は白けていた。
後にお互いが惹かれ合う事になろうとは思いもしなかった。

現地に到着。
NISMO初代社長、難波靖治相談役(当時)の好意で黒澤夫婦は夕食に同行した。
難波氏は黒澤に日産のレースに対する思いなどを話した。
黒澤はすっかり日産ファンになってしまったのだ。

予選開始。
黒澤は走り抜けるGT-Rを見ていた。
この時、黒澤に変化が起きた。
「ただ見ているだけの自分。つまらない。自分はこのままでいいのか・・・・。」

ルマンのサルテサーキットにマシンのサウンドが響き渡っていた。


※画像提供:フォトヤマさん

~つづく~

Posted at 2013/05/24 22:35:53 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月24日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~まえがき~

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~まえがき~時は1997年、JGTC(現:SuperGT) Rd.2 富士。
オレはNISMOブースで何気なくグッズを見ていた。
広告紙が目に入った。
「Club Le mans(現:Club NISMO)」というファンクラブの案内だった。
中でもルマン24時間観戦ツアーを魅力的に思った。
そこに書かれていたのが「日産応援団」。

「そういうのがあるのか。オレ挑戦してみたい。」

そうは思ってもルマン観戦。
「オレには無理(参加)だ。」と思い簡単に諦めていた。

1998年、ルマン24時間レース。
NISSAN R390 GT-1が全車ベスト10圏内完走。
#32号車、3位表彰台。
星野一義氏、ルマンラストラン。

TVを見ながら、その場に居たいと思う自分が隠しきれなかったのだが、それは遠い存在だと思っていた。

1999年。
「たった一年で人生はこうも変わるのか」と思える激動の年になった。

成田空港でスーツケースに日産、ルマンなどのステッカー。

「オレより凄い人がいる。」
「イヤな人だったらどうしよう。」

金銭をフラン(当時)に換金してしまったオレと女房殿。
困っていると、その方の奥様が小銭を差し出してくれた。

それが黒澤団長夫妻との出会いだった。

いざルマン。
日産応援団にオレが居た。
最高の喜びだった。

その後、イケメン君の行動力をキッカケに国内のJGTCに日産応援団が登場。

あまりにも楽しく嬉しく思ったオレ。
何か恩返しがしたい。

そこで団長に許可をもらいブログなどでアピールを始めた。
あの時、まだ誰もやっていなかったと思う。

日産応援団は関係者と思われがちだった。
「そうじゃないんだ。大好きなファン、有志による集まりなんだ」
そういうアピールが必要だった。

日産応援団が発足したのは1996年の事。
オレが参加したのは1999年。
ある程度の事は知っているのが強みであると思う。

そして最近改めて思った。
あの時はあまりにも文章も表現も自分が未熟過ぎた。

¨日産応援団ストーリーを作り直したい¨

書いてもいいかな(笑)?

ライバルの応援団に「いいなぁ、日産応援団にはNジャンさんが居て羨ましい」って言ってもらいたいモンね♪

Posted at 2013/05/24 20:52:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記

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