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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年01月25日 イイね!

91年 ル・マン [マツダ787B] その3

91年 ル・マン [マツダ787B] その3マツダは1周1秒作戦を展開。メルセデスもペースを慌てて上げた。メルセデス、マツダのチームとチームの根気比べの戦いだった。

ドラマは午後1時に待っていた。メルセデスのエンジンが根を上げ蒸気を吹きながらピットに入った。作業は30分以上にかかりその間に国産車マツダ787Bがメインストレートを3回通った!遂にトップだ!

メルセデスはコースに復帰、しかしすぐに戻ってしまい、再び走り出す事は無かった。

今度はマツダとジャグヮーとの戦いになった。ジャグヮーは燃費に悩まされペースが上がらない。マツダもこのまま走り続ける保証などどこにもない。知ってるのはル・マンの勝利の女神だけだ。

マツダにとってゴールまでの2時間は祈るしかなかった。永遠に感じたと言う。

最後のスプリント、後にF-1ドライバーで有名になったドライバー、ジョニー・ハーバートが交替予定より多く続けてドライブする事となった。ピット時間短縮でジャグヮーに差をつける為だった。

いよいよ午後3時、ル・マンの女神は遂にマツダに微笑んだ。ル・マン24時間レース史上、初めて日の丸が上がった!

[優勝マシン] マツダ787B
[ドライバー] F・ヴァイドラー B・ガショー J・ハーバート

表彰式にドライバーが上がった。F・ヴァイドラー B・ガショーの二人だけ。J・ハーバートはなんと脱水症状だった。
Posted at 2005/01/25 23:33:59 | コメント(3) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2005年01月25日 イイね!

91年 ル・マン [マツダ787B] その2

91年 ル・マン [マツダ787B] その2マツダはこの年ロータリーエンジン最後のル・マンチャレンジとなった。

レースが始まると前々年度の覇者メルセデスがトップを形成した。続いてジャグヮー。そうそうたるメンバーが先頭を固めた。
マツダはロータリーエンジン搭載という事で重量が170kg優遇されていたので軽さを武器にブレーキ、燃費に有利だった。しかし非力なパワーにメルセデス、ジャグヮーに水をあけられていた。レース前のマツダに関係者やファンや日本のマスコミ以外は誰も注目していなかった。一寸法師である。一寸法師は鬼に勝ったがそれは物語。現実は厳しいものである事は誰でもわかっていた。

夜中になるとジリジリとマツダが順位を上げた。ジャグヮーを抜いて3位に踊り出た。マツダの計算に間違いは無かった!ジャグヮーは予想以上に規制されている燃費に苦しんでいた。
カン高いロータリーサウンドがル・マンに響いた。

2位を走っていたメルセデスはギアボックストラブルにより先々離脱。マツダは2位に順位を上げた!

しかしトップのメルセデスとの差は3周の差があった。これはとんでもない差である。しかも背後にはジャグヮーが迫っていた。

マツダチームの中には「2位でも立派じゃないか!」と言う声もあった。「守りか攻めか…。」マツダチーム大橋監督(現 トヨタチームサード監督)は迷った。決断は『攻め』だった。「1周1秒短縮しよう!」という作戦だ。1周1秒…これはとんでもない作戦だ。これで3周差を縮めるにはどの位の時間がかかるだろうか…。ドライバーにも負担がかかる…。「大丈夫!我々が汗水たらして作ったエンジンだ!壊れてたまるか!」
Posted at 2005/01/25 23:15:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2005年01月25日 イイね!

91年 ル・マン [マツダ787B] その1

91年 ル・マン [マツダ787B] その1NHKプロジェクトX、TVドラマでも番組制作されたほどこの栄光ははかりしれません。ご存知の方も多いのですが、ご存知ない方の為に紹介させてください。プロジェクトX風に書いて見たいと思います(実際の放送とは内容が異なります)。

1991年。ル・マン、サルテサーキットの午後、歓声が響いた。トップを走っていたメルセデスベンツが突然トラブルでピットに入り修復に時間が掛かっていた。その数分後、グリーンとオレンジに塗られたマシンが通過しトップが入れ替わった。日本車、マツダ787Bである。

マツダのル・マン参戦の歴史は長い。79年から他に類を見ないロータリーエンジン(メカニズムの説明は省きます)でチャレンジしてきたのだが、頂点を見るのは夢のまた夢であった。それでもチャレンジ早々完走をギリギリに果たしたのであった。

80年代、ポルシェがチャンピオン黄金時代を迎えた。王者ポルシェを撃とそうとどのメーカーも必死だった。日本車もトヨタ、日産などがチャレンジして一時は先頭を走る事はあったが頂点を見ることは出来なかった。しかしマツダはその名を連ねる事は出来なかった。

91年。あまりスピードの出るクルマは危険という事で規定を見直す事となった。トヨタは規定を充たす為に時間が必要とし、この年の参戦は見送られた。日産もモータースポーツ活動縮小の為に参戦休止。マツダはロータリーエンジンが使えない事となると途方に暮れた。ロータリーエンジンでマツダは栄誉が欲しいのだ。

所が運がマツダに味方した。新規定のマシン台数が少なく従来の規定マシンの参加が認められたのだった。
Posted at 2005/01/25 22:46:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年01月25日 イイね!

高橋健二氏逝く

わが国モータースポーツの立役者高橋健二氏がお亡くなりになりました。TEAM TAISANでは高橋国光さんとポルシェで戦い、土屋圭市さんとは師匠として、また日産ワークスとしては初めてルマンへ行き星野さんのパートナーとして活躍されました。
謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます。
Posted at 2005/01/25 00:55:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

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