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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2005年03月02日 イイね!

スカG伝説 その31

スカG伝説 その31~I LOVE YOU SKYLINE~

マイナーチェンジを受けたR32スカイラインはボディ細部の意識を替えたと同時に日本の自動車税制度の変更もあり、シリーズに2500C C 車、2500GTSが登場した。

TV CMでは、まだあどけない羽田美智子さんや田中広子さんが登場し山下達郎さんの「ターナーの汽罐車」が流れていた。

櫻井真一郎氏が頑なに守っていた5ナンバー2000C C の常識を破ったモデルだった。

オーテックジャパンに配属になった櫻井真一郎氏はR32セダンモデルにGT-Rに搭載されるRB26DETTエンジンのターボを外し2600C Cノンターボ(ターボなし)エンジンを搭載した「オーテックバージョン」を登場させた。
Posted at 2005/03/02 22:19:43 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年03月02日 イイね!

スカG伝説 その30

スカG伝説 その30~R32 GT-R有終の美~

レース参戦用にGT-R N1を発売。ブレーキローターの耐久性を高める為にピンホールの廃止、視認性向上のためにプロジェクターランプの廃止、オーディオもエアコンもリアワイパーも廃止された。

市販モデルの弱点とされたブレーキを克服する為、イタリアの名門メーカー「ブレンボ」を搭載したモデルGT-R V Specが登場。
Gr.Aレース制覇記念モデルとしてラインナップを増やした。
ブレーキを収める為に17インチのドイツのBBSアルミホイール装着。ブリヂストンポテンザ245-50タイヤを装着した。

その後、ブリヂストンポテンザ245-45タイヤを装着したGT-R V SpecⅡが登場。

現在もV SpecⅡは、プレミアム価格にて取引が行われている。
Posted at 2005/03/02 22:05:42 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年03月02日 イイね!

スカG伝説 その29

スカG伝説 その29~最強のマシンと呼ばれて~

N1シリーズ(現在のS耐ですね)にGT-Rは参戦した。
当時のレギュレーションの都合上、改造度が少なく参戦当初は勝てないレースもあった。しかし熟成されるとGT-Rは無敵を誇る事となった。

香港マカオGPギアレースにR32GT-Rは長谷見昌弘選手が参戦。他車を寄せ付けず優勝を果たした。

スパフランコルシャン24時間レース。世界のツーリングカーの祭典。Gr.A、N1両カテゴリーでGT-Rは優勝をした。

Gr.A終了後全日本GT選手権が始まった。R32GT-Rはシリーズチャンピオンに輝いた。

第一回十勝24時間レース。JGTCマシンのハセミモータースポーツ率いるR32GT-Rが優勝を飾った。
Posted at 2005/03/02 21:56:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年03月02日 イイね!

スカG伝説 その28

スカG伝説 その28~無敵神話復活~

Gr.Aレースの試作車が菅生でテストを行っていた。

インフォメーションを聞いた星野一義、長谷見昌弘選手はクレームを言っていた。
「4WDだって?やめてくれよ。そんなの曲がりッこないよ。勘弁してよ。」
NISMOの日置和夫テクニカルデュレクターはテストで鈴木亜久里選手を唸らせたので自信があった。「まあ、とにかく乗ってよ。」
ハンドルを握った二人はあまりのパフォーマンスに圧巻。
マシンを降りた後、謝罪した。

そしてGr.AレースにGT-Rが登場。
始めてのレースでは星野一義、長谷見昌弘選手はプレッシャーに苛まれていた。
無理も無い。GTS-Rでの苦い経験。メーカー、ファンからの期待、そしてGT-Rという名前を知っていたのだ。
スタートでダッシュを見せる青い稲妻カルソニックスカイライン。レースをリードしていた。レース中盤、黄旗追い越しペナルティを喰らう。周回遅れの前車が合図をした為とドライバー交代を終えた星野一義選手は主催者に猛抗議をした。この姿勢は先輩北野元選手に教わったものだ。
これが認められペナルティは解除。
遂にGT-Rがデビューレースを1-2フィニッシュで飾った。

その後連勝を続けスカイラインGT-Rの速さは誰も止める事が出来なかった。

インターTEC、富士スピードウェイ。盛り上がらない訳が無かった。ハコスカの50勝から実に17年振りにスカイラインGT-Rが富士に帰って来たのだった。

93年。ファンに大ニュースが流れた。TEAM TAISANからあの高橋国光選手がGT-Rに乗る事となった。パートナーは、92年からドライブしている土屋圭市選手だった。土屋選手はGT-Rに憧れ、国光選手に憧れレースを始め、ドリキン(ドリフトキング)と呼ばれていた。平成と昭和のGT-R使いが師弟関係でGT-Rに乗ったのだ。

そしてR32GT-Rは全戦全勝。Gr.AレースはGT-Rが4年間走った後廃止された。
Gr.AマシンGT-R最後の94年インターテック。8万5千人もの観客が富士スピードウェイに押し寄せた。星野一義選手はこう言っていた。「こんなに富士にお客さん入っているの見たことないよ!だけどボクのマシンは残念だったけど。」
タービンブローのリタイヤだった。
長谷見昌弘選手はこう語った。「富士じゃ、あんまり勝てないよね。ハコスカの時もそうだった(笑)。今日は勝ちたかったよ。」
レースは荒れに荒れ最後のウィナーは職人横島久選手、後にル・マン3連覇をする事となるT・クリステン選手の組の「BP トランピオGT-R」だった。
Posted at 2005/03/02 21:40:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2005年03月02日 イイね!

スカG伝説 その27

スカG伝説 その27~GT-Rの復活~

Gr.Aレースに日産は本腰を入れる。
勝つために必要なボディサイズ、スポイラー、280psの2600CCエンジン、パワーを余すことなく使える4WD ATESSA-ETSシステム。

最強のマシン、スカイラインGT-Rが登場した。

バブル景気も手伝ってスカイラインGT-Rに憧れた世代や若い新しいGT-Rファンに支えられて後に累計約4万台がこの世に生まる事となる。

そして本格的に参戦するためのホモロゲモデルのスカイラインGT-R NISMOを800台限定で販売。アッと言う間に売り切れてしまう。
スタンダードモデルのGT-Rに比べ、バンパーにエアダクト、大型サイドシルプロテクター、ボンネットフード、リア小型スポイラーを装備すると共に、インタークーラー保護ネット、リアワイパー、アクティブエアコン、カーコンポが廃止された。

まさに走る為のモデルだった。
Posted at 2005/03/02 21:11:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | 日記

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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