
~ラスト・トライ星野~
95年。日産(正確にはNISMO)は、ホモロゲモデルGT-R・LMを製作した。
ルマン24時間への復活だ。
ルマンはレギュレーションが変わってGTカー主体のレースとなった。プロトタイプカーよりGTマシンのほうが優遇されていた(当時)。
ホンダはNSXを、トヨタはスープラを・・・・
次々とルマンへマシンを運び込んだ。
だが・・・・刺客モンスターマシン「マクラーレンF-1 GT-R」が立ちはだかる。
Nジャンは相変わらずTV中継を見ていた。
マクラーレンが圧倒的。
それでもどのメーカーも本気で挑戦していた。
関谷正徳がマクラーレンで日本人初のウイナーになった。
96年。日産はGT-Rで再び登場。
結果は振るわなかったがそれでも本気で走る星野。
ルマンの壁はまだまだだった・・・
97年。日産はR390GT-1を導入。
優勝候補No.1とされた。
しかし・・・・・・
レギュレーションに合わすため、急遽ミッションに手を加えたことが裏目に出てしまう・・・・
98年。星野はルマンチャレンジを最後にすると発表。
日産R390はジリジリと順位を上げる。
遂に表彰台圏内3位を走行。
星野にインタビューする関谷が泣いていた。
「星野さんが表彰台に上れるのが嬉しい・・・・(号泣)。」
ついに3位でゴール!!!!
はしゃいで表彰台に登る星野一義・影山正彦・鈴木亜久里。
こうして星野は生涯のルマン・トライは幕を閉じた。
Nジャンは時折TVに映る日産旗を見ていた。
「あれ、なんだろう?」
TV中継で紹介されていた。
「日本から駆けつけた日産ファンがいらっしゃいます。」
参加したい!!!!!
Nジャンはアツくなった。
しかし・・・・現実的ではなかったのである。
Posted at 2005/09/24 12:05:06 | |
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