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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #15

Nジャンとモータースポーツ #15~情熱再燃~

中学になると学校行事は多忙になる。

1981年。
完全休日は限られる中、オレは親父に連れられてR30スカイラインの発表展示会に行ったんだ。

その時、パンフレットに描かれたイラスト見て興奮したね。
当時は「レーシング イメージ」としか公表されていなかったと記憶してるけど、紛れも無いスカイラインGr.5だったよ。
雑誌では「スカイライン サーキット復帰」という説が取りざたされていたよ。

オレも興奮したな。
でも日産からの正式な情報を知ったワケじゃなかったから半信半疑だったよ。
まぁ、スカイラインGT-R復活説がウワサになっていたのも事実だったし。
その後、R30スカイラインはRSシリーズを追加。
そして・・・あははは(笑)。
↑後の章に登場します。

F-1では遂にターボエンジン時代に突入。
後にホンダエンジンを駆るネルソン・ピケ選手がタイトルを獲得。
ブラバムブラバムBT49/フォードDFVを主に駆っていたけれどBT50BMWターボも登場させたんだな。
まぁ、アレはまだ熟成させる真っ最中だったけどね。

ルマンは936が最後になった。そしてチャンピオンに…

ラリーでは新時代に突入するんだ。
4WD+ターボだよ。
そう、今の図式が出来上がる。
アウディ・クワトロが登場だ。

驚いたのはヨーロッパF2のホンダエンジンだよ。
なんとチャンピオンになったんだぜ!
ドライバーは、その後日本でも活躍するジェフ・リース氏。
これまたお恥ずかしながら後から知ったけどさ(苦笑)。

そして遂に星野選手が破れたんだ。
「同じチームに同じチームにエースは2人要らない」の名言を残しヒーローズレーシングを飛び出した中嶋悟選手。
かつての名手「生沢徹」率いる「ⅰ&ⅰレーシング」に移籍。
ホンダパワーを手に入れたんだ。
中嶋悟選手の快進撃が止まらなくてね。
最終戦のF-2じゃ世界の強豪に差をつけて優勝してチャンピオンになっちゃったんだな。
2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #増刊号

Nジャンとモータースポーツ #増刊号 ~コレを書くにあたって~

今まで知ってきたエピソード。
それは確かに覚えているけど、さすがにそれがいつだったとかという具体的なところは「うろ覚え」です。
その辺りは手元の資料や他のサイトを使って調べて書き加えています。

何かこう思い出しながら書いていると当時の記憶が蘇ります。
さぁ、いよいよジャパンパワーが炸裂する時代に突入しますよ!
2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #14

Nジャンとモータースポーツ #14 ~長谷見昌弘選手 黄金時代と静かなジャパンパワーのプロローグ~

1980年。
オレは中学に上がった。
相変わらずクルマバカは全く抜けていないよ(笑)。

この年、F-1のチャンピオンに「ウィリアムズ」が名乗りを挙げたよ。
ウィリアムズ FW07だ。

しかし定番だったエンジン、フォードコスワーズDFVに強力なライバルが登場する。
フェラーリ、ルノーに搭載されたターボエンジンだった。
F-1はいよいよターボ時代に突入することになったんだ。

ルマンはプライベーターが主体。
遂にワークスポルシェがプライベートチームのロンデューM379B/DFVに敗れてしまう。

そんな中、この80年。
日本国内では、長谷見昌弘選手(現:ハセミ モータースポーツ代表)が大暴れ。
全日本F2、鈴鹿F2、富士GC、全日本FP(フォーミュラ パシフィック)の全てのタイトルを獲得したんだ。
長谷見さんのことはハコスカで知ってたけど、こんなに凄い人だったんだって改めて気付いたよ。

サファリラリーでニッサン・バイオレットが連勝したニュースはHOTだったよ。
※1979年~1982年 4大会連続総合優勝

そして、遂にホンダがヨーロッパF2にエンジン供給開始したんだ。
ホンダ遂に復活とニュースになったのを覚えてる。
そのときのドライバーがナイジェル・マンセル選手だったのは後から知ったよ。

2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #13

Nジャンとモータースポーツ #13~情熱の失速!?~

1979年。
遂に小学校6年になったオレだ。
小遣いを貯めてラジコンカーを買ったよ。

レーシングに拘ってタミヤのリジェJS9を買ったんだ。
F-1マシンだぜ(笑)。
もちろん夢中だよ。

ホンモノのF-1の方は常勝ロータスがまさかの失速。
ニューマシンロータス80の仕上がりもイマイチ。
タイレルがロータス79のマシンにソックリなの出してきたのは驚いた。
そしてこの時流行っていたのはフロントウィングレス。
フロントウィングが無いマシンが結構あったんだよ。
抵抗を減らそうとしたんだろうね。
でも結局フロントウィングが必要だとわかって元通りになったとは記憶してる。
ロータスもJPSカラーじゃなくなったし、オレも冷めちゃったんだな。

ルマンに日本車が本格的にチャレンジしてきた。
マツダはサバンナRX-7で完全ワークスで無いにせよルマン挑戦。
しかし・・・・まさかの予選落ち。しかしマツダのチャレンジは続いたんだよ。

そして童夢がルマンチャレンジを開始。
そう、TAKATA童夢の童夢だよ。
その模様は当時放送された「日曜★特バン」という番組で放送されたんだ。

でも結果は・・・・

世界の中の日本車。
その距離はまだまだ遠いところにあったな。
ショックだったよねぇ。

第二次石油ショックがこの頃だったかな?
相変わらず日本車にハイパフォーマンス車が存在しなかったな。
「昭和53年 排気ガス規制」ってヤツだよ。
それに対応しなければならなかったからね。
まぁ、それでもマツダのRX-7が元気だったの覚えているよ。

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「【NISSAN】そのご意見… http://cvw.jp/b/116827/48483762/
何シテル?   06/13 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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Nジャン家のエースカー。
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スカG中毒常習犯。
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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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