
今でも鮮明に覚えている。
あれは小学校3年生のとき。
ヤマハの代理店「すみや」のエレクトーン教室の企画エレクトーンパーティ。
まだエレクトーンを弾き始めだった初夏の日。
やっと足が届くかどうかという時だった。
自分は緊張でアタマがいっぱい。
出番が来たが何とか終えた。
その後、お兄さん、お姉さん達がポップスを弾いていた。
「オレもああなるのかな?」
しかしその後ふざけてばかりで一向に進まない。多分先生に甘えていたんだと思う。
小学校6年。先生が替わった。S先生というお姉さん先生。
それでも劣等だったオレ。
一緒に通ってる連中はオレをダメ人間だと思っていたようだ。
そりゃそうだ。まるでヤル気なんてなかったのだから。
それでも恥ずかしいと思い始め何かが変わる。
中学に入るとまたも先生が替わった。
K(当時I)先生という。
先生が替わってダメ生徒だということに何だか恥ずかしさが増して来た。
やがて弾くことに楽しくなって気づけば、自分で言うのも何だが周りも認めるようになった。
オレが高校に入るとき、K先生は結婚のためこの静岡を離れた。
新しい先生Y(当時S)先生となる(旦那さんは岡部自動車の…って余談はさておき)。
K先生に年賀状だけは出していた。
やがてエレクトーンはデジタル時代に突入。
ELシリーズと呼ばれるハイテク満載の機種になった。
オレは思った。
「これ以上は、機材を新調しなけりゃダメだ。」
エレクトーンは高額商品。
すでに社会に出ていたが、購入まで考えるととても手に負えない。
仕事もバブル景気真っ盛り。休日なんて…
オレはエレクトーンを習うのを断念した。
22歳の初秋だった。
年賀状を出していたK先生。
毎年、こちらにも送ってくれる。
やがて時代はインターネットだのメールだのケータイだのになった。
年賀状にアドレスを記載。連絡だけはとれるのだがどこか恥ずかしい。
あれからもう25年も経っているんだ。
オレも世帯主になって娘が生まれた。
「音楽教室行くか?」と言うと「うん。」と言った。
「お父さん、エレクトーン弾けるからエレクトーン習わない?」って聞くと二つ返事だった。
オレは懐かしい思いで「すみや」に行った。
担当営業者が「Nジャンさん、すばらしいことじゃないですか!」と言ってくれた。
時が流れていよいよ講師の先生を紹介された。
驚いた。オレが2番目に教わったS先生だった。
「先生、現役なの?」
「覚えているよ、Nジャン君。いいお父さんになったね。」
やがて、S先生はK先生にこのことを伝えると本気で驚いていたそうだ。
ある日、K先生からケータイメールが飛んできた。
「今、静岡の実家の帰りの新幹線。」
オレはかなり無理して買ったばかりの「エレクトーン・ステージア」の写真を添付した。
「ステージアじゃん!!!本当なの!!!」
K先生はまだ現役で講師やってるらしく、パーティプログラムを贈ってきた。
まぁ、雰囲気だけだろうけど。
先生…よほど嬉しかったんだね。オレさ、まだ現役バリバリなんだよ。ウデ前はあのときのまんまだ。ただ、人前でやることは殆ど無くなっちゃったけどね。あと10年したら、多分、娘はオレを越してるよ。
[1971]
Melody Fair(小さな恋のメロディ):The Bee Gees
Posted at 2008/09/03 21:16:48 | |
トラックバック(0) |
お気に入りのナンバー | 日記