
女房殿もコピー機能、Nジャンもスキャナとして、さらにPCプリンターとしての機能を求め、複合機を購入しました。
某チームのスポンサーさん製なのは
ヒミツです。
←誰かさんに似てきたカナ?
ためしに昔、借り物の一眼レフでNジャンが撮影した写真をスキャンしてみました。
懐かしい思いと同時に、超ド素人テクニックなのが笑えます。
フォトヤマさんの足元にも及びません
さて今回スキャンした画像を、お恥ずかしながら紹介します。
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※恐れ入りますが、ドライバー名は演出上敬称略とさせてください。
これは`93 IMSA GT チャレンジ。3月の富士スピードウェイはものすごく寒い上に雨という見てるほうも辛いコンディションでした。
ボクはAコーナー(サントリーコーナー)に陣取っていました。
アメリカIMSAのマシンと日本の初期のJGTC、JSSマシンと混走でした。

#17 望月克美:マツダ・サバンナRX-7 FC3S [JSSクラス]
#97 フランク・ホンソウェツ ニッサン240SX(日本名180SX)[IMSA GTPクラス]

#3 木下隆之 ニッサン・シルビア PS13[JGTCクラス]
#22 都平健二 ニッサン・スカイライン HR31 [JSSクラス]
#36 木下光浩(みつひろ) ニッサン・スカイライン HR31 [JSSクラス]

#2 影山正彦 ニッサン・スカイラインGT-R BNR32[JGTCクラス]
#1 河合博之 ニッサン・スカイライン HR31 [JSSクラス]
#22 都平健二 ニッサン・スカイライン HR31 [JSSクラス]
#24 袖山誠一 ニッサン・スカイライン HR31 [JSSクラス]
この年から国内GT(JGTC:現在のSuperGTの前身)をカテゴリーとして設けようと試みがあって日産がいち早くマシンを製作。スカイラインGT-RはグループA仕様のマシン同様4WD(グリープAマシンの改造と思われる)で、シルビアは試験的に製作されたようです(某雑誌より情報)。
雨もあって#2 影山正彦 ニッサン・スカイラインGT-R BNR32[JGTCクラス]の4WDが冴え、優勝を飾りました。
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`92 国際ツーリングカー耐久レースインターTEC。
R32スカイラインGT-Rの全盛期。

#2 TAISAN 土屋圭市 スカイラインGT-R BNR32。
これは100Rだったかな?
国さんとドリキンのタッグが夢みたいに思えてどうしても近くで見たかったと思う。
100Rのコースと観客通路って案外近いんですよ。
優勝はNISMOワークスの#55 共石スカイライン。
(故)アンダース・オロフソン&木下隆之コンビ。
序盤の星野とオロフソンのバトルが凄かった。
あの縁石走りをガンガンやってたもんねぇ…
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`93 国際ツーリングカー耐久レースインターTEC。
国内Gr.A最後のレース。
横断幕の「ありがとうGr.Aスカイライン」の文字が印象に残るレース。

前座レースの「ザウルスカップ」のマスコット「ザウルス」君。
NISMOの販売店でこのマスコットを購入した記憶が…

スタートシーン。
このとき、#12 CALSONIC スカイライン 星野一義 のタービンが悲鳴をあげていたんですねぇ。

#55 共石スカイライン 木下隆之 スカイライン BNR32
#8 FET極東 スカイライン 長坂尚樹 スカイライン BNR32
#1 ユニシアジェックス スカイライン 福山英朗 スカイライン BNR32
#87 HKSスカイライン 萩原修 スカイライン BNR32
#22 BPトランピオ GT-R トム・クリステンセン スカイライン BNR32
Gr.A最後のレース。
各チームは意気込みがいつもと違っていたと記憶しています。
優勝候補が次々と脱落。
赤旗中断という大クラッシュもありました。
波乱のレースを制したのは#22 BPトランピオ GT-R 横島久&トム・クリステンセン組。
横島久はその後、S耐などで大活躍。
トム・クリステンセンは、あのルマン24時間レースで7度という史上最多勝を誇るドライバーとなったことで有名。