
~長谷見昌弘~
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Mr.Children:Innocent world
※恐れ入りますが、ドライバー名は演出上敬称略とさせてください。
1995年、富士スピードウェイ。
JGTC第四戦、真夏の富士決戦。
GTファンは富士に終結した。
オレは、会社の後輩を引きつれ富士に行った。
「どうだい?レースってスゲーだろ?」。
連中は頷いていた。
今とは違い場内完全自由席。
まず真っ先に1コーナーを陣取り、Aコーナー、メインスタンドへ移動した。
マシンはトヨタ・スープラやニッサン・スカイラインGT-Rはもちろん、ポルシェ911ターボ、フェラーリF40などトップカテゴリーGT-1(現在のGT500)に犇きあっていた。
トップが脱落して行く中、ジリジリと追い上げトップに立ったスカイラインGT-R。
それが長谷見昌弘の駆る「ユニシアジェックス・スカイライン」だった。
長谷見を知ったのは、オレがまだ小学校の頃。
夏休み、東京の従兄弟の家に遊びに行ったとき、三越デパートの屋上にレーシングマシンが展示されていた。
「トミカ・シェブロン」だった。
ドライバーが「ハセミ」ということを記載されていた案内で知った。
やがて、ニッサンのドライバー、スカGのドライバーであったことを知ると、氏をもっと知りたくなった。特にあのスーパーシルエットの迫力に心底驚かされた。
彼の走りを初めて見たのはやはり91年のインターTEC。
リーボックカラーのGT-Rは、トップのカルソニックに続いていた。
95年、オレが見に行ったあのJGTCのレースでは長谷見昌弘が見事に優勝。ドライバーチェンジも無く一人で走りきって(当時のレギュレーションは交替無しでもOKだった)優勝した。
オレの目の前のファンらしい男性が熱狂していた。
「気持ちはわかるよ。」と男性を見て思った。
「サッカーみたいにサポーターが存在すると面白いかも…」とオレ自身で思っても、何をしていいやらわからないのである。
まだ、日産応援団も存在しない頃だった。
Posted at 2008/09/15 22:55:28 | |
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日産応援団 Nジャン的 エピソード | 日記