
1997年。
日産はルマンチャレンジの際、前年までGT-Rで挑戦してきたがモンスターGT全盛の時代もあってこの年、R390 GT-1を投入。
優勝候補の一角として誰もが大活躍を期待していた。
それがまさかミッションに問題を抱えていたとは…
残念ながらこの年のR390は勝利を収めたとは言い難たい。
いや、GT-1クラスはLMP-1クラスのマシンに圧倒されたと言ったほうがいいかもしれない。
だがオレは、もうひとつの目線があった。
オレと同郷、静岡人。
子供の頃から憧れていたレーシングドライバー「星野一義
※」の姿である。
※演出上、敬称略です。星野さん、スミマセン。
彼の年齢からしてどうなのか不安になった。
星野世代のドライバーはもう少数派になってしまっていたのだ。
日産チームとしての同僚、元F-1ドライバー「リカルト・パトレーゼ」が「ホシノ、まだ走っていたのか!」と驚く程だったという
※※。
※※旧知の間柄らしいっす。
1998年。
遂にその時がやってきた。
「星野 ルマン ラストラン」。
ルマンはワークスが大激突。
まれに見る様相。そう簡単に勝利は収められない。
トヨタ・ニッサン・メルセデス・ポルシェ・BMW…
深夜放送に釘付けのオレだった。
レースはトヨタ・メルセデスが主導権を握る。耐久レースなのにスプリントレースのようなバトルを展開。
対象的なのはポルシェとニッサンそしてBMW。じわりじわり走る作戦だったようだ。
時折TVに映る日産応援団。
既に存在は知っていたが、遠い存在だと思っていた。
翌年のルマンでその中に自分が居るとは考えてもいなかった。
朝方までTV中継を見ていた。
午後少し放送が入るのだが、もちろん見逃さない。
その日のオレは、何も手がつかなかった。
夜の放送。
ダントツだったチームのスローダウンの情報が入ってきた。
愕然とするピット内。
トップの入れ替わりに湧き上がるチーム。
それも1-2。
そして3位に浮上したニッサンR390 GT-1。
星野一義・鈴木亜久里・影山正彦 組、ゼッケン32が表彰台圏内日本人トリオ初のポジション。
いや、それどころかR390は10位以内に全車が入り込む。
オレはそれでも諦めていなかった。
先頭1-2の脱落というチャンスもあると信じていた。
しかし数々の栄冠ある王者にその死角は遂に無かった。
星野ラストランに、TVレポーターとしての関谷正徳(現:TOM’S監督)氏も泣いた。
そしてゴール。R390は#32が3位、#30が5位、#31が6位、#33号が10位という結果だった。
それでも喜びは隠し切れなかった。
ニッサンの表彰台に何を思うか…
星野・鈴木・影山に何を思うか…
☆画像提供:黒澤日産応援団長
後日、Nジャン号(BNR32)の点検でディーラーを尋ねた。
待っている間、この時のルマンチャレンジのVTRを見せてもらった。
ゴールの瞬間、バンザイ三唱をしている柿元監督と日産応援団。
「あの中にオレは居たかった。」と本気で思っていたのは黙っておこう(笑)。
数年後、このバンザイ三唱の事を団長に言ったことがある。
「何でそれを知っているんですかっ!?」
だって(笑)。
Posted at 2009/03/14 09:18:07 | |
トラックバック(0) |
日産 | 日記