
※画像をお借りいたしました。
https://minkara.carview.co.jp/userid/116827/blog/21236171/
シルビアで登場するシーンを見かける。
自分の場合はニスモフェスティバルのケースが多い。
何かウチの親父とオフクロがスープラに乗っていた時に似ている。
ウチの親父も東北山形出身。
くま2315さんもまーママさんも東北宮城在住。
似ているんだな。
シルビアは116880km、5回目の車検を終え健在。
自走でオートポリスへ行ったという伝説の持ち主。
もてぎ戦では人目につかぬコーナーにて単独で応援旗を掲げた。
ウィニイングラップの時、戦い抜いたライバルチームまでパッシングで応えてくれたという。
自分も、つい二週間前、ご夫婦にお会いして握手を交わしたばかりだった。
3月11日午後2時46分。
津波から奇跡的に免れたご自宅。
連絡付かない家族。
絶たれたライフライン。
家族が揃ったと言う連絡を知ったのは数日後。
お嬢さんを千葉の親戚に預けるために関東へ移動。
しかし、再び宮城へ戻る事を決意。
日産応援団はもちろん、関西寿一會、板東組応援隊、レクサス 三姉妹 各応援団のエールを受け再び被災地へ。
http://ameblo.jp/kurochi23supporter/entry-10835808894.html
鶴岡にて一泊。
最上川を上がり新庄、山形経由で笹谷峠通過で宮城入り。
そのルートが手に取るようにわかった。
見慣れた風景が奪われた街。
これから始まるだろう激務。
「これからも、ブログも、日常生活や応援団のこと、どんどん伝えて下さい。励みになります。これからも、バックサポート、よろしくお願いします。」
前へ。前へ。
Posted at 2011/03/21 12:19:06 | |
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記憶のクルマ達 | 日記