
世界自動車三大レースと呼ばれるウチのひとつ、ル・マン 24時間。
フランス、ル・マン市のサルト・サーキット。
サーキット部分はグランドスタンド、ホームストレートやピット辺りなどだけで全長約13kmのコースの大半が一般道。
このレースを知ったのは少年時代、スーパーカーブームの頃。
タミヤのモデルだったと記憶しているが、ポルシェ935ターボ、936ターボの説明書きが最初だったかな?
その後、カーグラか何かの本でそのルマンを見た。
「すげぇ、夜や夜明けを走っているよ。」とか思った。
夜明けの太陽とマシンのバックシャン、ダンロップブリッジ(お恥ずかしながら、アレが通路だと初めて知ったのは現地に行った時だった)の三拍子のフォトグラフは当時からだったな。
その後、童夢がルマンに初チャレンジしたドキュメントをTBS系「日曜☆特バン」という番組だったと記憶しているが放送していた。
しかし、欧州勢にまったく歯が立たなかった。
ジャパンパワーに対し、ルマンの魔物はハナで笑うかのように思えた。
マツダが本格的に挑戦した。
大カンバン、ロータリーエンジンのチャレンジ。
完走を果たすとニュースになった。
スポンサーのNikonも広告に載せていた。
トヨタがチャレンジを始めるとニッサンも挑戦。
テレビ朝日が中継を始めてくれたのは嬉しかった。
土曜の深夜放送、日曜白昼、日曜深夜。
毎回楽しみだった。
ご存知の通り、ボクはニッサンファンだから活躍を見ようとカジりついた。
家の辺りの空が明るくなるまで見ていたナァ。
真夜中、ハラが減ると、星野氏や長谷見氏が乗り移ったかという気持ちでスカGに乗ってコンビニまで行ったっけ。
1991年。マツダが遂にルマンを制した。
マツダも日本のモータースポーツファンも湧きに湧いた。
物凄く感動した。
日本車が世界に通用した証だったし。
だが、今現在でも優勝した日本車はこの時のマツダだけ。
その後、日本人ドライバーが表彰台の真ん中に立った。
「関谷正徳」氏、「荒聖治」氏の二人。
コレも嬉しかったナァ。
1999年。ルマンに合わせるかのように式を挙げた。
もちろん、人生のパートナーとして女房殿に決めた事が前提にある。
今現在でも思いは少年時代のままの自分がいる。
2011年、ルマン24時間レース。
日本で活躍するドライバー、アンドレロッテラー選手とブノワトレルイエ選手がアウディ・ワークス・チームより参戦。
プジョー チーム・オレカ・マットムートより、ロイックデュバル選手が参戦。
OAK Racingより中野信治選手が参戦。
シグネチャレーシングよりニッサンエンジンの供給。サルテサーキットにニッサンのサウンドが帰ってくる。
====================================
[CMです]
WAMOSな日産応援団(日産応援団長)より
「今年もやります。 ルマンドライバーへのエール活動」
http://ameblo.jp/kurochi23supporter/entry-10903702992.html#cbox

Posted at 2011/05/27 20:19:41 | |
トラックバック(0) |
モータースポーツ | 日記