

※演出のため、敬称略にて失礼致します。
1996年ルマン24時間耐久レース前日。
ある城で開かれた日産のパーティーが開催された。
翌日決勝はGT-Rが再びルマンを走る。
パーティーにツアー一行も参加。
予選の時に、ただレースを見守っていただけの自分になんか物足りなさを感じていた黒澤。
このパーティーの開催された建物の壁にかかっていたユーロ日産の旗を見つけていた。
ネイビーブルーの下地に日産のマークというシンプルなデザインだった。
パーティーではNISMOのチームマネージャをツアー参加者に紹介。
田中利和(現:ニスモ執行役員)氏だった
☆。
☆:かなりのイケメンです♪ 田中さ~ん、そこんとこよろしく!
早速、田中氏に、決勝日、旗を貸してほしいと嘆願した。
OKをもらった。
その旗と、クラブルマンの旗を借りて翌日の決勝、ツアー参加者と共にサルテサーキットのグランドスタンドへ。
刻一刻と決勝レースのスタートが近づく。
そして…
旗を手に持つだけのシンプルな応援。
中には現在でも日産応援団に参加されている方もいる。
ささやかな応援活動。
それでもチームと一緒に走りたいと思っていた。
真夜中のサルテサーキット。
太陽が隠れるとサーキットの気温が一気に下がる。
朝を迎えた。
朝食の為に席を外した黒澤。
その時…NISMO GT-R LMの一台、22号車がブレーキトラブル。
リタイアとなってしまう。
現場を離れていた自分自身を責めた。
悔やんでも悔やみきれない思い…
1996年、ルマン24時間耐久レースはヨースト・ポルシェ(「JOEST RACING」TWR PORSCHE WSC)が優勝。
日産勢、23号車は15位完走。
1996年のルマン24時間は終わりを迎えサーキットを後にした。
~つづく~
Posted at 2013/05/25 20:36:55 | |
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日産応援団物語 | 日記