
1970年代半ば。
スポーツカー世界選手権耐久レースはGTカーレースによるGr.5、プロトタイプカーレースによるGr.6カテゴリーで競っていた。
ちょっと前までのLMPクラスとLM-GTクラス共存時代に似ている。
王者ポルシェに挑むルノー、BMW、フォード…
日本車もトヨタ・セリカ、マツダ・サバンナRX-7などでチャレンジをしていた時期もあったのだが…
1980年代に入ると、カテゴリーが新しく改定されたGr.C規定で競うようになる。
初年度の1982年。
対応に逸早かったのは王者、ワークスポルシェ。
しかしこの年は旧Gr.6カテゴリーでのエントリーも認められていた。
そこからエントリーしていた好敵手はランチァだった。
10月。富士スピードウェイ。
その日は穏やかな秋晴れの晴天だった。
「WEC IN JAPAN」。
全国TV中継され、モータースポーツファンがブラウン管の前にかじりついた。
日本のメーカーもこのレースに挑戦。
世界王者相手にどう戦うのか注目していたのだが…
70年代に起きた石油ショックの影、日本のモータースポーツのワークス活動休止期間のブランクがあまりにも大きかった。
強さを見せるポルシェ956をストップさせようと驚異的なスピードでド肝を抜いたランチアLC1。
レースではポルシェに軍配は上がった。
しかし日本の挑戦者と世界王者との差は歴然。
観ている方としても途方も無い目標のようにも思えた。
それから数年間Gr.CカテゴリーによるWECは開催。
やがてトヨタ・ニッサン・マツダも力をつけ、ポルシェと対等に戦えるようにも思えるようになったが、世界は黙っていなかった。
そこにはメルセデス、ジャガー、プジョーが名乗りをあげていた。
「いつ日本車がWECを制するのか」
そう思い続けてきたのだが、Gr.C時代は幕引きとなった。
※画像提供:フォトヤマさん
2014.10.12 富士スピードウェイ。
ボディウムの頂点に立つのは誰だ。
※画像提供:マサアキ
Posted at 2014/10/10 20:37:00 | |
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モータースポーツ | 日記