
フジテレビ系列で放送されている「ボクらの時代」。
(
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/)。
この番組が本当に好きで、今回もトリビュート(?)させて頂きたく思います。
↓BGM
日産応援団「Nジャン」×豊田私設応援団副団長「秋葉」×豊田私設応援団「JUNKO」
※順不同敬称略
~またもサプライズで急遽対談。~
☆一部登場人物は演出の為敬称略にて失礼いたします。
日産応援団「Nジャン」。
一応日産応援団広報活動は行って入るものの、最近はユーレイ団員化している。
元、爆走坂東組応援隊で現在は豊田私設応援団副団長「秋葉和樹」さん(http://profile.ameba.jp/ouentai/)。
通称「秋葉っち」。
トヨタ、レクサスの応援でも大活躍。
豊田私設応援団「JUNKO」さん。
秋葉氏の夫人である。
なんとシチュエーションは西伊豆松崎町の温泉宿の中庭。
果たしてどんな内容になるのか?
09年、(非公認:笑)デザイン by Nジャン
Nジャン(以下 N) 「ひさしぶりにやろうか、『ボクらの時代』」
秋葉(以下 秋) 「イイですね(笑)。」
N 「JUNKOさんも参加してもらって。」
JUNKO(以下 J) 「?」
N 「応援団を始めたキッカケは何?」
秋 「当時、80スープラ乗っていて坂東商会(現:
RACING PROJECT BANDOH)で面倒を見てもらっていました。やがて「CLUB 19」というファンクラブが出来てそこで応援しようとすることになったんです。そして『山口さん(通称「グッさん」。当時のLEXUS応援団メンバー)という知っている方がいるんですよ。』という事になってマサさん(現:RACING PROJECT BANDOH代表、坂東正敬氏)と約束しての応援になりました。」
N 「面白い。コレ、使える。」
J 「フフフ…(笑)。」
秋 「じゃ、オレも旗2枚作って『オレ振りますよ』と言って09年のGW決戦の時に降りました。当時、好きだった人達がオレの後ろに集まって見ていたんですよ。それをmixiで広めて『じゃあ、応援団作ろうよ。』という事になって6月のある日、坂東サンとこ行って、希望者集めて結成しました。」
秋 「あの応援旗のデザインはマサさんなんですよ。」
秋 「『爆走坂東組応援団』がイイですか?」って聞いたら「応援隊」の方がイイという事で『爆走坂東組応援隊』になったんです。」
N 「オレ思ったもん。センスある名前だって。」
秋 「正式な結成式は忘れやしない、09年7月19日の日曜日。」
N 「よく覚えてるなァ。」
◇画像提供:フォトヤマさん
秋 「19号車にちなんで19日だったんです。その後の菅生戦で本格的にやろうということになって、『応援隊』としての初の活動が菅生戦だったんです。」
秋 「で、あの時、ミラクル起きたでしょ? 『爆走坂東組応援隊』を作ったその年は、GT300シリーズ・チャンピオンになったんです。
J 「それでグッズとかあってチャンピオン獲った時のアレコレがいっぱいあったんだ!」
秋 「2010年はチャンピオンチームとして(チャンピオンは)もう譲れなくなって岡山戦とかマイクロバスをチャーターして総勢20名くらいでオレが運転して行ったモン。」
N 「そうか、大型免許あるモンね。」
秋 「そう、オレ大型持ってるからバスで行っちゃおうぜ!みたいな。」
N 「なんかそういうの日産応援団にもあったナァ。GTに組み込まれる前の鈴鹿1000kmだったかな?」
秋 「この年から大きく変わったのが2009年だと坂東組だけの応援がトヨタ(レクサス含む)全体の応援をやらなければならなくなったワケ。」
N 「というと?」
秋 「当時のチームマネージャーさんからGT300でチャンピオン獲ったし大きな応援団が出来ましたよと。そうしたらトヨタの方も見てますよと。」
秋 「『坂東の応援団は坂東しか応援しないのか? 』『トヨタのクルマは他も走ってるよ』との言葉もありました。『トヨタ全体の応援してもらえませんか?そうなるとウチの方も嬉しいのですが』との事で『やりますよ。』と一旦は決まったんだけど混乱しちゃったの。中には『自分は坂東が好きで応援団やってるのに何故トヨタを?』というメンバーも居たワケで。」
N 「だからぁ、成り立ちがウチ(日産応援団)とは違うんだよ。まず日産があって各チーム応援団という感じでしょ?枝分かれというか何というか。」
J 「GT-RとがイイとかZがイイとか。」
N 「そうそう、あのチームが好き、あのドライバーが好きとか色々。」
◇画像提供:フォトヤマさん
N 「トヨタ(豊田私設応援団)さんとは逆だもん。」
J 「(豊田私設応援団は)下から上にとか…」
N 「そう、そう、そういう事。」
秋 「谷やん(豊田私設応援団代表「谷角博文」さん)も最初そうだったの。『オレ達はトヨタも好きだけど脇阪寿一しか応援したくない
注1。』みたいな。」
注1:当時「関西寿一會」の代表
秋 「オレもそうだったし。坂東が好きで坂東しか応援したくなかったし。更に織戸(織戸学)が乗った事もあった。オレ、織戸大好きだし。」
秋 「そこへマネージャーさんの一言があって対応しようとしたけれど応援隊のメンバーと毎日毎日混乱が続いて、殆ど喧嘩に近かったかな。」
秋 「マネージャーさんの意向も理解できるし、メンバーの言い分もわかるし。当時の開幕戦が始まるまでの電話代が5~6万。まだ ¨ かけ放題 ¨ が無かった頃。それでもオレから電話したし。」
◇画像提供:フォトヤマさん
秋 「マサさんは『ウチだけやってくれればいい』と言ってくれたけど、チームマネージャーさんの要望もあるしで悩んだけど、結局マネージャーさんの要望に応えたワケ。でもわだかまりは残っていて『やっぱり坂東だけ』の声は消えなかった。」
秋 「2010年シーズンが終わって、11年はGT500にステップアップするというハナシを耳にした時、より一層トヨタの応援を強化することになりそうだし、坂東だけというワケにはいかないとマネージャーさんの要望が段々厳しくなってきたワケ。だから今のウチにコツコツまとめて11年シーズンは一致団結してウチをメインにして応援するのはイイけれどトヨタ全体を応援する体制を整えて欲しいと。」
秋 「さぁ、困ったぞとなった時に担当マネージャーさんが替わっちゃったワケ。いきなり応援団内大混乱。でもオレは前任マネージャーさんの意見を通した。オレ達が好き勝手やってたらメーカーのトヨタさんに悪い印象与えてしまうし、もうやれないよってなるでしょ?」
◇画像提供:フォトヤマさん
秋 「GT500に上がるのなら、オレはもうみんなに言った手前もあるし、これはもう意地でも行ってやろうと2011、12、13年ってマレーシア戦以外は予選も決勝も行ったの。」
N 「そうなると大変だよね。」
秋 「大変、大変。予算も時間も使うし。そんなこんなで坂東組に寿一(脇坂寿一)がドライバーにという事になったワケ。マサさんが『勝てるドライバーだからオレは寿一を乗せるのでよろしくネ。』って。『よろしくって…』と自分。今度は『爆走坂東組応援隊』と『関西寿一會』が別々の応援していても内容は同じような感じになりそうだから、その時に一本化して応援しようということになったの。」
~つづく~
Posted at 2017/08/20 21:23:03 | |
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