◇タイトル画像:All effects - Photofunia(http://photofunia.com/)
※画像:carviewさんよりお借りしました。
☆このログに登場する人物名は演出の為、敬称略にて失礼致します。
1970年代。
国産スポーツカーといえば日産のフェアレディZくらいなモノ。
過去にはトヨタ2000GT、トヨタ・スポーツS800、マツダ・コスモスポーツ、ホンダ・S500、S600、S800が存在していた事は知ってはいたけれど、石油ショックと排気ガス規制の中だった。
少しスポーツモデルとして広げて見れば、スペシャルティーカーのトヨタ・セリカ。
あとは2ドアハードトップやクーペの名がつくものの、セダンベースに2ドア(3ドア)の派生したボディが乗ったモノだった。
日本にスーパーカーが存在していなかった謎。
あの童夢が「零」を作ったがこの国のお上の石頭に憚られてしまった。
世界に挑戦できなかった当時の国産ワークス。
過去にはトヨタも日産もCAN-NAMを視野に入れていたし、ホンダもF-1をやっていた事を知った。
しかしワークス活動の自粛。
ツーリングカーでは日産・フェアレディZ、マツダ・サバンナGTがプライベーターの手で活躍。
メインレースはグラチャンシリーズ。
前座のマイナーツーリングも人気ではあった。
しかし海外では日産のバイオレット、三菱のランサーがラリーに挑戦。
日産はDATSUN Z(フェアレディZ)でもIMSAに挑戦していた。
F-1日本GPが再びやってきた。
夢中になって見ていたTV中継。
あってはいけない事故にショックを隠し切れない。
日本GPはそれからしばらく開催されることは無かった。
モータースポーツはその後、時々TV放送をやっていた。
その度かじりついて見ていた。
夢中になって見た映画「サーキットの狼」「ポールポジション」。
ルマン24。
あの童夢が挑戦。
そのドキュメントをTBS系列の番組「日曜特バン」で放送。
夢中になって見ていた自分だった。
しかし世界の壁は分厚く、遠い夢物語に感じていた。
マツダがサバンナRX-7を発売。
当時、フェアレディZに続く本格的国産スポーツカーが現れた。
モータースポーツにマツダがご熱心。
ロータリーエンジンのモータースポーツ活動は続けられていた。
マツダはサバンナRX-7でデイトナ24時間に挑戦。
2位入賞を果たした。
少しずつ国産ワークス活動の兆しが見え隠れしてきた。
マツダが本格的にルマン24時間レースの活動を開始。
1982年。
14位で完走を果たした。
国産ワークスマシンが世界のビッグタイトルに挑戦する日を夢に描く自分。
モータースポーツへ募る思いは日増しに強くなった。
少年時代、レースを見に行きたいと両親に訴えても興味のない素振りで「TVで見てりゃいいじゃないか」と重い腰。
同じ静岡県にある富士スピードウェイ。
少年時代のオイラにとって、近くて遠いサーキットだった。
~ つづく ~
Posted at 2020/08/06 22:30:20 | |
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