
~GT日産応援団の仕掛け人~
それは2000年のJGTC開幕戦だった。
サーキットは「ツインリンクもてぎ」。
Nジャンはスカパーの生中継を見ていた。
映し出される#1 ロックタイト・ゼクセルGT-R。
見事優勝を飾った。
心なしか日産応援団を探すNジャン。
「いるわけないか・・・・。」
それまで日産応援団といえばルマンだけの限定応援団だったのだから。
日産はこの年ルマン参戦を休止(休止という表現は妥当かわかりませんが)、現在に至る。
日産応援団がGTでやったらどんなにイイだろうか・・・
しかし後から知ったのだがTVに映らない所でこんなことがあった。
それについて田上君は語る。
2000年の3月、ルマンを諦め切れずにいた私。
でも聞くところによるとニスモのスタッフも非常に残念がっているとのこと。
そんなニスモの皆さんに少しでも力を与えることは出来ないか?
少しでも無念を晴らすことはできないか?
なんてことを考えてしまったんです…
ニスモには愛称「ヒゲジニアさん」で知られる小河原エンジニアさんや97~98年にR390のメカとして渡英していて、今でもタイヤ交換最速と言われている(?)「ナカジーさん」こと(中島チーフメカニック)のような熱い現場スタッフの方々がいらっしゃるじゃないですか?
私達の応援にスタッフの方々が熱いハートで応えてくれる。私達はさらに力を入れて応援する。そういうのってありますよね。
そこで「いつの日か、またルマンに行こう!オレ達がついてるぜ!」みたいな意味も込めてGT選手権で日産旗を振ろうと思いたったんです。
ダメでモトモトで黒澤団長の名刺に書いてあったアドレスにメールしたんです。
要約すると「GTで日産旗を振りたいので旗を貸して下さい」みたいなメールを(笑)。
今思うと、私は何て失礼なことをしたんでしょう…
そしたら何と「いいですよ!」との返信が!
後日、黒澤団長に直接会い、トリコロールの日産旗を託されました。
皆の色んな色んな色んな、沢山の大切な思いが詰まったトリコロールの日産旗を、たかだか1・2回会っただけ・旗振っただけの私に託してくれたんです。それだけでもう感動でした(涙)。
私はその旗と共に、2000年4月にGT開幕戦ツインリンクもてぎに予選・決勝と乗り込みました。
今でこそ旗が配られ毎戦盛り上がる日産応援席ですが、そのレースは私一人で日産旗を振ってたんです。
日産旗が初めてGT選手権で振られたのです。
予選は風の強い日でした。
私は託された日産旗をニスモピット前でひたすら振っていましたよ。
なぜかオーバルコース上で… 今思えばグランドスタンドから振れば良かったのに…
少しでもニスモピットの近くで振りたいという気持ちからだったのですが…(汗)
決勝はグランドスタンドから旗を振ってました。
予選でNSXが圧倒的に速く、辛いレースになりそうだったのですが、相手のトラブルもあり#1ロックタイトゼクセルGT-Rが見事に優勝したんです!
チェッカーの瞬間はまたオーバルコースに降りて旗を振ってました。チームとより近くで喜びを分かち合いたくて(笑)。
もう嬉しくて嬉しくてクールダウンラップを終えて、表彰台横に停められたGT-Rに「うわぁぁ!!やったよぉ~!GTーRが勝ったよぉぉ(半泣)」とか、もう訳の解らないことを言いながら日産旗をバタバタさせて駆け寄って行きましたよ。
コマス選手と影山正美選手が私に手を振りガッツポーズをしてくれて…(少なくともその時は私にしてくれたように見えてしまいました…) そりゃもう感動しましたよ。
表彰式のときには安達元社長を始め、ニスモスタッフの皆さんが「ありがとう!」って私に握手を求めてきてくれたんです。
「あぁ、一生懸命応援して良かった」と嬉しく思うと共に、私なんかに大切な旗を快く貸して下さった黒澤団長に感謝の気持ちでいっぱいでした。
Posted at 2006/08/28 23:37:42 | |
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日産応援団 | 日記