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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #14

Nジャンとモータースポーツ #14 ~長谷見昌弘選手 黄金時代と静かなジャパンパワーのプロローグ~

1980年。
オレは中学に上がった。
相変わらずクルマバカは全く抜けていないよ(笑)。

この年、F-1のチャンピオンに「ウィリアムズ」が名乗りを挙げたよ。
ウィリアムズ FW07だ。

しかし定番だったエンジン、フォードコスワーズDFVに強力なライバルが登場する。
フェラーリ、ルノーに搭載されたターボエンジンだった。
F-1はいよいよターボ時代に突入することになったんだ。

ルマンはプライベーターが主体。
遂にワークスポルシェがプライベートチームのロンデューM379B/DFVに敗れてしまう。

そんな中、この80年。
日本国内では、長谷見昌弘選手(現:ハセミ モータースポーツ代表)が大暴れ。
全日本F2、鈴鹿F2、富士GC、全日本FP(フォーミュラ パシフィック)の全てのタイトルを獲得したんだ。
長谷見さんのことはハコスカで知ってたけど、こんなに凄い人だったんだって改めて気付いたよ。

サファリラリーでニッサン・バイオレットが連勝したニュースはHOTだったよ。
※1979年~1982年 4大会連続総合優勝

そして、遂にホンダがヨーロッパF2にエンジン供給開始したんだ。
ホンダ遂に復活とニュースになったのを覚えてる。
そのときのドライバーがナイジェル・マンセル選手だったのは後から知ったよ。

2008年05月24日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #13

Nジャンとモータースポーツ #13~情熱の失速!?~

1979年。
遂に小学校6年になったオレだ。
小遣いを貯めてラジコンカーを買ったよ。

レーシングに拘ってタミヤのリジェJS9を買ったんだ。
F-1マシンだぜ(笑)。
もちろん夢中だよ。

ホンモノのF-1の方は常勝ロータスがまさかの失速。
ニューマシンロータス80の仕上がりもイマイチ。
タイレルがロータス79のマシンにソックリなの出してきたのは驚いた。
そしてこの時流行っていたのはフロントウィングレス。
フロントウィングが無いマシンが結構あったんだよ。
抵抗を減らそうとしたんだろうね。
でも結局フロントウィングが必要だとわかって元通りになったとは記憶してる。
ロータスもJPSカラーじゃなくなったし、オレも冷めちゃったんだな。

ルマンに日本車が本格的にチャレンジしてきた。
マツダはサバンナRX-7で完全ワークスで無いにせよルマン挑戦。
しかし・・・・まさかの予選落ち。しかしマツダのチャレンジは続いたんだよ。

そして童夢がルマンチャレンジを開始。
そう、TAKATA童夢の童夢だよ。
その模様は当時放送された「日曜★特バン」という番組で放送されたんだ。

でも結果は・・・・

世界の中の日本車。
その距離はまだまだ遠いところにあったな。
ショックだったよねぇ。

第二次石油ショックがこの頃だったかな?
相変わらず日本車にハイパフォーマンス車が存在しなかったな。
「昭和53年 排気ガス規制」ってヤツだよ。
それに対応しなければならなかったからね。
まぁ、それでもマツダのRX-7が元気だったの覚えているよ。
2008年05月23日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #12

Nジャンとモータースポーツ #12~近いようで遠い場所~

ガキの頃さ、こうだったから親父に「富士スピードウェイに連れてってくれ」って言ったことあるんだよ。
もちろん「そんなのダメに決まっているだろ?」って言われたよ。
モータースポーツなんぞに興味はない上に入場料を払わされるワケだから当然だよね。

当時住んでた家から富士スピードウェイまで100km位かな?
クルマで2時間くらい。
でも行けない場所だったんだ。

親父は言うんだ。
「レースなら時々TVでやってるだろ?それ見てりゃいいじゃんか。」
物足りないから言ってるんだけど理解してもらえなかったよ。

当時はビデオなんて無かったからね。
だから今みたいに繰り返し見ることは出来なかったよ。

そりゃぁ富士スピードウェイに憧れたさ。
行きたくて行きたくてしょうがなかったよ。
でもアシが無かった。

アレは本当に悔しかったなぁ。


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【CMです】

'08 Super GT 第4戦 マレーシア 「日産応援団」インフォメーション。
2008年05月23日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #11

Nジャンとモータースポーツ #11~それぞれのシーン~

1978年、ルマンに衝撃が走ったんだ。
常勝ポルシェが敗れたんだよ。
ポルシェは936-78、935-78(通称 白鯨)に進化して必勝体勢に臨むんだけど、それを打ち破ったのはルノー442Bだったんだよ。
遂にルノーがルマンを制覇したんだ。

もちろん、オレだってラリーも知ってる。
それまでのブルーバード、フェアレディZ、バイオレットのチャレンジも知ってる。レビン・トレノ・セリカも知ってる。ランサーも知ってる。
でもこの時代、ピカイチだったのはランチァストラトス。
「アレ、ラリー走っていいの?」って反則のような気がしたんだ(笑)。
実際はかなりシビアなマシンだったらしいよ。

日本のサーキットでは相変わらずプライベーターが主に走っていたな。
グラチャンは人気だったよ。
F-2も人気でね。
この時、名門ヒーローズレーシングの日本一速い男に一人の男がチームメイトとして迎えられたんだ。
それが中嶋悟氏だったんだよ。
2008年05月23日 イイね!

Nジャンとモータースポーツ #10

Nジャンとモータースポーツ #10~ロータス79に憧れて~

1978年。
小学校5年生になったオレは、F-1のシーズンが楽しみだったよ。
お得意の立ち読みで、あのマシンを見てしまった。
それがロータス79だ。
今までのF-1マシンとは違いエンジンが隠れていてそれでいてヌルリと丸くなったボディに惹かれたんだ。

しかしこの年からF-1シリーズに日本GPは廃止されてしまった。
そんな背景が尚更ロータス79を愛しくさせた。

そして運命の第14戦イタリア モンツァ・・・・
ヒサシ付きヘルメットがトレンドマークのロニーは帰らぬ人になった。

当時は今みたいに全戦TV中継されているワケじゃなかったな。
でも時々放送してる時があって夢中で見てたよ。

この年、F-1マシンに面白いマシンが登場。
ブラバムに大きなファンがセットされたり、タイレルは4輪車に戻された。

この年、ロニーのチームメイト、M・アンドレッティがロータス79でチャンピオンとなった。
ボクはロータス79をカッコイイマシンだと信じて疑わない。
但しロニーの姿とマリオの姿で快進撃を続けるシーンが大前提だと思ってるよ。

プロフィール

「クルマ選び果報は寝て待て 2025.8.25 ver. http://cvw.jp/b/116827/48620038/
何シテル?   08/25 19:25
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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かつて所有していたスカイラインGTS-t TypeM。 初の新車購入でした。
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