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Nジャン(N-JUNKIE)のブログ一覧

2009年03月14日 イイね!

【PLASTIC MODEL KIT】#23 XANAVI NISMO GT-R Vol.9

【PLASTIC MODEL KIT】#23 XANAVI NISMO GT-R Vol.9朝から雨と強風。
今になって少し陽が出てきて…

こんなとき、塗装はやめた方が○。
んなワケで面倒な(笑)スライドマーク作業。

コレが意外と難しい…
細かいマークはまだマシ。
曲面に貼り付けるマークは素直じゃないからドライヤーやMr.カラーのマークソフターを使ったり。

とりあえずマーク終了。
乾燥だな。。。。

次の作業はいつになるやら(笑)。
Posted at 2009/03/14 14:09:54 | コメント(3) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2009年03月14日 イイね!

ローテクとハイテク

ローテクとハイテク最近のクルマを見ると、技術の進化に驚かされる。
エンジン技術からサスペンションとかミッションといったメカの技術など相当なモノ。
アクセサリーとなるともっと凄い。
キーを刺さなくてエンジンが掛かり、情報量豊富なナビゲーション。
オペレーターが案内してくれるシステム。
マイナスイオンのエアコン…
更にTVやビデオが見れる。
多彩なシートアレンジ、リクライニングシートの進化。

そう、運転というかクルマを使用する上で何の不自由もない気がする。
とはいえ、相変わらず自動車最大の欠点である「命がけ」「費用」ってのはネ…。

なのに退屈してしまうオレって何?
ローテクなビンテージカーを見ているだけでワクワクするのは何故?

往年の名車ってあるけれど、昨今のクルマでそれに相応しくなるのは、何だと思います?
国産車でいえば、高性能高額車両か環境に優れたハイブリッド車あたりしか思い浮かばないんですけど…

いや…往年の名車とかいう思想が古いのかな…?

※画像提供:フォトヤマさん
Posted at 2009/03/14 11:40:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | クルマ | 日記
2009年03月14日 イイね!

N-JUN's Memorise of R390 GT-1

N-JUN's Memorise of R390 GT-11997年。
日産はルマンチャレンジの際、前年までGT-Rで挑戦してきたがモンスターGT全盛の時代もあってこの年、R390 GT-1を投入。
優勝候補の一角として誰もが大活躍を期待していた。
それがまさかミッションに問題を抱えていたとは…
残念ながらこの年のR390は勝利を収めたとは言い難たい。
いや、GT-1クラスはLMP-1クラスのマシンに圧倒されたと言ったほうがいいかもしれない。



だがオレは、もうひとつの目線があった。
オレと同郷、静岡人。
子供の頃から憧れていたレーシングドライバー「星野一義」の姿である。
※演出上、敬称略です。星野さん、スミマセン。
彼の年齢からしてどうなのか不安になった。
星野世代のドライバーはもう少数派になってしまっていたのだ。
日産チームとしての同僚、元F-1ドライバー「リカルト・パトレーゼ」が「ホシノ、まだ走っていたのか!」と驚く程だったという※※
※※旧知の間柄らしいっす。



1998年。
遂にその時がやってきた。
「星野 ルマン ラストラン」。

ルマンはワークスが大激突。
まれに見る様相。そう簡単に勝利は収められない。
トヨタ・ニッサン・メルセデス・ポルシェ・BMW…

深夜放送に釘付けのオレだった。
レースはトヨタ・メルセデスが主導権を握る。耐久レースなのにスプリントレースのようなバトルを展開。
対象的なのはポルシェとニッサンそしてBMW。じわりじわり走る作戦だったようだ。

時折TVに映る日産応援団。
既に存在は知っていたが、遠い存在だと思っていた。
翌年のルマンでその中に自分が居るとは考えてもいなかった。

朝方までTV中継を見ていた。
午後少し放送が入るのだが、もちろん見逃さない。

その日のオレは、何も手がつかなかった。

夜の放送。
ダントツだったチームのスローダウンの情報が入ってきた。
愕然とするピット内。
トップの入れ替わりに湧き上がるチーム。
それも1-2。

そして3位に浮上したニッサンR390 GT-1。
星野一義・鈴木亜久里・影山正彦 組、ゼッケン32が表彰台圏内日本人トリオ初のポジション。
いや、それどころかR390は10位以内に全車が入り込む。



オレはそれでも諦めていなかった。
先頭1-2の脱落というチャンスもあると信じていた。

しかし数々の栄冠ある王者にその死角は遂に無かった。

星野ラストランに、TVレポーターとしての関谷正徳(現:TOM’S監督)氏も泣いた。

そしてゴール。R390は#32が3位、#30が5位、#31が6位、#33号が10位という結果だった。
それでも喜びは隠し切れなかった。
ニッサンの表彰台に何を思うか…
星野・鈴木・影山に何を思うか…


☆画像提供:黒澤日産応援団長

後日、Nジャン号(BNR32)の点検でディーラーを尋ねた。
待っている間、この時のルマンチャレンジのVTRを見せてもらった。

ゴールの瞬間、バンザイ三唱をしている柿元監督と日産応援団。
「あの中にオレは居たかった。」と本気で思っていたのは黙っておこう(笑)。

数年後、このバンザイ三唱の事を団長に言ったことがある。
「何でそれを知っているんですかっ!?」
だって(笑)。
Posted at 2009/03/14 09:18:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産 | 日記
2009年03月13日 イイね!

17年の空白

17年の空白それはドライバーNジャンとして忘れられない事。
いや、一生忘れられない事だと思う。

この季節になると思い出すあの忌まわしい午後。
その一部始終は今でも忘れていない。
17年の時を経てもその記憶は何一つ変わっていない。
変ったのは町の風景とオレの生活環境。

二度と帰れぬあの春の日。
その一瞬で全てが奪われた日。

¨オマエもオレも41歳の筈だよ¨

https://minkara.carview.co.jp/userid/116827/blog/67100/
Posted at 2009/03/13 20:54:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2009年03月12日 イイね!

B10 サニーの思い出

B10 サニーの思い出まだ小学校に入る前の事の記憶。
親父が免許を持ったのはボクが小学校に入ってすぐの頃だったらネ。

両親に連れられ電車で静岡市内にあるオフクロの従兄弟の家に行った。
浅間神社に近いんだなぁコレが。
具体的に言うと今では亡くなったお婆さんの妹の家だ。

「川遊びに行かないか?」
その一言で両親とボクと妹の家族4人とオフクロの従兄弟の兄妹と6人でサニーに乗り込んだ。
まだボクらは小さくて膝の上に座れた(当時は許されていた)。
ギュウギュウ詰めのサニーに揺られ安倍川上流へ向かう。
誰かさんの故郷方面だな(笑)。

そのサニーはB10型。
実家にある写真でそれを確認できる。
親父「古いけどすげぇピカピカだな~。」
従兄弟「あまり乗らないんですよ。会社の車使ってるから。」

安倍川で釣りや川遊びを楽しむ。

帰りは前に乗りたくてダダをこねたオレ。
「いつも後ばかりじゃヤダ」
見かねたお姉さんが「一緒に乗ろう」と前座席に。
膝の上のボクはご機嫌だった。

安倍川と平行して街に向かう。
トンネルに入ってもワクワクするような気持ち。
いくらなんでも子供に下心無いだろー(笑)

先日、B10型サニーを再び見ることができた。
そのことを懐かしく思い出した。
Posted at 2009/03/12 22:35:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 記憶のクルマ達 | 日記

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何シテル?   09/14 21:01
「治療不可能な日産中毒患者」、「N-JUNKIE」を略して『Nジャン』と申します。 少年時代、スカイラインに魅了された事にはじまり日産ファンに。 ク...

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