
皆さんも24時間、大変でしょうが、我々も頑張りますので是非応援よろしくお願い致します。
日産応援団15周年記念、「15th ¨NISSAN MOTORSPORTS SUPPORTERS ¨」です。
「Nジャンが不定期ながら、日産応援団メンバーについて語ります。
順不同、ランダムで掲載致します。 」
…という筈でしたが今回は記念すべき「23」回目。
何方に登場してもらおうか考えましたが…
やはりこの方が一番でしょう!
[業務連絡]
Nジャンさんがピット入ります~!
ピットマンズ日産応援団Ver、最高の仕事をしようぜ!!
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~第23回 偉大なる日産応援団の父~
彼の名前は「安達二郎」さん。
言わずと知れた二代目、ニッサンモータースポーツインターナショナル(株)代表取締役社長[1995-2002]です。
浦和出身のサッカー選手。日産自動車サッカー部(現:横浜マリノス)監督として活躍。
Jリーグ発足後、横浜マリノスの関係者としても活躍。
そしてNISMOで手腕を発揮した人物です。
レースの世界とファンの距離に疑問を持っていた安達さん。
ファンクラブ「Club Le Mans(現:NISMO Club)」を立ち上げ、現在も続くニスモフェスティバルを企画。
モータースポーツとファンの距離が一気に縮まるのです。
1995年、ルマン24時間レース。
NISMO GT-R LMが参戦。
翌年の1996年、日産応援団黒澤団長が観戦ツアーに参加。
日産応援団が自然発足。
以後、リピーターを含め数十人がツアー参加。
安達二郎さんが日産応援団を(出来る範囲で)全面協力。
言わば、日産応援団の父なのです。
オイラと安達さんとのファーストコンタクトは、1999年のルマンツアー帰国後の事です。
一通の文面が郵便で届きました。
残念だった結果に悔しさ溢れる文面でした。
オイラは速攻で返事を書きました。
「憧れのルマンに行けて、日産を応援できて、本当に嬉しかったです。」
2002年。
安達さんが社長を退任され日産応援団は食事会を企画。
安達さんは「Nジャンさんでしょ(もちろん本名で呼んでくれました)?お子さんいらっしゃる
※からすぐにわかりましたよ」と。
※当時の日産応援団、子供はウチのお嬢だけでした。
その後、安達さんとのコミュニケーションが続くようになりました。
Nジャン(以下 N)「藤枝東高ならウチ(実家)から歩いて行けますよ。」
安達さん(以下 安)「え!? あの辺りなの?」
N 「ご存知なんですか?」
安 「知ってるも何も選手を見に行った事あるし、○○○○器の○○君を知ってますよ。」
N 「ええっ!?」
安達さんに教えられた事も多い。
N 「色んな方がいらっしゃるでしょ? 文面とか気を使って(極力アタリサワリ無いように)いるんですけどね…」
安 「Nジャン君、そんな事考えていたの? いいんだよ、言いたい人には言わせておけば。」
黒澤団長はオイラと同い年(団長は早生まれ)。
安達さんはウチの親父と同い年。
オイラが日産応援団に参加しているのは必然なのかな?
それともただの偶然なのか…
偉大なる日産応援団での父は03年の決起集会(キャンプ場で開催)で、オイラにこう言ってくれました。
¨Nジャン君のGT-R、
すっげぇキレイに乗ってんなぁ!!¨

Posted at 2011/01/31 22:31:59 | |
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