
うっすらと記憶している幼少時代のペダルカー。
赤色だった事だけ覚えている。
今でも当時の写真があるので確認するとVWビートルのペダルカーだった。
幼稚園に通う寸前、家の近くに真っ青なクルマがあった。
あまりにも印象的だったので、姿形だけは鮮明に覚えている。
やがて調べてみるとソレは通称バリカン・コロナ。
カタログにはないカラー。
全塗装車だったんだねぇ。
幼稚園に通いだすと、道中、印象的な白いクルマがあった。
あまりにも特徴的な顔をしているのでこれまた姿形だけは鮮明に覚えていたりする。
日野コンテッサだった。
叔父が乗っていたクルマも青色だった。
割と最近、写真を見る機会があったので拝見すれば、なんと510ブルーバードSSS。
「ウヒョウ~、510だよ!」と言えば「オマエをよく乗せたよ。仲人さんから譲って貰ったクルマだ。」との事。
510ブルといえばグレードはGL、音楽教室の先生(勿論、女性です。)の愛車だった。
オイラは当時9歳。
ある日、ある男性が音楽教室(現在閉鎖、他教室へ統合)に現れた。
先生と軽い話をして「隣の店(喫茶店。なんと今も健在!)で待ってるから。」と。
「先生、恋人?」と聞くと「違うよ。」との事。
今ならわかる。
当時の先生に言ってやりたい。
「ウソつけ!」と。
それを証拠にその数か月後、先生は結婚した。
その男性はなんと大きな外車に乗って現れたのだった。
ちなみに後から知ったのけれど、リンカーン・コンチネンタルですぜw
あの頃、クルマに全く興味が無かったというワケじゃないけれど、ボディーカラーだけを見ていた気がする。
車名までは覚えようとはしなかった。
当時は鉄道に夢中。
鉄道少年時代。
乗り物に夢中になるのは自然だった。
カラフルな車体、スピードに魅力。
更にTVヒーローに夢中。
定番のウルトラマンに仮面ライダー。
一転したのは親父が自動車免許取得して、初めてマイカーなるモノがやってきた事による。
少しずつクルマに興味を持ち始める。
ある夏休み、東京に住んでいた従兄弟がウチにやってきてプラモデルを作ろうというハナシになった。
深く考えず「これ、最近よく見るね。」と言いながら手に持ったのはブルーのクルマ。
「スカイライン(ケンメリ)」という車名がわかった。
なぜかそれ以前にスカイラインという名前は知っていた。
初めて作ったプラモ、当然ロクな出来じゃなかったけれど、机に飾れば毎日目にする。
やがて愛着が沸き、このクルマについて知りたくなった頃、親父が購入してきた雑誌。
特集はご存知、スカイライン伝説だった。
親父がクルマを乗り換えれば販売店のスポンサーが貼られたFJのレーシングマシンのポスターを頂いた。
ドライバープロフィール、「静岡市出身 星野一義」。
理髪店の待合室で読む少年誌は最高。
あるマンガ(超バレバレ)がキッカケでスーパーカーブームが巻き起こる。
三保で開催されたスーパーカーショウに連れて行ってもらったのだが、未だにオフクロは後悔してる(笑)。
おかげで夢中になりすぎて勉強もロクにしなくなったと今でも愚痴(苦笑)。
親父は自動車関連会社勤務と知る。
「会社で、あのクルマの部品、作っている。」という話は毎回楽しみだった。
通学路の歩道橋。
下を走る国道のクルマ達を眺めるのが大好き。
ポルシェでも通ろうモンなら「今日はイイ事ありそう」と最高な気分。
見かけるVWビートルのボディカラーのゲームもやったけどさ。
オイラのシンネンイチロが始まった。
知れば知るほどに夢中。
未だに変わらないのはもう笑うしかないな(爆)。
Posted at 2017/08/29 21:40:41 | |
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