もしかしてタイトルに釣られました?(すいません)
ついに強いんだか弱いんだか、格好いいんだか格好悪いんだか、なんとも摩訶不思議ワールドのイタリア機が登場です。フィアットのG55S「SILURANTE(シルランテ?)」という身元不明な機体がロールアウトしました。この機体については情報が皆無、ネットを彷徨してもこのプラモデルしか出てきません(笑)ということで、この機体の元となった(と思われる)G55「チェンタウロ」についてまずはご紹介します。(
ギャラリーもどうぞ)
イタリアといえばドイツと共に日本にとっては三国同盟の朋友・・・とはいえ、ヨーロッパ戦線ではむしろドイツの足を引っ張るばかり。散々の戦績にそこで使用された航空機についても評価が難しいのですが(笑)簡単にイタリア戦闘機の略歴を。
ヨーロッパで大戦が始まる直前、イタリア空軍も複葉機(
フィアットCR42)から金属製単葉機へと近代化が進められました。この機体の前身である
フィアットG50やライバルの
マッキMC200といった単発単葉空冷エンジン付きの「新鋭機」を揃え、某独裁者をして世界最強の空軍と言わしめたイタリア空軍は、参戦と同時に主に北アフリカ戦線で英軍の(ホントの)新鋭機スピットファイア等に散々な目に遭わされます。
その惨状を打破すべく講じられたのがエンジン出力のUP。マッキMC200には朋友ドイツから、
Bf109E等に採用されていたダイムラーベンツの液冷DB601エンジン(1175馬力)を輸入しライセンス生産(ちなみにライセンス生産したメーカーはアルファロメオ)したものを搭載しました。これは
MC202「ファルゴーレ」となりイタリア戦闘機の決定版となりました。
一方のフィアットG50はさらに強力なDB605エンジン(1475馬力)・・
Bf109G型に搭載されたエンジンを採用し、機体自体も液冷エンジンに合わせリファインした結果、最大速度は一挙に160km/hアップの630km/hに向上したそうです。これをG55「チェンタウロ(上半身人間で下半身が馬のケンタウルス)」と名付けました。(エンジン換装した機体としてはぴったりの名前ですね。)
しかし、性能的には世界の水準に引き上げられたものの、1942年4月の初飛行以来生産は遅れに遅れ(主にフィアット社でのDB605エンジン生産の遅れによる)、イタリアが降伏する1943年9月までの一年半でたった31機しか完成しなかったとか。イタリア降伏後も抵抗を続けた北イタリアのファシスト政権下ではさらに生産が続けられ100~300機(諸説有り)が完成したという話しもあるそうです。
さて、ここからが、今回のキット「SILURANTE(シルランテ?)」についてです・・・イタリア製のキットの組立説明図に英語で簡単に書かれた内容を要約すると
”
この戦闘雷撃機は1943年に、有名ながらすでに古いSM79sに替わる機体として、空軍大臣からの「奇襲に適したより高速な雷撃機が必要だ」という要請から生まれた。G55「チェンタウロ」からの改造内容は、主翼下部センターにあるラジエターを2分割しホワイトヘッド魚雷(重量980kg)を胴体中心に懸架出来るようにし、下部のクリアランスを得るため尾部車輪は固定式にして支柱を長くした。
このG55Sは1944年末までテストが行われ、高速での攻撃、卓越した機動性、そして元の戦闘機と同じ強力な兵装(20mm×3 12.7mm×2)によって敵戦闘機を振り払う事が可能で、その作戦遂行能力の高さを立証した。その後1946年にはG55Sは練習機に改造された。”
だそーです。なんというか、結局この機体はイタリア降伏後に開発されたのか?降伏という重大事をよそに開発が続行されたのか?何とも良く分からないのですが、まあ戦闘雷撃機という希有な機体として、魚雷を抱えたルックスは結構格好良くイケてるので、それだけでOKなのかな、と。
イタリアの飛行機ですからそこら辺が一番重要だろうと・・・
イケてるか否か、それが問題なのだ と(笑)
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◇プラモ-イタリア | 趣味
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2007/11/19 19:07:17