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2009年09月13日 イイね!

◇潜水艦に飛行機? E14Y零式小型水偵

◇潜水艦に飛行機? E14Y零式小型水偵 潜水艦というのは(第二次大戦当時は「潜水も出来る船」でしたが)、その海域に一隻いる(かも知れない)というだけで、相手側には対潜哨戒や複雑な艦隊行動など、大きな負担を強いる事の出来る艦種でした。なんと言っても、水中の物体を探知する事の難しさが、潜水艦の存在意義です。(ギャラリーもどうぞ)

 その特性を活かし、敵側の動きを偵察する任務に就くことも多かったのですが、そこで問題になったのが、小さな(=低い)艦橋からは遠くが見えない、という視程の短さでした。それを補うため潜水艦に飛行機を積む試みは、第一次大戦後から各国で試行されていましたが実戦に積極的に活用した例は日本だけでした。(独Uボートがオートジャイロを搭載したこともありました。)
 
 この零式小型水偵は、水上機王国日本海軍らしく、「零式三座水偵」「零式小型水観」と同じ「零式」の名前を持っていますが、潜水艦搭載を前提とし、水密円筒収納庫に納まるように組み立て式の特殊な機体です。あまり詳しい資料がないのですが、初の単葉機のためか、低速(発艦、着水)時に揚力を発生させる、主翼後端全幅にわたる大きなフラップが特徴的です。また小型(360馬力)エンジンはフードに沢山コブがあるのがキュートですね。(このコブと双フロートから全体の印象は同じく水上機の独のアラドAr196を思い出させます。)

 また潜水艦側にも発艦用のカタパルトが装備され、浮上後最短15分で組立、発艦が出来たそうです・・・ただし着水後の収容は結構時間がかかったようで、波の大きな時には最悪機体は諦めパイロットのみを救出する事が決めてあったとか。発艦も海面に近い(低い)位置からになるので、カタパルトは角度が付けられていました。当時は3G以上では身体に悪影響があるとされ、このカタパルトでは加速度は2.5Gくらいに抑えられ、しかも一回幾らという危険手当も支給されたとか、海軍では40歳以上の人はカタパルト発艦はしないことになっていたとか・・・。

 この機体が唯一(同時に史上唯一)名を残した作戦は、1942年9月9日(及び29日)、イ二五に搭載された一機が75kg焼夷爆弾2発で、米国本土オレゴン州の森林地帯を爆撃した、という作戦です。その直前に行われた米軍の首都東京爆撃への報復作戦ということのようでしたが、直接的な損害はごく軽微でした。ただし、その後自国沿岸の警備哨戒に労力を強いたという点で、潜水艦本来の任務を果たした、とも言えそうです。

参考文献 光人社NP文庫 「潜水艦入門 木俣滋郎著」
※この本は第二次大戦期の潜水艦を知るには名著です。ご興味のある方(は、いないでしょうけどw)にはオススメです。
 
Posted at 2009/09/13 21:46:02 | コメント(6) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2008年12月08日 イイね!

◇隼1型 

◇隼1型  日米が開戦した12月8日。空母を発進した海軍航空機による真珠湾攻撃はあまりに有名ですが、その陰に隠れるように特殊潜行艇による攻撃も行われました。先日(アメリカの)ディスカバリーチャンネルで、攻撃を受ける真珠湾の写真に写った謎の物体がこの潜行艇ではないかという検証番組があり、その中で日米の戦争で最初の一発を撃ったのは(写真のとは別の)潜行艇を撃沈した米駆逐艦ウォード号だった、と結んでいました。


 でも、その前日12月7日に、マレーに上陸する陸軍部隊を輸送する艦艇の上空護衛の戦闘機が、偶然通りがかった米哨戒機を有無も言わさず撃墜しています。これが日米間の最初の一発、だったのではないかと思います。
で、米軍機を撃墜したのは陸軍の97式戦闘機・・・あれ、有名な「隼」じゃなかったの?

 ということで長い前置きの末(笑)ご紹介するのが今回の機体、日本陸軍の精鋭、キ43戦闘機中島「隼1型」です。(ちなみに主力となった2型については以前の記事をご参照下さいませ。)

 決定的な航空力の強さを見せつけた海軍とは裏腹に、陸軍は航空兵力の近代化が遅れていました。広大な太平洋を舞台とする海軍は航空機の航続距離が最重要課題だったため、零戦への機種変換がほぼ完了していたのですが、一方戦術空軍的な陸軍戦闘機は格闘戦性能が至上とされ、従来の97式戦闘機がまだ主力でした。

 「隼」はそのため開発から2年ほどほぼ放置されていたそうです。開戦時にはたった40機ほどしか配備されていなかったそうですが、今回の機体は1941年夏に中国の漢口飛行場に配備されていた機体です。1型はまだプロペラが2枚、迷彩塗装もなくジュラルミンの肌そのままに派手な稲妻マーキングが描かれています。(ギャラリーもどうぞ)

 第一次大戦では戦闘機はむしろその存在を誇示することで、敵軍の攻撃意欲をくじく、という考えがありました。この隼1型を見ているとそんな大らかな時代の雰囲気が少し残っているような気がします。すでに泥沼にはまっていた日中戦争ですが、この美しく精悍な金属の光沢をもつ最新式の戦闘機に対する日本軍兵士の期待はさぞ大きかった事でしょう。
Posted at 2008/12/08 22:17:31 | コメント(4) | トラックバック(1) | ◇プラモ-日本 | その他
2008年05月06日 イイね!

◇ワンショットライター--一式陸攻

◇ワンショットライター--一式陸攻 無名稀少機が続きましたが、今回は久しぶりに超定番機がロールアウトしました。海軍の三菱一式陸上攻撃機・・・愛称はなく「一式陸攻」と呼ばれる双発の攻撃機です。あと、大きさ比較の煙草箱代わりに零戦21型もお付けしました(笑)(ギャラリーもどうぞ)
 海軍機なのに陸上基地から運用される双発大型機が開発された背景には、第一次大戦の反省により各国の軍拡抑制のため、海軍艦艇の保有数やトン数を制限するワシントン海軍軍縮条約ロンドン海軍軍縮会議の結果がありました。空母を含めた艦艇について数的に不利となる条約をうけ、その差を埋めるために、空母の代わりに陸上基地から発進する攻撃機、というコンセプトで開発されました。

 機体開発では当時海軍の基礎研究の結果から、爆弾魚雷などを胴体内に収納するための大直径の胴体も、大出力を得るための大直径のエンジンも、無理に直径を絞らず紡錘形に形を整えることで抵抗を減らす、という考えでまとめられました。(これは同じ海軍機の「雷電」や「強風紫電紫電改」でも採用された方法です)葉巻型の太い胴体とアスペクト比の高い(細長い)主翼は、速度と航続距離のバランスの結果生まれた特徴的な形状です。
 実戦では開戦直後、航行中の英東洋艦隊主力艦を沈めたマレー沖海戦が有名です。(真珠湾攻撃はあくまで無警戒で停泊中の艦艇に対する攻撃、それに対してこの海戦は戦闘状態の戦艦を沈めた、という点でより驚異的だったのですが。)また、後には山本五十六長官を狙った暗殺ミッションの時、その目標となった長官の乗機が一式陸攻でした。

 大戦時の日本攻撃機を代表する一式陸攻ですが、その長大な航続距離(2500km~6000km)と引き替えに防弾性、構造強度といった部分に弱点を抱えていたのは他の日本機と同様でした。特に主翼構造体の空洞部分をそのまま燃料タンクとしたインテグラルタンクのため、後期型でも充分な防弾対策を施すことが出来ず、被弾すると容易に火災を発生することから、対戦した米軍パイロットからは「ワンショット・ライター(OneShotLighter)」とあだ名されました。

 大戦直前に開発され制定された多くの日本機と同様、一式陸攻も緒戦の圧倒的な戦果と後半の悲劇的な出撃といった対照的な実績を残しましたが、陸上攻撃機を海軍が開発運用するという根本的な違和感についてもまた考えてしまいます。

※7/10 miko1035さんの「Big Bird」シリーズ・一式陸攻 にTBしました。
Posted at 2008/05/06 13:34:09 | コメント(5) | トラックバック(1) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2008年04月15日 イイね!

▽キ45改 二式複座戦闘機 「屠龍」

▽キ45改 二式複座戦闘機 「屠龍」 久しぶりに日本機がロールアウトしました。おそらく日本の戦闘機の中でも、存在感の薄さでは上位に入る、川崎二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」です。(同じ年に単座戦闘機「鍾馗」も制定されたため、「二式」だけは「複座」「単座」という言葉が制式名称に入ります。)ギャラリーはこちらをどうぞ。

1930年代、第二次大戦の直前、世界的に双発戦闘機の開発がブームになり、各国で速度と航続距離のアップを目論んだ機体が開発されました。ドイツのBf110、アメリカのP38、フランスのポテ631、そして日本では海軍の十三試複座陸上戦闘機(後の「月光」)と、この陸軍の「屠龍」の前身キ45です。
 当時は各国ともエンジン出力は大きくても1000馬力級。速度をUPさせるには馬力の大きなエンジンを積めば良いのですが、俗に「機体3年、エンジン10年」といわれるようにエンジン開発は時間がかかります。そこで手っ取り早い方法としてエンジンの双発化が注目され、(結果的に)機体が大きくなることで燃料タンクも大型化=航続距離も大きくなり、自軍爆撃機に随伴する護衛戦闘機として期待されました。

 当初開発されたキ45(ちなみにキ43は「隼」キ44は「鍾馗」です。)は性能が要求値を下回り、空力的にも大きな欠点をもっていたため、高出力エンジン(といっても1000馬力程度ですが)に換装、機体主翼設計も大幅に改良しキ45改として試験を受けることになりました。試験結果は良好と判断され制定化「屠龍」と呼ばれる事になります。

 しかし特に日本軍が期待した「単座戦闘機と同等の格闘性」という性能は、当然の事ながら実現出来ず、また最高速度も単発機とさして違わなかったため、敵単発戦闘機に圧倒され、多くの実戦部隊で不評を買うことになりました。唯一敵爆撃機の迎撃にのみ活躍したそうで、後日、米軍の日本本土爆撃が常態化する中で対爆撃機要撃、夜間要撃機として使用され、十数機の撃墜を記録したそうです。

 各国で開発された双発戦闘機は、米軍のP-38※以外は本来の長距離戦闘機として大成せず、ほとんどがこの屠龍と同じような経過を辿る事になりました。ただしBf110は大戦末期の独本土爆撃の際、夜間要撃機として千機以上の撃墜を記録しています。結局、防空体制、運用システムといった部分で機体の持つ潜在能力を引き出せたか否かが、屠龍(及び月光)との大きな差になった、ということのようです。

※ただしP-38は双発ですが、単座(乗務員1名)です。
Posted at 2008/04/15 19:08:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2007年11月11日 イイね!

▽和製ロケッティア 三菱「秋水」

▽和製ロケッティア 三菱「秋水」 ご存じのように第二次大戦で日本は独伊と同盟を組み、枢軸国として参戦していました。その関係からいくつかの軍事技術が独よりもたらされ、特に航空機については独の実機も数機輸入された実績があります。そんな独技術の輸入によって日本の空を(ほんの数分ですが)飛んだロケット戦闘機、三菱試製局地戦闘機「秋水」がロールアウトしました。ギャラリーもどうぞ

 この機体の元になったのは独のメッサーシュミットMe163「コメート」です。敗戦の色が濃厚となった昭和19年、米軍の新鋭大型爆撃機(B-24)の開発と配備の情報を掴んだ日本軍が、それの対抗策として開発を急いだのがこの機体です。
 同盟国と言っても日独は、その間のほとんどが連合国側だった一万五千海里離れた遠い国同士。技術の供与と言っても当時は大西洋~南アフリカ~インド洋~東シナ海と危険な航海を密かに潜水艦で行き来するしか方法がなく、Me163の技術資料を積んだ2隻の潜水艦(うち一隻は大西洋で撃沈されました)によって運ばれました。シンガポールにようやく到着した潜水艦から、資料の一部を携えた技術将校が空路(一足先に)日本に到着し開発が始まりました。(潜水艦の方は台湾付近で撃沈され、残りの資料、資材は失われました。)

 技術資料と言っても概略を示した設計説明書、ロケット推進薬の化学組成表等しかなく、設計陣はそれを撮影拡大した輪郭のぼやけたものを元に、多くの部分を推測しながら設計を進めたとのことです。しかし、そんな条件でありながらも、たった2ヶ月で設計完了、一年以内で試験飛行にこぎ着けるという驚異的な早さで開発は進みました。
 とはいえ、機体については今までの経験、技術の上で比較的順調に経緯したのに対し、ロケットエンジンについては未知の分野。薬液の生産、エンジンの耐久性、あらゆる点で開発は難航しました。結局本来の耐久試験を待たず2分間の全力運転さえ出来れば、それで初飛行するとの方針が20年4月に決定されました。
 ちなみに、元になったMe163との性能比較としては、ロケット推力は約12%低く、重量は10%軽い、と言うことで最高時速は7%低い約900km/hという推定がされていたそうです。

 実際の初飛行は昭和20年7月7日、準備に手間取り初飛行は夕方16時55分に滑走開始。狭い飛行場(海軍追浜飛行場)のため、燃料を1/3だけ積んだ「秋水」は離陸、目を見張る上昇速度で急上昇をはじめましたが、高度350mほどでエンジンが停止、急遽旋回し不時着態勢に入ったのですが、建物屋根に接触し大破。パイロットは重傷を負い数時間後に亡くなりました。

 エンジン停止の原因は、薬液を1/3しか積まなかったため、タンク前方側にあった薬液取り出し口からの燃料が途絶えたためだったとか。技術的な問題と言うより、運用的な問題として捉え軍担当者は三菱側の設計を弁護したそうです。
 わずか数分の飛行でしたが、1年という短期間で新しい技術を形にした日本のロケッティア「秋水」はやはり記憶に留めたい機体だと思います。
Posted at 2007/11/11 18:31:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味

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