• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

naka3051のブログ一覧

2007年10月03日 イイね!

▽いかつい介添え戦士 ブリストル「ボーファイター」

▽いかつい介添え戦士 ブリストル「ボーファイター」 久しぶりに蛇の目飛行機、英国空軍の、ブリストル「ボーファイター」がロールアウトしました。闘志を込めて立つブルドックのような、大きなはさみを突き出したザリガニのような、独特の雰囲気を持つこの機体、名前こそ「介添え戦士」と主力には成り得ないと自ら宣言しているようなものですが、とても魅力的な機体です。(ギャラリーもどうぞ)

 このボーファイターは第二次大戦直前、それまでに雷撃、爆撃、哨戒機として採用されていたブリストル社の「ボーフォート」という機体の胴体前部のみを再設計し開発された、いわば急造戦闘機です。双発戦闘機が(高出力エンジンを備えた)単発戦闘機にかなわないことがはっきりと分かるのは、この機体が部隊配備される直前のバトル・オブ・ブリテンの時期でした。そのため、ボーファイターは当初から夜間戦闘機として期待され、ごく初期型の機上レーダーを装備し配備が進みました。(このキットも夜間戦闘機型で、ホントなら主翼と胴体の先端にアンテナが付くのですが、どうも気に入らないので付けていませんw)
 攻撃機から戦闘機に変更する際短くなった胴体前部は、両翼のプロペラより後ろに奥まっています。胴体自体もおむすび型の断面で、それらがこの機体の独特の雰囲気を醸し出しているようですね。航法士のための透明なレドームもイカしています。
 その後、英国への独夜間爆撃がなりを潜めると、今度は雷撃、爆撃、哨戒機として活躍をしました(ボーフォートに完全に取って変わったということでしょうか。)。ロケット弾を両翼に装備したタイプは、英国本土から北海方面やノルウェーのフィヨルドまで多くの艦船に脅威を与える存在となったそうです。
 
 ちなみにアジア方面に配備されたオーストラリア軍のボーファイターは、零観や二式水戦を配備した日本軍前哨部隊と交戦したり、ダンピール海峡で日本軍輸送船団をスキップボンビング(反跳爆撃)で全滅させた海戦にも攻撃に参加しています。

 スマートでも美しくもないのに、なんだか格好いい・・・やっぱり英国機は良いですね~。
Posted at 2007/10/03 23:56:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-英国 | 趣味
2007年06月06日 イイね!

▽ご長寿アニー アブロ「アンソン」

▽ご長寿アニー アブロ「アンソン」 ハイペースで製作が進む英軍機ですが、今回は英空軍を影から支えた知られざる名機、アブロ「アンソン」がロールアウトしました。この機体は特に際立った性能はない、言ってみれば平凡な飛行機なのですが、それが逆に幸いして使い勝手の良さで多くの場面で活躍した機体です。(ギャラリーもどうぞ)

 このアブロ社のアンソン、原型は中型旅客機として1935年(昭和10年)ころ開発された機体です。開戦の暗雲が広がりつつあった当時、適当な哨戒機を持たなかった英空軍が目を付け、構造の強化、旋回砲塔の設置、開口部を大きくするなど改修を行った軍用タイプを採用することとなりました。安定性、航続距離など哨戒機としては問題のない機体で、対Uボートとして実戦に投入されましたが、唯一の弱点は爆弾の搭載量が少なかった事。開戦直後からアンソンはアメリカから送られたロッキード「ハドソン」に更新されていきました。
 その後(実はここからが本領発揮ですが)は、爆撃機パイロット、爆撃手等を養成するための訓練機として多く運用されました。また部隊間の連絡機、軽輸送機としてオールマイティーに運用され、英軍将兵からは親しみを込めて「アニー」と呼ばれるようになったそうです。

 アンソンにまつわるエピソードとしては・・・バトル・オブ・ブリテンの直前1940年6月に、アンソンが3機でドーバー海峡を哨戒していた時、9機の独空軍Bf109に襲われた事がありました。独の主力戦闘機に対して巧みに回避を続け、逆に2機を撃墜し、アンソンは3機とも無事に帰還したという信じられないような話が残っています。
 また、バトル・オブ・ブリテンの最中、電子機器を搭載されたアンソンによって、独側から発信される不信な電波(それは独爆撃機を目標に導く誘導電波でしたが)の正体を突き止めるのに役立ちました。これが世界初の電子偵察機と言うことになります。

 アンソンは1935年の採用以来、終戦後の1952年まで実に17年も生産が続き、結果的には1万機以上も生産されました。最終的に最後のアンソンが退役したのはなんと1968年・・・航空機の発達が顕著だった当時にして、33年に及ぶ就役年数は驚異的な長寿機と言えます。軍用には似つかわしくない大らかな機体が成し遂げた偉業には敬意すら感じますね。
Posted at 2007/06/06 00:15:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | ◇プラモ-英国 | 趣味
2007年05月23日 イイね!

▽最大の災難 ボールトンポール「デファイアント」

▽最大の災難 ボールトンポール「デファイアント」 さあ、お待たせしました真打ちの登場です(笑)。飛行機ファンなら皆さんご存じ、第二次大戦機の中でも迷作機として不動の評価のボールトンポールの「デファイアント」がロールアウトいたしました。今回のキットは夜間戦闘機のカラーリングになっています。(ギャラリーもどうぞ)

 ファンの皆さんはすでにご存じかと思いますが、そうではない皆様にご紹介しますね。この機体は大戦以前に開発が始まった単発複座の「戦闘機」です。特異なのがコックピット後部に、爆撃機などにはよく見られる4連装の動力銃座を背負っている点です。一般的(というか常識的には)戦闘機は機軸に合わせた固定機銃を前方に向かって装備し、パイロットが敵機に照準し(照準の中に入るように操縦し)機銃を発射しますが、この機体ではパイロットは操縦に専念し、後席の機銃手が銃座を操って機銃を発射します・・・空中戦の二人羽織とでも言うようなコンセプトで開発された機体です。

 機体自体は動力銃座だけで700kgも重量があるのに、例えば同じ英国で同時期に開発されたハリケーンと同じぐらいの大きさで、決定的なのはエンジンも同じ(馬力も当然同じ)だったこと。これだけの重量を単座戦闘機と同じような主翼面積で支え、同じエンジン出力で引っ張るとどうなるのかは予想が付きそうなものですが・・・つまり、スピードが遅く、上昇力も低く、運動性が劣悪な戦闘機の出来上がりです。ちなみに、ボールトンポールという会社は機体メーカーではなく、もともとは動力銃座のメーカーです・・・自社の銃座販拡のために単発戦闘機を作ったということかも知れませんね。

  もちろんそういった意見は後から眺めた辛辣な見方でして、当時は第一次大戦中に活躍した単発複座で旋回機銃を持った機体のコンセプトを踏襲した・・・すなわち実績のあるコンセプトに沿った機体だった、ということのようです。問題は第一次大戦時には比較にならないスピードと機動で空中戦が行われるようになった、ということでしょう。

 しかし、登場した当初、連合軍が大陸から撤退するダイナモ作戦(ダンケルクの撤退戦)では独機を65機も撃墜する活躍もしています。しかしこの時は友軍のハリケーンやスピットファイアが敵の戦闘機を引き受けてくれ、大名待遇で敵爆撃機などを攻撃しスコアを稼いだというのが実態。この時期にすでに、戦闘機同士の戦いでは全く対応が出来ないと認識され、昼間戦闘機としては損失が多すぎるため早々に夜間戦闘機として運用されるようになりました。(今回のキットはその夜戦型です。)まだ機上レーダーも装備されていない時期でもあり、またやはり特に上昇力の貧弱さから夜間戦闘機としても順次ボーファイターモスキートと交代していき、大戦終結まで(お荷物の動力銃座を下ろして)標的曳航機や練習機、雑用機として使われました・・・というのも1000機以上も作っちゃったからです。

 「英空軍戦闘機集団、最大の災難」と呼ばれるデファイアント。後の書物や果てはこんな素人ブログにまで(笑)駄作機として登場することとなりましたが、結局のところ、開発に際してのコンセプトが現状とブレていた・・・さらにそれを正しく責任感を持って指摘する人間がいなかったということが悲惨な結果の最大の原因です・・・まあ、これと似たことが日本でも最近まで沢山ありましたけどね(苦笑)

追伸・・嗚呼、なんとしたことか海軍でもブラックバーン「ロック」という同じコンセプトで開発された機体があります・・・悲しい話です。
Posted at 2007/05/23 22:31:28 | コメント(4) | トラックバック(0) | ◇プラモ-英国 | 趣味
2007年05月20日 イイね!

▽厚翼の迫力 ホーカー「タイフーン」

▽厚翼の迫力 ホーカー「タイフーン」 前回ブログFw190の紹介中に Fw190にスピットは追いつくことが出来ず、唯一ホーカー社のタイフーンという弩級の戦闘機のみが何とか対抗出来た と一瞬登場した機体、また、前々回のBf108「タイフン」と同じニックネームを持つ、英空軍のホーカー「タイフーン」がロールアウトいたしました。(長い前フリでしたなw)ギャラリーもどうぞ

 この機体は英空軍の2本柱スピットファイアハリケーンの生産が始まった頃、それらの後継機種として、速度約100km/hUPを目指してハリケーンの製作会社であるホーカー社で開発が始まりました。その速度要求を満たすためホーカーではその頃開発途上にあった2種類の強力なエンジンを前提として、実際に2つのエンジンを搭載した試作機を試作しました。一つ目のエンジンははロールスロイス製、、2つのV型12気筒エンジンを(下の方を倒立させ)X型にし、一つのクランクシャフトを駆動させるという「バルチャー」エンジンで、これを搭載した型を「トルネード」と呼びました。
 もう一方はネピア社製で、水平対向12気筒エンジン(なんかどこかで聞いたことがありますねw)をHを横倒しにしたような形に2段重ねにした「セイバー」エンジンで、こちらを搭載した型が今回の「タイフーン」になりました。
 どちらのエンジンも開発途上で、2000馬力を得るために無理をした形だったこともあり機体開発はエンジン不調に悩まされ、また機体側の構造的な問題も発覚して開発は多難を極めました。さらに翼内搭載予定の20mm機銃のサイズに合わせた主翼の厚みは前近代的にさえ見える分厚さとなりました。(最終的にはサイズの小さい機銃に変更されこの翼厚は不要となったのですが、時すでに遅く・・・)

 結局、ネピアのセイバーエンジン(の方が見込みがあったので)搭載型が量産されることとなり、ここに超重量級厚翼戦闘機タイフーンが完成しました・・・が、やはりこの機体では軽快な運動性など望むべくもなく、登場後も(上記したようにFw190に対抗する場合などを除き)対戦闘機戦闘はスピットの能力向上型に主役の座は占められたままになりました。

 そんなタイフーンが最終的に真価を発揮したのは戦闘爆撃機としての任務です。低空での速度、搭載力、重武装を活かし、連合軍が巻き返しを図るなか、爆弾やロケット弾を搭載、陸軍の要請に応じてきめ細かい近接航空支援を行い大きな戦果を上げました。特にドイツ軍の輸送列車への攻撃ではなんと3000両以上の機関車を破壊したという記録が残っています。戦闘爆撃機(攻撃機)というカテゴリーの先駆となり、また実績も残した見た目通りにタフな機体です。

 なお、タイフーンをもとに、翼厚を細くし全体をリファインした「テンペスト」という機体が後に開発され大戦末期に配備され、ドイツのV1ミサイルの迎撃などに実績を残しました。 ハリケーン→タイフーン(トーネード)→テンペストというホーカー社の一連の暴風雨シリーズは地味ながら、確かに英空軍の一端をになっていたようです。

 
Posted at 2007/05/20 22:07:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-英国 | 日記
2007年05月02日 イイね!

▽大西洋のカモメ-フェアリー「フルマー」

▽大西洋のカモメ-フェアリー「フルマー」 GW第一弾(?)として、迷作機の宝庫イギリスから、実に大らかな迷作機、フェアリー「フルマー」がロールアウトしました。(ギャラリーはこちら)
 この機体は太平洋戦争初期、軽爆撃機だったフェアリー社の「バトル」を元に、英海軍の艦載戦闘機として大急ぎで開発された機体です。名機スピットファイアハリケーン等と同じくローイスロイスのマーリンエンジンを搭載していますが、一回り大きな機体で当然重量も重く、戦闘機としては速度や運動性に難を持つ機体でした。それでも不思議なことに採用されしばらくの間運用されました。

 そもそも、運動性や速度が重視される戦闘機を何故複座にしたのか?という点に零戦ヘルキャットを開発した日米と、英国との空母運用の違いが凝縮されているようです。簡単に言うと、大戦直前まで英海軍は空母を戦艦をはじめとする艦隊の砲撃戦の単なる前哨と位置付けていました。また仮想敵国だったドイツに有力な海軍がなく(事実空母は持っていませんでした)、また大西洋の限られた海域での戦闘しか想定していなかったので、敵艦載機をかいくぐって侵攻するといった戦闘機に重きを置いていなかった、という事情があります。戦闘機の役割は自艦隊を敵の攻撃機から守ることだ、という認識があり、また偵察機として長距離海上飛行の機能も求められたこともあり複座となり、運動性の悪さは決定的な問題にならなかったと言うことのようです。

 実際の戦闘では、地中海でイタリア軍機(と言っても複葉機)には有効だったようですが、ドイツ機とやり合うことは少なかったようです。ですが、遠路はるばる、日本軍とも遭遇し戦闘を行っています。日本海軍が行ったインド洋作戦の際、セイロンの陸上基地に派遣されたていた数機のフルマーが、ハリケーンと共に日本の零戦や攻撃機と戦っています。(日本側はフルマーを識別出来ず、全てハリケーンだったと報告されていました。)結果は当然の事ながら零戦の敵ではなく、攻撃機に対してのみ有効な戦闘が出来たということですが、これはまさに英海軍が考えていた「戦闘機」の運用法そのものの形です。後継機種としてエンジンを強化した同じく単発複座の「ファイアフライ」という機体も開発されました。

 ちなみに「フルマー」はカモメの一種(カモメというよりミズナギドリの一種?)。海上を悠然と飛ぶ大柄な機体には相応しいニックネームですね。私は今回作ってみて大らかで美しい機体が好きになりました。 
Posted at 2007/05/02 00:30:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-英国 | 旅行/地域

プロフィール

「◎堂平山初登頂と荒サイグループライド http://cvw.jp/b/122372/46997535/
何シテル?   06/02 08:25
アウトドアマンを自負するが、 この数年キャンプをしていないし、 この数年リフトに乗っていない。 釣り師を自負するが この数年ラインを交換していないし、 ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

愛車一覧

スバル レガシィ アウトバック 空色アウトバック (スバル レガシィ アウトバック)
2020年9月、前車のアイサイト不具合から、急遽購入決定。どこかの営業所で展示されていた ...
ドイツその他 Canyon Endurace CF SL 8 CANYON Endurace CF S (ドイツその他 Canyon Endurace CF SL 8)
2022/3/15納車(到着) 2022/1/末にネットで発注。予定より半月早く自宅に届 ...
その他 ライトウェイ シェファード RITEWAY SHEPHERD (その他 ライトウェイ シェファード)
2021/9/11納車。夫用26インチのマットアイボリー。妻用24インチのマットミント。 ...
スバル レガシィ アウトバック 小豆色OB (スバル レガシィ アウトバック)
2013年8月21日に発注。 9月23日にラインアウト。 10月5日納車されました。 歴 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation