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2008年01月08日 イイね!

▽ハインケルHe111

▽ハインケルHe111 空を飛ぶものはすべからく美しい・・・と私は思うのですが、その中でもひときわ美しい流線型のこの機体は、ドイツ空軍で開戦から終戦まで一貫して主力爆撃機の一端を占めたハインケルのHe111です。大戦前に高速中型旅客機(と偽りつつ)開発が進んだこの機体、ナチスドイツの進撃を空から支え、バトルオブブリテンでは連日英国本土への爆撃に駆り出され、ついにはその限界を露わにしました・・・そしてその限界は図らずもナチスドイツの限界そのものでした。(ギャラリーもどうぞ)

 この機体(のみならず多くの機体)を開発したエルンスト・ハインケルは、ドイツ航空界でも重鎮と呼ばれる技術者であり経営者でした。第一次大戦後、試作機の製作も制限される中、ハインケルはスウェーデンに身を寄せ航空機を開発します。(そしてその頃彼の機体を生産したのが設立したばかりのスベンスカ航空AB・・・すなわちSAABでした)
 
 この機体の前身になったのはHe70という単発高速旅客輸送機・・・翼面積を効率的に確保する楕円翼、滑らかな曲面に包まれた機体形状、沈頭鋲を用いた滑らかな機体表面等によって優れた飛行特性をもち、その抜きんでた美しさで世界を驚かせた機体でした。そのHe70を双発化するというコンセプトで開発は約一年という短期間で行われ、初期のタイプは(やや後退した)楕円翼を持ち、コックピットの前には段差のある形状でした。このタイプ(B型)はスペイン市民戦争にコンドル軍団として派遣され、高速爆撃機として活躍しました(同時にゲルニカで都市無差別爆撃の先鞭をつけることになります)。

 その後エンジンの換装を重ねる内、生産性向上のため主翼の前縁と後縁が直線に改められ、抵抗を少なくするため機首はガラスに包まれた円錐形に整えられました・・・バトルオブブリテンの頃にはこの形の機体(H/P型)が大量に配備され、同じ双発のDo17や(やや配備が遅れた)Ju88と共に、「空軍力で敵本土を制圧する」という戦いに参加します。

 レーダーを整備し地上からの誘導システムを確立(しつつあった)イギリス本土上空への爆撃行で、He111は大きな損害を受けることになりました。耐久力(防弾性)が低く、防御用の火器も不十分、しかも爆弾搭載量が少ない(約2t程度)といった個々の問題が露呈しますが、一番の問題は双発であるためそれらの強化がままならない、という根本的に「双発爆撃機」が持つ限界が見えたと言うことでした。戦略爆撃機は4発以上のより大型の機体でないと無理だ、と言うことです。

 それでも執拗な空軍基地や航空生産施設に対する攻撃によって、一時英国側の迎撃体制は崩壊の寸前まで追いつめられました。ドイツ情報機関の楽観的な分析と見積りでは、英戦闘機軍団は崩壊したと聞かされているのに、それでも毎回迎撃に上がってくる英戦闘機を見て「英国最後の50機がやってきた」と独爆撃機搭乗員は冗談を言い合ったとか。しかし、実際その瀬戸際まで英軍は追いつめられていたのです・・・そしてその時期に、小さな、でも取り返しのつかないミスが起こり、それ対する連鎖反応によってバトルオブブリテンの趨勢(それはすなわちヨーロッパの第二次大戦の趨勢になるのですが)は転換します。

 1940年8月24日(独の総攻撃開始から約10日後)の夜、テムズ川河口の夜間爆撃に向かったHe111の編隊の内数機が航法を誤り、目標を通り過ぎてしまいました。仕方なく帰投するため爆弾を投棄(と言っても「投下」と結果は変わりません)したところ、そこがちょうどロンドン上空だったのです。被害そのものは決して大きなものではなかったようですが、首都爆撃に対する英空軍の反応は迅速で、翌日の夜にはベルリンに対して報復夜間爆撃が実施されました。

 当然のようにヒットラーはベルリン爆撃に激昂、(元を正せばHe111の爆撃が先だったのですが)英国を非難し、それまでの「英戦闘機軍団の壊滅」を目指し基地や工場を目標としていた攻撃を首都ロンドンに向けるよう指示を出しました。首都が爆撃されること自体は英国にとって耐え難いことでしたが、矢面に立たされていた戦闘機軍団は一息つくことが出来、基地の補修、パイロットの補充等が出来るようになり、結果的にはこの爆撃目標の変更が英国に勝利をもたらした、と言われています。

 バトルオブブリテン以降、英国(後には米国も)のドイツ国内への爆撃は恒常化し、やがて冷酷なまでに効率的になっていきます(この経緯については「ランカスター」の記事をどうぞ)。戦略爆撃を実行するための大型4発爆撃機を開発し多数運用出来たのは英国でした。一方のドイツは後継となる機体の開発に失敗します。失敗と言うよりも戦略爆撃というコンセプトが理解出来なかったフシさえうかがえます。戦術的な視点か持てなかったナチスドイツ(軍)を象徴するのが、このHe111(やBf109)という飛行機だとも言えそうです。
Posted at 2008/01/08 17:20:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-ドイツ | 趣味

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