
巨大なソ連の隣国、北の小国フィンランドは第二次世界大戦中二つの時期、圧倒的な戦力差の中、驚異的な10対1以上のキルレシオを記録しました。(もうちょっと詳しくは
Df109G型の記事を参照下さい)その緒戦でフィンランドを救った(たったの)40機あまりの主力がこのフォッカーDXXIです。(
ギャラリーもどうぞ)
フォッカーDXXIという戦闘機は、第二次大戦前期に多くの小国で運用された機体ですが、その生まれはオランダです。オランダという小国で航空機産業が発達していた、という事がすでに驚異的なのですが、それには理由があります。
フォッカーという名前は特に第一次大戦中、連合軍に恐れられた独の戦闘機の名として有名です。かの
リヒトホーヘンの乗機として有名な
フォッカーDr1(ちなみに、かのスヌーピーの「有名な撃墜王」のライバル)等は大変有名です。
そんな事情もあり、第一次大戦中にドイツで腕を振るったアントニー・フォッカーは、本来なら戦勝国に身柄を拘束されてもおかしくないのに、身分を偽り、混乱するドイツ国内から、自身のみならず工場の資材までを貨物列車を連ねて、まんまとオランダ国内に「トンズラ」しました(ある意味快挙ですねw)。
そしていくつかの民間旅客機を開発しつつ、オランダで航空機メーカーとして戦間期を過ごしていました。そして第二次大戦直前に、オランダの植民地軍用に開発されたのがこのフォッカーDXXIです(XXIは21ということです)。鋼管の骨組みに胴体前部は金属の外皮、後部は羽布貼り、主翼は木製で、主脚は固定の単葉機です。1936年初飛行で速度は300km/h後半、当時の新鋭機(
Bf109や
ハリケーン、
スピットファイア等)に対しては性能的に劣っていました。
しかし、オランダの有力な外貨獲得手段として、積極的に海外に販売(製造権も含めて)されました・・・比較的安価で、こなれた技術で設計され、製造も比較的容易だったため、多くの小国で少数ずつ運用されました・・・で、最も活躍したのが上記のフィンランドだった、というわけです。
独のフランス侵攻時には、その通り道としてオランダも侵攻を受けました。第一次大戦からの名門要塞や飛行場は独の空挺作戦によって瞬く間に占領され、国内に配備されていたDXXI(約30機)は、初日のみ多少の戦果を上げましたが、そもそも性能差が大きい独Bf109の敵ではなく、数日で消耗してしまいました・・・同時にフォッカーというメーカーも、かつての朋友ドイツによって占領されることになりました。大戦後は民間旅客機の製造を再開しましたが、1996年にその幕を閉じました。
今回のキットはフィンランド空軍のマーキングです。車輪をソリに変え、氷結した湖を滑走路として戦ったそうですので、雪原と雪の積もった木を作ってみました・・・ちなみに、雪は片栗粉製です(爆)。
Posted at 2009/09/20 21:53:59 | |
トラックバック(0) |
◇プラモ-その他国 | 趣味