
週末、
先日(と思ったらもう3か月も前でした)施設がお休みで断念した、
旧下野煉化製造会社煉瓦窯に行ってきました。(「煉瓦」ではなく「煉化」という表記なのが不思議です)

自宅からは下道を35㎞、1時間半ほどで渡良瀬遊水地の東に到着しました。明治20年代から煉瓦製造を行って来ましたが、現在は野木町のものとなり、整備(補強)を経て昨年一般公開されたそうです。
駐車場は紅葉の盛りでした。
※以下の解説には、この後お邪魔した「新井家ふるさと記念館」でお聞きした内容が含まれています。

まずは、小さな資料スペースを見学しました。ここの煉瓦は☆印の刻印だそうです・・・とはいっても刻印は表面に見えなくなる面に打刻されるので、なかなか見ることはできません。実際、東京駅への数万個の納入伝票と受取リ票があるそうですが、実物が見つからないので「東京駅にも使われたかもしれない」となっているとか。

ホフマン窯です♪円形に窯室を並べて順番に焼成を行う事で、余熱を乾燥に利用しつつ連続生産を行う、という仕組みです。いわば明治期の最新煉瓦生産ラインですね。

それでは、いざ、ヘルメットを被って見学に・・・
←ホフマン窯の全景です。中心の煙突は30m以上あって町のどこからでも見えたそうです。煙突周りのスチールの骨組みは最近追加された補強の構造。かつてはもっと細い鉄輪をワイヤーで引っ張って補強していたそうです。
関東大震災では、この煙突は半分くらいで折れてしまったそうで、今回の整備工事中に崩壊した煙突上部が発見されたそうです。(その部分も展示されていました。)ちなみに、震災ではこれとは別の一番最初に建てられた窯は崩壊したそうです。

焼成窯に入ります。全部で16室・・・と言っても固定の壁があるわけではなく、焼成の工程に合わせて壁を建てたり壊したりを繰り返していたそうです。
原料になる粘土や川砂は近くの川から採って舟で運び、それを木箱に詰めてペタペタと成型したそうです(後には押し出し成型でより効率的に作るようになったとのこと)

2階部分に上ります。屋根は木造にトタン張り。

先ほど入った焼成窯の上部には、粉炭(石炭を細かく砕いたもの)の投入口が並んでいます。両端にはレールがあります。可動式のブリッジ状の作業スペースでもあったのでしょうか。あるいは、粉炭を運ぶためのトロッコ用のレールでしょうか。

粉炭投入口は鋳物のフタ付き・・・フタを開けたら炎が勢いよく噴出して、そこに粉炭を投入するにはそれなりの技術と度胸がいったとか。粉炭が一度に焼成中の煉瓦に積もると、そこに釉薬がかかったような、黒焦げのような窯変が起きてC級品になっちゃうそうです。

中心の煙突の下部、16の焼成室からそれぞれ煙道がここに繋がっています。
ホフマン窯は
数年前に深谷で日本煉瓦製造(株)の輪窯を見学したことがありましたが、そこでは2階部分は見られませんでした。こちらを見て粉炭を投入する、ということがよくわかりました。

写真を撮りながら一時間ほど過ごしました。ホフマン窯の仕組みがとてもよくわかって、ボリュームも満点な煉瓦造りの建造物を愛でることが出来ました。
←車はそのまま停めたままにして、この後は歩いて十分ほどの「新井家ふるさと記念館」に向かいました。
ということで、後半の顛末はまた後ほど・・・
Posted at 2017/11/06 22:25:29 | |
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