2017年12月31日
2017年。
自分にとっては人生の中で一番激動の年だったかもしれません。
本来ならみん友さん達との交流を振り返るべきなのですが、あえてみんカラ活動以外のお話をしたいと思います。
一部の親しいみん友さんにはお話ししましたが、母親が認知症になりました。
私の家は自分と両親の3人暮らしです。
3年くらい前から母親の物忘れがひどくなってきたなとは思っておりました。
それが去年に入ってから5分ほど前に話していたことまで忘れてしまうような状況になってきました。
そして物をなくしてしまったとよく言っていましたが、それが秋ぐらいから盗まれたと言うようになってきました。
それも自宅のすぐ下のお宅の人が盗ったと言うのです。
最初はいよいよボケてそんな事を言い出すようになったかくらいに思っていました。
母親にはそんな事を家の外で話すなよと言っていましたが、本人も「こんなこと外じゃ話していない」と言っていたのでとりあえず安心していました。
ところが今年の元日、私の着物の着付けのため近所の美容院の奥さんに自宅まで来ていただきましたが、その時母親が「下の人がものを盗っていって困る」と話し出したのです。
元旦からそんな話をするなよと思うのと同時に、普段から近所にこんな話をしているのではないかと不安がよぎりました。
その不安は数週間後に現実のものとなりました。
警察官が家にやってきたのです。
初めは親と話していたのですが、「息子さんと話がしたい」と言って呼び出されました。
実はご両親から下のお宅からものを盗られたと被害届けが出されているのですが、息子さんはこの件についてどう思いますか聞かれました。
ここでようやく深刻な事態に陥っていることを認識しました。
警察は被害の内容におかしい点があるので物盗られ妄想と疑っていたのですが、ご夫婦二人で来たのでもしもの事があるといけないので確認に来たとの事でした。
警察には母親の最近の言動がおかしい事は伝えましたが、既に警察に被害届けまで出していたとなると放置しておくわけにはいきません。
なんとなく認知症によるものだと思い早速調べてみると、認知症の代表的な症状として物盗られ妄想があることがわかりました。
とにかくどこかに相談しようと調べてみると、市役所の長寿支援課というところで認知症の相談を受け付けていることがわかりました。
市役所に相談したところ、職員の方が家に来て本人と面談してくれることとなりました。
本人には老後の過ごし方についてと言って話を聞いてもらう事としました。
適当な話をしたところで「最近何か変わった事はありませんか」の問いに、下の家の人にものを盗まれている、それどころか勝手にトイレを使っていくなどいろいろ出てきました。
おせち料理を持っていって好きなものだけ食べて戻していったなど、明らかにおかしなことを言っていました。
その後市役所の職員の方と話をし、認知症と思われる症状が強く出ているので早く精神科を受診した方がいいとアドバイスされました。
本人にいきなり認知症の検査を受けろと言っても否定される可能性が高かったため、かかりつけの病院の先生にお願いして紹介状を書いていただき、先生から受診するようにお話ししていただきました。
そうしてようやく精神科を受診しましたが、通常検査は3日に分けて行うものの、初日で薬が処方されたのでかなり進んだ状況だったようです。
ようやくすべての検査が終わり、アルツハイマー型の認知症でかなり進んでいるとの事でした。
当分薬を飲んで進行を遅らせるという事になりました。
アルツハイマー型の認知症は薬で進行を遅らせることはできても元の状態に戻ることはありません。
薬を飲むように言っても忘れてしまうため、カレンダーに薬を貼りつけるようにしました。
実際に薬を飲むように言うのは父親に頼みました。
既に母親は今日が何日かと聞いても答えられない状況だったのです。
それまで父親は仕事をしていましたが、仕事をやめました。
母親が一人で家にいると怖いので父親に一緒にいてほしいと頼んだためです。
父親は仕事を続けたがっていましたが結局やめることとなりました。
自分も続けていてほしかったのですが、それは収入の事とかではなく、常に母親と一緒にいるようになることで父親も認知症になるのではないかという不安でした。
そしてそれは現実の事となるのですが…
母親が薬を飲み始めてからも被害妄想の話はどんどんひどくなっていきました。
給湯器のお湯が盗まれていると言い出し、勝手に配管をしていったとまで言い出しました。
毎朝「下の家のばばあはどざえとる!箸まで盗んでいく」と喚き散らしていました。
自分自身精神的にかなりきつかった時期でした。
この間も市役所には何度も相談に行っていましたが、地域包括支援センターの方と民生委員の方が話がしたいと申し出があったとの事で話を聞きました。
あそこのお宅はおかしな事を言っているが大丈夫かと近所から相談があったそうです。
さらに下の家は借家だったのですが、その大家さんからも相談があったそうです。
大家さんのところにあの泥棒一家を早く追い出してくれと何度も頼みに行っていたそうです。
それも両親二人揃って行っていたので大家さんも本当かどうかわからず困っていたそうです。
さらに民生委員の方が親に会って話を聞いたところ、今にも下の家に文句を言いに行きそうな勢いだったそうです。
これを聞いてすぐに下のお宅に謝罪に伺いました(この時行っておいてよかったと後になってわかりました)。
また大家さんにも謝罪に行き、警察、親戚にも話をしに行きました。
親戚でも最近おかしな事を言うようになったと疑問には思っていたようです。
そして近所の皆さんにも説明するため、それまで父親が行っていた組合の常会にも自分が行くこととしました。
こうして精神的にもどんどん疲弊してきました。
家の中は裏口にバリケードを張って出入りできないようにされました。
玄関のカギは何回も変えられ、毎日夜になると玄関の前にバイクを移動し、玄関の内側には脚立を立てかけていました。
また給湯器から配管がされていないか、家の周りは掘り返されていました。
全て父親がやっていたことです。
最終的には下の家に文句を言いに実際に行っていたそうです。
父親は母親の言う事を信じ込んでしまっており、家の中では自分だけが逆におかしいことを言っている、そんな状況になっていました。
そんな状況から定期的に通院していた病院より、入院をさせてはどうかと提案がありました。
自分はその方向でお願いしたいとしました。
しかしここから両親の説得がとにかく大変でした。
母親は当然断固反対です。
父親は「おふくろがおらんくなったら生きていけん」と泣きながら訴えてきました。
市役所に相談し、包括支援センターの方からも説得していただきましたが結局入院予定日に先生に説明をしてもらうという事で何とか病院に行きました。
しかし先生からは家族の同意が得られていないのであれば入院させる訳にはいかないと言われ、もう何もかも嫌になってしまいました。
しかし、この件があってから少し様子が変わって、それまで毎日喚き散らしていた母親がそういう事を言わなくなってきました。
これで精神的にずいぶん楽になりました。
このまま何事もなく進めばよかったのですが…
しばらくして父親が泣きながら金を貸してくれと頼んできました。
仕事をやめたことで収入が減って生活費が足りないというのです。
それは仕方ないと金を出しました。
しかしちょっと気になっていたことがありました。
買い物(食料)の量が半端ないのです。
冷蔵庫は扉が閉まらないほど物が押し込められ、扉はガムテープでとめられていました。
テーブルの上には食べなかったものが大量に放置され、悪臭を放っていました。
その後また父親が金を貸してくれと言い出し、いくら何でもおかしいので色々聞いたところ、実は生活費が足りなくなるとクレジットカードで買い物していたというのです。
そして明細を見たところ、毎日5千円から1万円買い物していました。
ちなみに私は家で食事はしていません。
つまりこれは両親2人の食費です。
父親にこんなバカげた買い物をしていれば金なんか足りなくなるのは当たり前だと言いましたが、「おふくろに何言ってもだめよ」とどうにかしようという気がありません。
結局毎日買ってくる食材のほとんどはゴミとなっていました。
ゴミに対して金を払っているという事で非常に腹立たしくなりました。
それどころか金を貸してくれと会社まで来たこともありました。
また精神的に厳しい時期が来ました。
母親の病状は少しずつ進んでいましたが、その後急激に進んできました。
来ていない人が来ていたと日常的に言うようになったのです。
ある時母方の親戚から突然呼ばれました。
いつもお世話になっていると言って親が行って買い物袋7袋分の食料を置いていったというのです。
ただし中身は賞味期限切れだったり傷んでいるものばかりで食べられるものはほとんどなかったそうです。
大量に買って食べなかった食料を持っていったようです。
その後の病院の診察でこの件を伝えたところ、先生より「もう外来での治療は限界と思われます。入院させた方がいいでしょう」と言われました。
今回は息子さんの同意だけで結構ですとの事だったためとうとう入院させることとなりました。
これが11月の終わりごろの事です。
一時的ですが落ち着いた日々が戻ってきました。
しかし入院させてからも母親の病状はどんどん進行し、見舞いに行ってもおかしなことを言っています。
退院させるにしてもそのまま家に戻ってもらうのは難しい状況です。
これが今年自分に起こっていたことです。
ただでさえ母親の事があるのに今年は地区の壮年会の役員もやらなくてはならず、かなり精神的に追い込まれていました。
ストレスで体調が悪くなり、救急車で運ばれた事もありました。
それでも何とかここまでやってこれたのは、みん友さん達との付き合いがかなり大きいです。
ひとりで抱え込んでいたら鬱になっていたかもしれません。
いつも会える地元のみん友さん、遠くから飯田まで遊びに来てくださるみん友さん、こちらから遊びに行ったときに暖かく迎え入れてくれたみん友さん。
皆さんに感謝です。
母親がこんなことになっているのに遊んでいるなんて不謹慎かもしれません。
ただ自分は皆さんに救われました。
これは事実です。
こんな自分ですが、よろしければ来年もお付き合いください。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
Posted at 2017/12/31 22:25:02 | |
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