ちょっと早いですが2021年の出来事を報告して、今年最後の投稿にしたいと思います。
今年も去年に引き続きコロナによって行動を制限された年でしたので、やはり以前のようにオフ会を楽しむといったことはなかなかできない年となりました。
車については前半ちょっと残念なことが続きました。
今年はジムカーナを再開しようと4月にさるくらでの走行会を行いました。
ところが…
S2000のはずがなぜかエッセに。
走行前の準備の段階でラジエターのアッパーコアからクーラントが漏れていることが確認され、急遽エッセに入れ替えての走行となりました(それはそれで面白かったですが)。
結局ラジエターは交換せざるを得なかったのですが、純正は少々高価だったため社外のアルミラジエターへ交換しました。
ラジエターは新車時から1回も交換したことがなく20年以上使っていたので、本当はこうなる前に早く交換するべきだったんですけどね。
そしてこの2週間後。
S1で出掛けようと思ったら…
窓が割られていて一瞬頭が真っ白に…
この直後は本当に落ち込みました。
なんでこんな目に合わなければならないのかと。
すぐに警察を呼んで捜査をしてもらいましたが、幸い車庫には防犯カメラを設置していたため自身でチェックしました。
確認しなければならない時間がかなり長かったため時間がかかったものの、その瞬間をようやく探し出し、近所の方が草刈り機で飛ばした石で割れたことがわりました。
相手もそれを認め、修理費をちゃんと支払ってくれたのでようやく安心することができました。
前半はこんな感じでちょっと悪いことが続きましたが、後半になってからは久しぶりにジムカーナの大会に出場しました。
去年は中止となってしまった甲信シリーズですが、今年は開催され全4戦のうち後半2戦に出場しました。
元々下手くそなのにたいして練習もしてなかったので結果は散々でしたが、何よりまたジムカーナを再開できたことが嬉しかったです。
さて、ここからは今年も家族のことを書かせてもらおうかと思います。
興味のない方はスルーしてください。
古くからのみん友さんは私の母親が認知症となり、入院を経て特養に入居していることをご存知の方もいらっしゃるかと思います。
父親も認知症が進み去年入院しました。
いずれ父親も施設へ移ることになりますが、もし母親と異なる施設へ入居した場合一生会うことはできなくなってしまう可能性が高いため、母親の入居している施設にお願いをしていました。
今年その願いが叶い、5月末に父親も母親と同じ施設に入居することができました。
そしてその際コロナでずっと会えなかった母親にもようやく会うことができました。
ただ久しぶりに会った母親はほぼ寝たきりとなっており、声を出すこともほとんどできなくなっていました。
それでも父親が入居して以降、父親は母親のことをちゃんと女房と呼んでいたり、手を握ったりしていたという話を聞いていましたので、一緒になれて本当に良かったと思っていました。
しかし先月11月、母親が亡くなりました。
父親が入居して少し経った頃、施設より母親について報告がありました。
痰が多くなり、誤飲の可能性もあるため食事はかなり柔らかいものにして量も減らすというものでした。
その時は一時的なものと思っていました。
しかし9月の終わりごろ、施設の方からかなり状況が悪くなってきているのでいったん検査入院してもらいますと連絡がありました。
そしてその結果を先生より直接聞いてくださいと言われました。
結果としては痰がひどく、誤飲の可能性が高いためこれ以上口から食事をとらせることは怖くてできないというものでした。
そうするとどうやって栄養を取るかということになりますが、結果的に2つの方法が提示されました。
1つは点滴によって栄養を取る方法ですが、ただこの方法は十分な栄養を取ることができず、長くは生きられないとのことでした。
もう1つは外から胃に穴をあけて直接食事を流し込む胃ろうという方法でした。
どうするかはご家族で話し合って決めてくださいと言われ、いったん保留となりました。
関西に住む兄と相談しましたが、寝たきりで意思の疎通も取れない状況で胃ろうまでするのはやめようということになりました。
先生に意思を伝える段階でそれでもと思い、いったん胃ろうとするものの将来回復してまた口から食事を取れる可能性はあるか確認しました。
しかしその可能性は非常に低く、最期までそのままとなるだろうということで自分も決心しました。
その後点滴のみとなりましたが、早ければ1ヶ月かもしれないということで10月に入ってすぐに本人の兄弟や私の兄にも施設へ来てもらい、母親に会ってもらいました。
会ってもらったといっても県外在住の人は施設内に立ち入ることもできないため窓越しでの面会となりましたが、それでも父親と一緒のところを見ていただけたのでまだよかったです。
11月の中旬に差し掛かったころ施設から連絡があり、「夜呼吸が止まる症状が出てきました。もう長くないかもしれません。できるだけ会いに来てあげてください」と言われました。
それからは毎日面会に行き、平日は仕事帰りに寄るようにしていました。
数日後、出勤途中に連絡があり、「夕方までもたないかもしれないので、できれば来てほしい」と言われました。
すぐに施設へ向かいました。
母親のところにはすでに父親がいて、母親は呼吸のたびに声を出していて明らかに様子が違っていました。
しばらくして声を出すことはなくなったものの呼吸が止まる頻度が増え、そして止まった呼吸がとうとう戻ることはありませんでした。
その後はあちこちへ連絡を取り、葬儀まで本当にあわただしかったです。
結局父親は施設の外へ出られなかったため葬儀に参列することはできませんでしたが、母親の最期を看取ってあげることはできたのでそこは救いでした。
葬儀の後も様々な手続き、お墓のことなどやることがいっぱいでしたが、ようやく自分の時間が取れるようになってきました。
来月には墓地の地鎮祭、五十日際と納骨などまだ少しの間忙しいですが、その後はみんカラでの活動も再開していきたいと思います。
最後にこのような状況ですので新年の挨拶はご遠慮させていただきます。
また毎年元日の148オフには参加しておりましたが、来年は欠席とさせていただます。
今年関わってくださって皆さんありがとうござました。
また来年もお願いいたします。
少し早いですが、皆さんよいお年をお迎えくださいませ。