
中川四川のイラストは、「1976(昭和51)年」がテーマで、4枚描きます。
タイトルの○○は、しばらくお待ちください。
とりあえず、第一号は個人的に一番印象に残ったクルマ ・・・ コロナマークⅡグランデです(画像)。
3代目コロナマークⅡ、
今までは「コロナの延長線」というイメージをガラリと変えた一台でした(私感です)。
でも、「コロナ」という名称はまだ残してました。
トヨタは、1955(昭和30)年に「クラウン」、
1959(昭和34)年に「コロナ」、1961(昭和36)年に「パブリカ」、そして、1966(昭和41)年に「カローラ」発売してきました。
大衆車のラインナップは充実してきましたが、
「コロナ」と「クラウン」の間のクルマが必要とされました。
で、1968(昭和43)年に発売されたのが「コロナマークⅡ」でした。
まだ、この当時はライバルの日産も「ローレル」を世に問う頃でしたね。
クルマ的には、日産車の方がアドバンテージがあった印象です(私感です)。
「ハイオーナーカー」というジャンルを切り拓くクルマには、4輪独立懸架の足はトヨタをリードしてましたよね。
で、4独の足を備えたのが、この3代目コロナマークⅡでした(上級グレードのみにね ・・・ 4気筒のGSLと直6に)。
画像、明らかに「コロナの延長線」を飛び出たアメリカンなデザイン、直6が似合いますよね。
サイズも、全長4615㍉×全幅1680㍉、ホイールベース2645㍉と二回りほど大きくなりました。
で、何と言っても、この代は「グランデ」ですよね。
直6サルーンでオートエアコンを標準で装備し、パワステもパワーウィンドゥも付いてる「ダンナ仕様」。
それを200万円ぐらいで出したんです。
トヨタ党の粋なおじさん達は喜びましたね、課長・部長クラスがね。
リヤサイドフェンダーの「CORONAMARKⅡ Grande」のエンブレムが眩しかったんです。
他のグレードは「CORONA MarkⅡ」でしたね。
当初は、意味がわかりませんでしたが、免許を取って3年ぐらいしてやっとその意図がわかりました。
当時、初任事務所のナンバー2が、コレに乗ってましたが ・・・ 1800GLでした(遠い目)。
でも、コロナマークⅡぐらいだとGLでもタコメーターは付いてるんですよね。
でも、GLでも立派に見えたなぁ、あのワインメタ(遠い目)。
アドバンテージを持っていたローレルは、翌年に3代目C230型にフルチェンジしますが、「メダリスト」が出てきたのは後期型でしたね。
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旧車ネタ | クルマ
Posted at
2025/01/20 00:00:14