(安岡正篤-「人物を創る」より)
学問・修養は烈々たる気風の持ち主こそがやるべき
さてこの「儒」という文字の意味、これは原始的に考察してみますと、非常に面白い意味を含んでいるのです。少なくとも春秋、戦国の初めにかけて、この儒家、または儒教の「儒」という文字を、すこぶる悪い意味で使っていた、という面白い事実があります。それは「儒」は「懦」なりで、儒と懦は音訓相通じて、「懦弱にして事を畏る」の意味に使われていたのであります。
儒を学ぶ者は、これを大いに反省しなければならないと思います。その当時、社会運動家とか、政治家とか、実業家とかいう実践的な連中は、いったい儒者なんどというものは極めて懦弱で役に立たないもの、何かやらしてみるとビクビクして一向胆力のない人間だというふうに言っていたらしい。それが戦国末期ぐらいになると、即ち孟子、荀子あたりから「リファインされた人格者」の意味に多く使われているようであります。なぜそのように初めは悪用されたのか、これにはいろいろの由来があるだろうと思います。
おそらくは、孔子およびその一派の人々は非常に理想家でありますから、卑近な意味における実際家からみると、迂遠にもみえたのでありましょう。殊に良心の鋭敏な人はとかく内省的ですから、ともすれば恥づるところ、畏るるところが多い。実際家のように鉄面皮にやれないことが多い。そういうことから、道徳にこだわって一向役に立たぬというふうに見えたのでありましょう。即ち卑俗な見地から、本当に聖人君子の心を解しないで、そういう低級な嘲笑的な意味の使い方が起こったのでありましょう。
また一方、修養とか学問とかいうことを聖人君子のような大力量を持つ人でなくて、実際に弱い人間がやりやすい。これは情けないことでありまして、どうもこの学問とか修養とかいうことは烈々たる気風を持っている者がやらなければならぬことであるにもかかわらず、君子の心境を解するあたわずして放たれた卑俗な批評が当たるような繊細(かぼそ)い君子が多くなる。しかし、このような者は本来、君子とはいわないのであります。けれどもそういう者も多かったことも想像されるので、そういういろいろな関係からこの「儒」という文字が悪い意味に使われていたと思うのであります。
今日でも、「君子」だとか、「人格者」だとか、「精神家」だとかいう言葉が往々にして俗用され、あるいは嘲笑的に使われるということは、この当時と大差ないようであります。それでありますから、ニーチェという人は非常に憤慨しまして、「善というものは、およそ力あらんとする意志、力を欲する意志より出なければならぬ、強くなければならぬ、およそもろもろの弱きより出(い)づるもの、これを悪というか」とまで叫んでいる。「善は強くなければならぬ、同情する、相憐れむというようなことは唾棄すべき奴隷道徳であって、士君子は獅子のごとく強くなければならぬ。獅子的意志を持たねばならぬ」こういうようなことを叫んでいる。実はニーチェ自身が非常に弱い人でありますから、自らの持つ烈々たるこの理想精神に実際に自分の性格が堪えないで、ついに発狂した人ですけれども、叫ぶところにはすこぶる教えられるところがあります。
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Posted at
2011/03/06 00:30:36