このねつ造話、以前から言われていましたが、ついに本人も認めた様子。
私の祖父母は満州開拓団の一員としてソ満国境に近い町に住んでいたそうですが、当時南京大虐殺の話などは一度も聞いたことがないそうです。
当然です。
そんな「大虐殺」はなかったのですから。
私は今から30年近く前になりますが2年ほど中国大陸の黄河のほとりの小さな城市に住んでいたことがあります。その町は大陸の東西南北鉄道網の要衝である鄭州市にほど近く、南京からも黄河沿いに数百キロと近い所でした。
その町に在住当時、戦時中を知る現地の年寄りにこの「南京大虐殺」のことを聞いたことがありましたが、これまた当然なことにみな知らないようでした。南京とはそんなに離れていないのに、です。
学のある人で知っているという人が居ても、戦後に国民党が誇大に宣伝していた(共産党ではない。ここ重要w)話だと言っていたと記憶しています。
30年前の中国では、今のような反日教育もなく、人民は冷静に戦争当時のことを話していたことを覚えています。
中国も韓国も、いつになったら歴史を直視できるのか。
その中韓に阿り片棒を担ぐ日本のマスコミ。
なんとも残念なことですネ・・・(^^;
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本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認める!
朝日新聞が避けて通れない、もう一つの「戦後責任」
本多勝一元記者が捏造認める!
朝日新聞は速やかに「南京大虐殺」報道の検証と記事の取り消しを!
かつて朝日新聞のスター記者だった本多勝一氏が、日本軍による虐殺の証拠として使ってきた写真が、実は捏造であったことを、本多氏自身が初めて認めました。
問題の写真は、本多勝一氏の『中国の日本軍』に掲載されたもので、日本兵が中国の婦女子をかり集めてこれから虐殺するところであるとの説明がなされています。
ところが、この写真の出所は、実は本多氏が当時勤めていた朝日新聞社発行の『アサヒグラフ』(一九三七年十一月十日号)に掲載されたもの。日本兵は家路につく少女たちを護っていたとのキャプションがついていて、少女たちの笑顔もはっきりと写っており、「南京大虐殺」とは何の関係もない写真であることは、誰の目にも明らかです。
この矛盾点を問われた本多氏は、週刊新潮(9月25日号・下写真)に次のようなコメントを寄せています。
「『中国の日本軍』の写真説明はすべて中国側の調査・証言に基づくものです」「『中国の日本軍』の写真が、『アサヒグラフ』に別のキャプションで掲載されているとの指摘は、俺の記憶では初めてです。確かに「誤用」のようです。」
一切裏付け取材をしなかった本多勝一記者
本多勝一氏は1971年6月から四〇日間かけて中国を取材し、その衝撃のルポルタージュ「中国の旅」は朝日新聞紙面で連載されたほか、「中国の日本軍」「南京への道」などとともにシリーズで単行本化され、長らく「南京大虐殺」説の根拠とされてきました。
しかし本多氏のこの時の取材は実にいい加減なものでした。中国共産党が用意した証人の証言をただ聞き書きしただけで、一切裏付け取材を行っていなかったことを、本多氏自身も後に著書の中で認めています。
また、「中国の旅」の記事で「日本人による虐殺があった」と紹介された炭鉱に勤めていた日本人が、記事は事実と著しく異なると本多記者に抗議の手紙を送ったところ、本多氏からは「私は中国側の言うのをそのまま代弁しただけですから、抗議をするのであれば中国側に直接やっていただけませんでしょうか。」という、無責任な回答が返ってきました。
(以下省略)
ニュース元URL↓
http://japan-plus.net/182/
※追記。
以前の拙ブログ記事ですがリンク貼っておきました。ご興味のある方はご覧ください♪w
「
25年前の写真集が発掘されました♪」
「
抗日戦史写真集①」
「
抗日戦史写真集②」
Posted at 2014/12/13 13:57:22 | |
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