(安岡正篤-「人物を創る」より)
「腐れ儒者」になってはいけない
孟子、荀子の頃には早くも「春秋」という書物が五経の一つに加えられておったように思われるが、そういうものは漢代になって研究され、編纂整理されて、ここに「易」もでき、四書の「大学」「中庸」「論語」「孟子」がだんだん発見され、編纂されていった。このうち「大学」と「中庸」は、始めは「礼記」の中にあったのです。宋の時代になり、程子が特に研究して、「大学」「中庸」は非常に立派なものであるといって、「礼記」から抜き出して、それをさらに朱子が段落・章句の切り方などを研究して、「朱子章句」というものができた。新たに作ったのではありませんが、いわゆる教科書を開いたのであります。それがいわば「新本の大学」であり、それに対して元の「大学」を「古本大学」というのでありますが、これを私は持ってまいりました。普通、新本の「大学」の方が世の中に用いられておりますが、陽明学派は「古本大学」でよろしい。読み方や章句、段落の切り方が変わっているだけでありまして、たいして変わっていないのであります。
「大学」というのは一体何を言うか、これもいちいち詮索しておりますと限りのない話であります。けれども、これは要するに当時の知識階級、身分のある人の子弟を養うために、いろいろな学校が設けられていた。特にその上級の教育科目であるという説もあり、また「大人の学問」だという意味の説もあります。あるいは「大いなる学問」の意味だとする説もありますし、あるいはまた「礼記」の中の「学記」という一篇が教育制度を論じたのに対して、「大学」は教育の目的を論じたものだとする説もあります。そのすべてを含んでいると言えば一番よいかと思います。
「大学」はこういう簡単なものであるけれども、これに関する研究は大変なものであります。およそ「四書五経」の研究は東洋において、シナ、日本において非常に発達しておりまして、「東洋に哲学なし」などというけれども、四書五経などを研究すると、およそ人間として考えられるあらゆる思索をこれらの書物を中心にやっていると言ってもよいのであります。その証拠に、こういうものを本当に研究しようとすると、「十三経注疏」というものがありますが、さらに参考になるものに「皇清経解」千四百巻、「続皇清経解」千四百巻、それから「通志堂経解」千八百巻、その他「五経大全」「御纂七経」などいろいろな書物があります。それこそ汗牛充棟もままならず、それらをこつこつと研究していたならば、白髪頭になるまで一句をつっついておってなおかつ終わるところを知らないのであります。だから陶淵明などは書を読んで甚解を求めず、「そういうものをこつこつ勉強していると頭が煩雑になって駄目になる。それより大義を掴んであまりつつかない方がよい」と言っております。我々学究は往々にしてその感を深くするのであります。
たとえば「大学」の中に「格物致知」という言葉が出てきますが、格物の「格」という文字をどう解するかということについて「経史問答」を見ると、七十二家の説がある。「格」という一字を七十二家が議論して、誰それはこう読むが、俺はこう読むのだ、というておると、その格の一字の考究で一生を終わるそうであります。だから学問というものは、やりようによっては深遠であるが、やりようによっては煩雑になる。そもそも学問の第一義は --- 殊に経学の第一義は我々の生活の指導原理の学問であるから、学問がそういう手続きを終了して、いかに詳しくなっていっても、それが結局我々の生活になんら指導的な力にならなければ、それこそ何にもならないのであります。この経学というものは、我々の実生活を強く導いて行く原理たることを失わない範囲において考究すべきものであります。それを失ってまで研究していたのでは腐儒、迂儒というようなことになる。この点は大いに警戒を要することであります。今日の西洋哲学がその通りです。
ちょうど東洋に考証訓詁の書物がありまして、非常に結構なものであると共に、また非常に愚かなものであります。これは「大学」の格物の「格」というのは、何と解するのが本当であるか、そもそもそれを格などという字に読みだしたのはいつ頃からであるか、一体孔子はいつ頃生まれた人であるか、いつ死んだ人か、七十三歳で死んだという者があれば、いや俺は七十四歳説だというようなことを言う --- これが考証訓詁の学問。そのために無闇に書物をあさって結局、孔子が七十四歳で死んだということを説明する。それは意味あり、価値ある学問には相違ないのですけども、考えてみると、一般世間の人には迷惑な話で、孔子が七十三で死のうが、七十四で死のうが、生活原理の点からいうと何にもならぬ。結局一生かかって研究しても、「論語」の中にはどんなことが書いてあるか、ということは分からない人間がある。こういう人たちを世間では「迂儒」とか「腐れ儒者」だといっている。
これに対して義理学派、性理学派、心学があり、さらに文芸派ともいうべき詞章、文詞、詩章の方面、あるいは詩を作ったり、文章を書いたりするのを専門にする漢学もある。考証訓詁の学問は、これら文芸派や、哲学派に対して科学派といえる。
このように、漢学には科学派、文芸派、哲学派の三派があるが、それぞれ弊害があります。一方だけに偏してやっていると、人間がそれこそ腐れ儒者になって、人生の指導原理に何の役にも立たぬ木偶(でく)のようになってしまいます。そういう儒者は人生の現実に触れて現実を有利にしようとしないものであり、ひとつはまた学問を弄する論理的遊戯に堕してしまう。あるいは禅で言うと野孤禅 --- ただもう形式的座禅、瞑想に耽ると同じで空疎になりやすい。また他の一方は詩を作ったり文章を作っていたりするから、結局人生の指導原理にならない。軽薄な三文文士になっている。いずれにしても危険性が伴うのであります。本当に詩を作ろうと思ったら、やはり義理に徹しなければならぬ。我々の精神生活の理法に徹しなければならぬ。我々が本当に精神生活をしようと思えば、必ずこれが科学的、性学でなければならぬ。どうしてもこの三つを調和的に研究する必要を感ずるのであります。一歩を誤ればそれぞれみな間違いが起こりやすいのであります。いわゆる朱子学派という方は、どうかするとこっちへ傾くのです。いわゆる考証学派というのは、どちらかというと性理の方でありまして、空理空論に走りやすい。
これから本文に入りたいと思います。
前頁
「古本大学講義」(二)
次頁
「古本大学講義」(四)
Posted at 2011/03/31 00:53:00 | |
トラックバック(0) |
「大学」・「小学」 | 日記