私のブログは、自分の事を書くだけではなく、メーカーや車の情報に関して書く事が結構多いです。
昨日も、新型フィットを話題にしましたしね。
そして、メーカーや車の遍歴について書く事もあります。
先日、
GC8について書いたりもしました。
ま、この手のブログは、自分が好きな事をつらつらと書いているだけだったのですが、意外な事に、これらのブログを高く評価してくれる人がいて「今度、フェラーリやランボルギーニについても書いてくださいよ!」とリクエストを受けてしまいました。
いや、フェラーリとランボルギーニは、自分に縁のないメーカーなので、詳しくないんだけど……。(汗)
とは言え、期待されちゃうと応えてしまいたくなるタケラッタとしては、頑張って書いてみようと思ったのでした。(←そのやる気、仕事で見せろよ)
さて、今回のブログは、フェラーリ編、ランボルギーニ編をお届けする前に、2社の因縁について書いてみたいと思います。
よく言われる話で、ランボルギーニは、創設者フェルッチオ・ランボルギーニの、フェラーリへの怒りがスーパーカー業を開始するキッカケだったという話。
フェルッチオは、第二次世界大戦後に軍払い下げのトラクターを修理・販売。これで儲けて、製造にも乗り出し、成功を収めました。
成功を収めた者、そしてイタリア人です。当然、フェラーリに行き着くのですが……。
エンジニアとしてフェラーリを見て、意外にレベルが低いと感じたフェルッチオは、改良の直談判をする為、エンツォ・フェラーリのところへ行きます。
しかし、いくら成功者とは言え、たかがトラクターメーカーの経営者が天下のフェラーリの創設者に会ってもらえるものでしょうか?
はい、当然のように門前払いを食らいます。
この時の怒りで、フェルッチオは自らフェラーリを超えるスーパーカーを作ることを決意したのでした。
結構有名な話で、聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?
しかし、実際には、そんなドラマチックなものではなかったらしく
「なんだ、この程度なら、俺たちでも作れるぞ」
くらいのノリで自動車製造に乗り出したのだそうです。(汗)
まあ、フェラーリを意識していたことは間違いなく、フェラーリ同様のV12エンジンを搭載する車でデビューしますし、エンブレムもフェラーリの跳ね馬に対して、低く構える猛牛が選ばれています。(もっとも、単にフェルッチオ氏が牡牛座だったからという説もあります)
デビュー作となる 350GT(1964年) 。
正直、あまりカッコイイとは思えませんけどねぇ。(汗)
これなら、プロトタイプの350GTV(1963年)の方がカッコ良かったと思うのですが……。
ランボルギーニが名声を博したのは、やはりこの車からでしょうね。
―つづく―
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Lamborghini | 日記
Posted at
2019/10/28 21:44:13