GW連休2日目、カレンダー上は平日なのでヨメは仕事、長男次男は学校。1人気ままに過ごせる時間が出来ました。
あの震災から4年、復興の一環で震災遺構の取り壊し、解体が進む中、
こちらの記事を読んで、現存するうちに見ておきたいと思い、出掛けることにしました。
県の有識者がまとめた、宮城の震災遺構保存候補リストだそうです。選定理由より、見ておくべきポイントと置き換えられると思います。
仙台市 荒浜小学校----------
2Fベランダの手すりが曲がっていたことから、ここまで津波が上がったのでしょう。あの日、あの時までは校庭で遊ぶ子たちの声が響き渡っていたのに…。
記事通り、学校前には住宅基礎だけ残った箇所がたくさんあります。この辺りは住宅が多かったので、学校屋上から見れば無数に広がっているでしょう。
丁度、震災語り部タクシーと思われる車両と鉢合わせになりました。比較的若い方ですが、県外からの見学者でしょうか?
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野蒜駅に向かう途中の県道27号線・奥松島パークライン沿いに鮮やかな菜の花を見つけました。奥には休業中の仙石線の線路と松島湾が見えます。
この先にある陸前大塚駅からは仙石線の線路が高台に移設されましたが、このあたりはルートはそのまま。でも、被害が全くなかった訳ではなく、電柱や線路は真新しくなっていました。もうすぐ運転再開、復興も加速することでしょう。
東松島市 野蒜駅----------
幼少の頃、ここで電車を降りて海水浴に出掛けた記憶があります。
途切れてさび付いた線路。目を閉じれば汽笛が鳴り響く光景が目に浮かびます。
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南三陸町 防災対策庁舎----------
使途ゆえ堅牢な造りだったのに、多くの犠牲者を出したことで報道紹介の機会が多いかと思います。津波の恐ろしさの訴求という面ではこちらが1番なのだとか。
このアングルから見ると、太い鉄筋が歪んでいることが判ります。自然の力に人間は敵うことが出来ません。
手を合わせてきました。ここから放送で避難を呼びかけ続け、犠牲になった職員がいます。その音声は幾度となく報道で耳にしました。この場に立ち、手を合わせれば、その呼びかけが聞こえてくる気がしました。
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同じ被災者の中でも、遺構として残す、残さないで意見が二分されています。当事者ではない私が意見を述べる余地はないと思っています。
でも、自身の目で確かめられたからには、起きた事実として心に刻み、少しでも減災の知識を得て後世に伝えること…これが私の責務かと思っています。
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東日本大震災 | 旅行/地域
Posted at
2015/05/04 13:45:37