注:演出の為、登場人物は敬称略とさせていただきます。
梅雨空の下。
初夏の臭い。
緑の中。
あの時の思い…
彼と彼女にとって伝説となった。
↓BGM
2006 AUTOBACS SUPER GT 第3戦 FUJI GT 500kmレース。
ある、ご年配ご夫婦(失礼すみません)が、日産応援団Nジャンの元を訪れた。
「いつもブログ、楽しみに拝見させて頂いています。」
「この歳になって楽しみができました。」
既にコメントを頂いていたから、名前を聞いてピンときた。
嬉しくて少し戸惑った自分。
「オレのブログがこんな人生の先輩に喜ばれている。」
翌年の2007 AUTOBACS SUPER GT 第3戦 FUJI GT 500kmレース。
彼にも体験してもらおうと彼にオレのポールと日産応援旗を託した。
この時、オレはあることを思いついていた。
「日産ファンの『みんカラ』ユーザーのためにもオレが行けないレースでオレのポールと応援旗を振って貰おう。」
2007 AUTOBACS SUPER GT 第5戦 SUGO GT 300km RACE。
引き続き彼にオレのポールと日産応援旗を託した。
ご夫婦の地元レースで振って貰おうという意図だった。
GT菅生。
JGTCからSuperGTの菅生戦にも伝説のバトルがある。
例えば2003 AUTOBACS JGTC 第3戦 SUGO GT選手権レース。
ファイナルラップ、#36 WOODONE TOM'S SUPRAのエリック・コマスと#1 ESSO Ultraflo Supraの脇阪寿一が縺れ込んだレース。
2007 AUTOBACS SUPER GT 第5戦 SUGO GT 300km RACE。
46周目の最終コーナーで周回遅れに引っかかった#1 宝山TOM'S SC430のアンドレ・ロッテラー。
#18 TAKATA童夢NSXの小暮卓史が並んだ。更に#8 ARTA NSXの伊藤大輔も加わり三車一列で第一コーナーへ。
菅生伝説のトップ争いバトル。
そこにニッサンがいない。
菅生戦ではニッサン・チームにとって鬼門とされていた。
ニッサンの勝利は無かった。
2007 AUTOBACS SUPER GT 第7戦 MOTEGI GT 300km RACE.
彼は自前のポールに日産応援旗を準備していた。
「Nジャン旗を振らせて貰ってから病み付きになっちゃいまして…」と後に語った。
だがこの年、最終戦を待たずにしてニッサンはチャンピオンを逃してしまった。
2008年 日産応援団決起集会。
彼はこう言っていた。
「私の地元菅生で、日産の優勝するところを見たいです。ジンクスを破りましょう。」
そんな彼はオリジナル横断幕を準備していた。
2008 AUTOBACS SUPER GT 第5戦 SUGO GT 300km RACE。
レース開催数日前、東北地方を大地震が襲った。
半分東北の血が流れるオレ。
何かしたくてたまらなかった。
地元の彼も賛同してくれた。
阪神淡路大震災を経験しているライバル応援団の関西寿一會も賛同してくれた。
だが、この年にGTデビューし、破竹の勢いに乗ったGT-Rを持ってしても、ジンクスの壁は厚かった。
2009 AUTOBACS SUPER GT 第5戦 SUGO GT 300km RACE。
快晴だった筈の菅生。
しかし、黒い雲が足を早め近づいていた。
レース26週目。アスファルトを雨が濡らした。
しかし運命のイタズラなのか、強まった雨がまたも弱くなっていった。
NISMOチームの采配がズバリ当たっていた。
日産応援団、ファンにとっても念願だった菅生。
遂に勝利を手にする事になった。
歓喜に沸いていたことは想像に難しくなかった。
プレゼントを貰った子供のような顔で大喜びの本山哲とブノワ・トレルイエ。
激しい戦いを物語るGT-R。
TVの前で目を閉じた自分。
真っ先に地元菅生勝利を願うご夫婦の顔が浮かんだ。
くま2315(
https://minkara.carview.co.jp/userid/198658/profile/)さん。
まーママ(
https://minkara.carview.co.jp/userid/303587/profile/)さん。
ご夫婦にとってこの日は伝説となった。
2010 AUTOBACS SUPER GT 第5戦 SUGO GT 300km RACE。
「少年、少女のような瞳は永遠に」ということを教えてくれるだろう。
2010.7.16 日産応援団 Nジャン(N-JUNKIE)
※画像提供:フォトヤマさん
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Posted at
2010/07/16 01:31:33